東京式のアクセントと京都式のアクセントの境、「見ろ」と「見よ・見い」や「ない(行かない)と「ん(行かん)」、「く(白く、広く)」と「う(白う、広う)」などの語彙の違いが長野南部、静岡・愛知あたりで線が引かれることをみます。
また、このことばが相違するラインで分かれた東と西では、昭和40年代くらいまでは互いに婚姻関係もほとんどなかった(東の人は東の人同士、西の人は西の人同士で結婚していた)。

こうした東西の違いは、宮本常一さんが『日本文化の形成』で描いていたように縄文時代にまで遡れます。石器や土器の分布をみてもその違いがみられ、東日本のほうが圧倒的に精緻かつ華麗複雑な文様をもった土器がつくられているといいます。
土器の発達は宮本さんが書いていたように「煮ることによって食用にすることのできる動物や植物が多く」あることを意味します。

東国と西国の違いは、その社会における人間の関係のあり方の違いにも見受けられました。東国はイエ的社会、西国はムラ的社会だったといいます。
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