最近の哲学書でオススメあったら教えてください [126678906]
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千葉雅也さんの『現代思想入門』がベストセラーな理由。
>哲学者の千葉雅也さんが書いた『現代思想入門』(講談社現代新書)が、9万部を超えるベストセラーとなり、話題になっている。
>かつて、浅田彰さんの『構造と力』が、フランス現代思想を「チャート式」に解説したものとして大ベストセラーになったのを
>思わせる現象だ。その要因を考えながら、読んでみた。
https://www.excite.co.jp/news/article/Jcast_bookwatch_book18924/ >>87
読む意味はあるやろ。今と古典と変わらんなと
たとえばデリダもソクラテスも要は茶々入れの名人だなとクソでか溜め息 >>104
そう考えるとヘーゲルはなんでもキッチリ体系化して全体の中に位置付けしないと気が済まないマンだから既存の体系をぶち壊したいソクラテスやデリダとは対極の存在だよな
ヘーゲルタイプの人とソクラテスタイプの人をバランス良く取り入れると良さそう
>>106
これは倫理の問題であって、哲学ではない
あと、倫理として考えるなら自分が落ちればいいだけなので、どちらにしても間違い >>106
人助けをしたいという精神と
大柄な男性をモノ扱いできるサイコパス性が
奇妙に共存している謎の主体 >>109
まぁでも戦争ってそういうものじゃないの
自国民を救うために資源を奪いに行くとか >>108
倫理学というものと哲学はどういう違いがあるんやろ?
大学なんかだと合併研究室になってることもあるのでなかまだとおmぃこんでた >>105
ヘーゲル的なものはなんか延々軽んじられてるような気がする。そんなのは本とPCに任せてればいいんだよ、みたいな。人間は自由だから解体して差異化するんだ!みたいな
まあこの手の言い草もマルクスの頃からあるそうで、ヘーゲルを犬の死骸扱いするやつが多くて呆れるとかマルクスが言うとるね >>110
自国民を救うために資源奪いに行く戦争なんてあるかな?
権力者、資本家が自国民を捨て石にして
帝国主義、拡大主義を遂行する戦争ばっかじゃないか >>112
哲学は真善美を扱うのが伝統なので
倫理学は哲学の範疇で合ってる
>>112
もともと哲学は真善美についてテーマにしていたけど
善は倫理に
美は美学に分離して
真の部分だけを扱うのが近代以降の哲学だと思う 哲学は全てに通ずるルールを探す学問
例外は多分無い >>114
ちうかに攻め込む騎馬民族くらいのもんやね
純粋な泥棒戦争できるのは >>115
>>116
なるほどためになるサンキュー 千葉の特集で浅田彰が寄稿してるやつ読みたい
浅田彰は好きだけど哲学はほとんど理解できない
マルクスはわかるけどデリダもラカンも名前だけ >>100
俺は脱構築を知ってるんだぞ!って人が正しい自分とそれ以外の愚か者という対立にハマっちゃうのはあるあるだよね 松本卓也なら創造と狂気の歴史がいい
現代思想を通覧できる 哲学とかゴミ
考えるだけ無駄
世の中見てみろ馬鹿でも当然のように生きている
賢くなる意味が見出せない
哲学では苦しみから解放されることはできない
自由に生きる方法は一つしかない
自分の意志に素直に従うことしかない
以上だ >>123
お前みたいなゴミにならないようにこれからも哲学書を読むわ。ありがとう、お馬鹿くん 永井均の『倫理とは何か』は面白かったな
最近出た本ではないけど ふあー よく寝た
哲学が真善美の真を扱い、倫理学が善を扱うなんて区別してたらカントさんに怒られるぞ
俺は、目の前のコップは果たして実在しているのだろうか?なんて考えてるより、世の中をより良くしようとする倫理学の方が大事だと思う
レヴィナスも、倫理学こそが第一哲学である、と述べている ショーペンハウアーの幸福についてが一番読みやすく衝撃をうけた >>120
それこそ>>1を読むべき
マジで分かりやすいぞ
教科書に指定したほうがいいレベル 哲学っていうと常に思考し続けろみたいな感じの
イメージを勝手に持ってて
自分の場合学もなくてIQも低くて、時間かけて考えたところで生産的な答えや考えを生み出せなくて
ただわかるのは無知である自分ということだけ
うまく世渡りできないからうまいこと哲学を取り入れて
多少なりとも人生に役立てたいなって思うも
馬鹿が情報を他人よりも時間かけてインプットしたところでまともな思考出来ないし意味あんのかなって思っちゃうことがたまにある でも千葉ちゃんて生理とオナニー一緒くたにした人でしょw >>133
ツイネタを本にしてたけど売れたんかねえ
アイドルみたいなことして 最近流行ってるのがウォーギルト・インフォメーションプログラム派の壺哲学
嫌儲、日本の政治家、テレビに出てる学者は全部これ 今って存在論と認識論どっちがメインストリームなん?それとも第3勢力? 日本語の限界を感じる
翻訳家が好き勝手適当な単語当てはめるから
翻訳家によってニュアンスが変わってきて腹たつ
日本語研究家は翻訳の手引きを作れ おまいら的には2000年前のストア学派のエピクテートスやマルクス・アウレリウスはどう思うのかね >>141
現在の認知行動療法の根本思想はストア派そのもの >>142
そうだね。マルクス・アウレリウスの解説本にもそう書いてあった
諦念とか受容とかは仏教的でもある >>139
よく知らんけど、マルクス・ガブリエルは存在論らしい、つまり相対主義を克服したってことかな >>144
そうなのかー
存在論より認識論の方が好きだからなんか残念 統一教会がカルトか判断できない人もいる始末だし実在論が見直されるべきだ
人間の認識が及ばないところに事実はある 実在論というのが解説を読んでも全く理解できないのだが、これを理解できると何がどうなるのかな? みんな凄いな
俺は余りに形而上学的・観念的で、イメージが掴めずに基礎の部分で挫折した >>148
〜が実在するから、〜である
とか
〜だから、〜が実在する
といった推論のルールが分かって一々吟味しなくても思考を節約できるようになって便利になる >>86
戸田の文体が苦手
よくあんな自我の塊みたいな文章が罷り通ってるよな >>81
バートランド・ラッセルの「現代哲学入門」と「哲学入門」 >>81
ラッセルのは『現代哲学』と『哲学入門』やったわ。 >>148
大昔は自分が神様はいる!と思ったらそれが真実だった
でも人によって意見が違うから議論が進んで
デカルトの方法的懐疑によってとうとう目の前の現実そのものがただの認識に過ぎないことが分かる
そしてカントが各々勝手に言ってる神の証明なんて全部間違い、人間にはそんなもん認識できないぞと議論に終止符を打つ
で、後世でそれが極まって「それ、あなたの認識ですよね?」で客観的な事実すらも否定できるようになってしまった
だから人に事実認識にいたらしめる認識以前にあるもの=実在が見直されるべきということ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています