14年前のグルジア人『オセチア人ぶっ殺すの楽しいいいいいwwww殺せっ殺せっ殺せっえええええええ』 [472883477]
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なぜロシアが突然ジョージアに侵攻してきた時はウクライナと比べて国際社会が動かなかったの? 攻め込んで反撃食らってチンチンにされただけなのになんか被害者ヅラしてるよな🤭 うんこ — かのじょー@うんこ
(うんこ д ́)ノ (@k_kato >>2
グルジア紛争はジョージアが先に戦争仕掛けてきたから >>5
それはない
ジョージアのような小さい国がロシアに対して攻撃を仕掛けるはずがない
ロシアに騙されてるんだろう >>6
グルジア内の自治共和国に軍事行動起こしたのがサーカシヴィリ
そのサーカシヴィリはグルジアから逃亡してウクライナでオデッサ州知事になったのも、お前は知らんでしょ?
そのサーカシヴィリですら腐ってると言ったのがウクライナ政府 >>8
クズにクズと言われるならウクライナはまともな国ということだな >>5
ジョージア国内に勝手に進駐して来たロシア軍を攻撃したんだよなぁ >>6
ウクライナで起きたことと一緒
NATO(アメリカ)が裏でやらせた >>2
調子に乗ったジョージアのサアカシュビリが先に手を出したから
ジョージア側に大義名分がなさすぎてアメリカも傍観せざるをえなかった >>15
あのあたり(カフカス地方)は山が多いせいで昔から多くの民族が入り乱れて住む地域だった。
そこに18世紀から19世紀にかけてロシアが進出してきて征服し自国の領土にした(ロシア領カフカス)。
ロシアはこの地域を統治するために新しく州や県を置くが民族が入り乱れているせいで
線引きをたびたび変えていて不安定で、地元の人間はロシアの引いた境界をあんまり気にしていなかった。
その後第一次大戦中に革命が起きてソ連になると、ソ連はこれまでの地方区画をやめて
大雑把に○○人の多いところごとに区切って政府を持たせ、その政府をモスクワにある共産党中央政府が統括するという形に変更した。
このときカフカスの方面は、カフカスの中で人口が多いグルジア人、アルメニア人、アルバニア人のいる南側については
それぞれグルジア、アルメニア、アルバニアの三つの国を置き、北側はロシア領とするということになった。
その後ソ連の体制が崩壊すると、ソ連を構成する国が全部分離して独立国になり、
ソ連のメイン部分の領土や外交上の義務やそのへんはロシアが継承するということになった。
そしてグルジア、アルメニア、アルバニアは独立する。
グルジアの中にもグルジア人以外の少数民族がいて、その一つがオセット人という民族だった。
グルジアが独立すると「グルジア人がロシアから離れて自分たちの国を持てるんだったら俺達も国持ってよくない?」と言い出した。
グルジアほかの独立は、ソ連全体のすぐ下の単位である連邦国に当たえられた特権であって、理念上は特定の民族の優遇措置ではないのだが、
○○民族の多いところを国にしていたので、そこの独立という措置は実質的に○○民族の特権という面を持っていた。
グルジア政府はオセット人に独立されると領土が減って困るのでオセット人を弾圧し一度紛争になったが、
ロシアの「おいグルジアやめろ」という圧力もあって、オセット人の住む地域を南オセチア自治州という形で自治をある程度認めるかわりにグルジアから独立はしないという
中途半端な状態にし、火種を残したままであるもの一旦矛を収めさせた。 EUの調査団がグルジア側に非があったと報告してるからな
ウクライナ戦争に乗じてロシアが悪かったみたいな歴史修正してるけど無駄だよ
https://web.archive.org/web/20091002192712/http://mainichi.jp/select/world/news/20091001k0000m030117000c.html
>昨年8月のグルジア紛争について、欧州連合(EU)の委託を受けて原因を究明していた調査団は30日、戦闘を始めた直接の開戦責任はグルジア側にあると結論づけた報告書を公表した。 ここまでが旧ソ連圏の内情だが、このあとアメリカがからんでくる。
ソ連が倒れた直後はアメリカは余裕をこいていて、ロシアもエリツィン政権のころはアメリカに融和的だったが、
プーチン政権になると若干風向きが変わってくる。プーチンは最初は親欧米路線を取ったがNATOにハブられ、国内の新興財閥のオリガルヒの弾圧を行ったせいで欧米の非難を受けたこともあって、
段々西側に警戒的になっていった。
そこでアメリカはロシアの牽制のためにグルジアに目をつけた。
政治腐敗がひどいグルジアに介入し、親欧米的な政治家のサーカシビリが大統領につくよう誘導し、グルジアをこちら側に引き込もうとした。
プーチンは自分たちの隣の国がアメリカに近づき、アメリカ軍を置かれるという事態を嫌っていたので、
グルジアの国内紛争であるオセット人問題を煽り、露骨にオセット人勢力の味方をしはじめた。
サーカシビリは元々反ロシア的なポジションを取っていたため、自国に介入してくるロシアを非難し、ロシアの手先(に見える)オセット人勢力にも強硬な姿勢を取った。
そして欧米の支援を頼りにして自治州に攻撃をしかけた。ロシアはサーカシビリ政権をつぶすために自治州を支援して軍を出動させ、グルジア軍を圧倒した。
サーカシビリは軍事力に大きな差があるのにロシアを煽って惨敗するという失態を犯してしまう。
そのうえ親欧米で何かやってくれそうな空気を出していただけで、実際は内政面は無能で私腹を肥やす腐敗政治家という点では前の大統領と変わらなかったため、
国内の人気は急落し、追放されてしまった。追放されたあとはウクライナに亡命し、ウクライナのオデッサ州(南の端の西側の州)の知事になった。
サーカシビリ政権はアメリカとロシアの勢力争いのための駒にされたと見ることができる。
そしてこのころのグルジアが明らかに今のウクライナと構図が似ているので、ゼレンスキー政権の未来の可能性と見ることもできる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています