【小泉悠】「いいところなし」の少年に、「細部から全体像を描く」を教えてくれた人
(略)
小泉さんが暮らしていたのは、長屋のような家が立ち並ぶ古い住宅地だ。そこから近くの団地に行くと、別世界のように見えた。
「人間が理性を持って計画し、進歩の象徴のように作り出した人工都市に、不思議な魅力を感じていたんです。『人類は一つの都市を造り出すのだ!』という感じに、ひかれていたんでしょうね」
高校生になると、週末には自転車で20キロ近く離れた巨大団地まで行き、何をすることもなく、朝から晩まで団地を見て歩いて過ごした。
1999年、北大西洋条約機構(NATO)がユーゴスラビアの街を空爆したとき、映像を見て衝撃を受けた。爆撃されている住宅地が、近所の団地にそっくりだったのだ。
「なぜユーゴスラビアと松戸がこんなに似ているんだ?」
素朴な疑問は、社会主義の国への関心へとつながっていった。団地を作るという発想に社会主義の影響があることを知るのは、そのずっとあとのことだ。
「僕は細かいディテールに偏執狂的に執着して、それがどこかにつながっていく、というパターンが非常に多いんです」。細部から直観的に大きな事象への共通項を見いだして全体像を描くという、いまにつながる独特の視点は、このころすでに生まれていたのだろう。
こうして軍事に夢中になっている息子を、複雑な思いで見ていたのは、両親だった。両親との確執は、小泉さんに大きな影響を与えることになる。(つづく)
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