北条早雲、本当は両親ともに名家の超エリートだった…これもう麦わらのルヒーだろ [329228545]
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北条早雲(伊勢宗瑞)は、素性のわからない浪人だったって本当?【戦国武将の話
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北条早雲(ほうじょうそううん)は実のところ生前、1度として北条とは名乗っていない。彼の姓は伊勢、名は盛時(もりとき)、俗称は新九郎(しんくろう)で、出家後は早雲庵宗瑞(そうずい)と称していた。
早雲は素性のわからない浪人からの下剋上の代表とされがちだが、実のところ、父の盛定(もりさだ)は幕府奉公衆を輩出した伊勢一族の一員で当人も幕臣、母も政所執事伊勢貞国(さだくに)の娘という、両親ともに名門家系の出身だった。
備中(びっちゅう)に生まれ、京都の大徳寺で修行。9代将軍足利義尚の申次衆(もうしつぎしゅう)から奉公衆となり、義尚の伊勢下向(げこう)にも同行した。
しかし、姉の北川殿が駿河へ下向したあと、あっさりと幕臣の肩書きを捨て、本人も駿河へ下った。彼女は駿河守護の今川義忠(よしただ)の正室として一男・龍王(たつおう)丸まる「のちの氏親(うじちか)」をもうけており、下向は龍王丸の駿河守護職と今川家の家督の正式な継承を目的とした行動だった。
ところが家督代行の小鹿範満(おしかのりみつ)が権限の移譲を渋ったため、政変に訴える必要が生じた。そのときの見事な采配により、早雲は乗り込んだばかりの異郷の地にあって人望を集めることができた。
早雲は若き守護の補佐役で終わる気はなく、兵を借りては堀越公方足利茶々丸(ちゃちゃまる)との戦いを繰り返し、ついには茶々丸を滅ぼして、伊豆(いず)一国を平定。今川氏から独立してからも勝利を重ね、三浦氏を滅ぼして相模(さがみ)一国も手中にし、さらに武蔵(むさし)・房総(ぼうそう)へと侵攻を重ねるなかで生涯を閉じた。北条姓を称したのは子の氏綱からだった。
https://love-spo.com/wp-content/uploads/2022/08/sasie08.jpg 『お願い』っていうのは、
この世界を滅ぼした『大罪』
を終わらせる為の儀式だ。
そう言うと、北条はこう言います。
『お前は悪の帝王』と。 『大罰』
は、『大赦』で、大法官は『天赦(あめり)』
だそう 漫画日本の歴史では伊勢国の素浪人と描かれてたな
そんな奴の姉が今川に嫁ぐわけねーわ >>5
ちょっと聞いてもいい?
小中学生だったころのあだ名ってやっぱり「エビ」だった? 7公3民を4公6民くらいにした人だよね
センゴクとかででてくるよね、伊勢新九
姉を頼って駿河へ行き、そこから成り上がるのはさすが 最後の方でサラッと流してるけど結局早雲本人が戦に強かったから成り上がってるんじゃないか 北条の方が甲斐武田より騎馬率が高い
北条からの嫁は嫁ぎ先に尽くす
俺が知ってる北条豆 前から常識だったろ
知行のない宮廷貴族が地方で辺境伯になったようなもん まぁでも応仁の乱でヤバヤバだったんじゃねーのお家も ゆうきまさみが連載してる新九郎=後の北条早雲で最近は伊勢家の名門だったから姉が今川家に嫁いでも格が釣り合うてやってたな 応仁の乱で名前が出てくる伊勢貞親の親戚だということを最近知った
言われてみれば同じ苗字なのに、全然意識してなかったわ 今川をバックに体勢を整えて取れそうなとこから攻めていっただけ 晩年まで今川軍総大将として今川軍率いて三河遠征とかしてるし、早雲本人としては死ぬまで今川家臣筆頭のつもりだったみたい >>13
茶々丸征伐は新九郎の独断じゃなくて幕府中央からの命令だった説もある。
幕臣である伊勢新九郎が幕命を受けて、当代将軍の母と弟を殺した下手人である茶々丸を征討した、と。 今川は足利尊氏の大大叔父さんぐらい(政子の娘の子、)が吉良氏創設してその次男だから最初から名門 本当は京の高級官僚が
北条の血を引く娘を嫁にもらうから
北条名乗って関東治めてもいいかって朝廷にお伺いして
OKもらっただけなんだってな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています