ダサいの表現やめて=会社員・安倍圭子・54(埼玉県)

 本欄7月15日及び26日の「ダサい人にはなりたくない」方たちへ。
人に優しくする、人に思いやりの心を持つというのは大変にすばらしい心がけだと思います。

 しかし、あえて言わせてください。「他者への優しさ、思いやりの心を持たない」=「ダサい」という表現はどうかやめてください。

 あなた方がご存じかどうか、かつて30年以上にわたり、
そして今もなお特定の地域の出身者が「ダサい」という言葉をあざけり、ののしりの意味で投げつけられてきました。

 今でこそ笑って返せますが、あくまでも「田舎臭い、やぼったい、あか抜けない」といった見た目をそしる意味と思えばこそです。
そこに「人間性の欠如、喪失」という意味を込められてはたまりません。

 精神面での非難の意味に「ダサい」という言葉はどうか使わないでください。
一人の「ダサいたま県民」としての心からのお願いです。「ダサいたま」と言われ続けて、本当はとてもくやしかったのですから。

https://mainichi.jp/articles/20220813/ddm/005/070/004000c


ダサい人には なりたくない=会社員・伊藤雅樹・24(静岡県)

 ダサい人になりたくないと日ごろから感じている。

 「ダサい」にはさまざまな意味が込められているが、僕の考えとして「ダサい」=「人間性の欠如、人間性の喪失」を挙げたい。
いい年した人が幼い言動をして周囲を困らせていることがある。ネット上にもモラルのない言葉を書き連ねて他人を中傷する人がいる。

 一概には言えないが、そのほとんどが子供ではなく大人が多い気がする。
人にやさしくするという、子供でもできる行為ができない大人は、はっきり言ってダサい。
これ以外に当てはまる言葉はない。こんな人にはなりたくない。

 こんな強い口調で主張する僕も10年後、20年後にはオッサンになる。
このまま何も意識せずに日常生活を続ければ、否定していたダサい人になってしまう恐れがある。
そうならないためにも常に他人へのやさしさ、思いやりを心の中で育みながら、いたわる努力を惜しまないようにしたい。

https://mainichi.jp/articles/20220715/ddm/005/070/003000c