不良の溜まり場「ゲームセンター」から解放されて「ゲーム」は日本が誇るカルチャーになった

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中で遊んだゲームの話。
活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう--。

「電子ゲームのニーズが高まった’70年代後半、ゲームセンターや喫茶店で“インベーダーゲーム”が流行し、『コロコロコミック』(小学館)では『ゲームセンターあらし』が連載開始。’80年には携帯型液晶ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』が発売されて人気商品となりましたが、画質やスペックなど、最先端を走っていたのは、やはりアーケードゲームでした」


そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。

こうした本格的なゲームを楽しむにはゲームセンターに行かなければならなかったが、当時は不良のたまり場というイメージも強く、足を運べない人もいた。

「それが、’83年の任天堂のファミコン(ファミリーコンピュータ)の発売によって、家庭でアーケード版に近づくレベルのゲームがプレーできるようになり、ゲーム人口が一気に広がりました」

本体価格が1万4800円と控えめだったことも大きい。コントローラーをスティックタイプでなく十字キーにしたのはコストを抑えるためという説もある。

「低価格で提供できるように企業努力を重ねたといわれています。
まずは本体を普及させ、その後に発売されるゲームソフトで利益を得るというビジネスモデルは、本体価格を安く設定し、その後、取り替え用のインクで利益を出す家庭用プリンターと同じです」

■功罪ありつつも日本が誇るカルチャーに

ファミコンのヒットによって、さまざまなジャンルのゲームソフトが登場した。

「『ドンキーコング』(’83年)や『スーパーマリオブラザーズ』(’85年)、『ドラゴンクエスト』(’86年)と、人気ソフトが続々発売され、ファミコンブームをけん引。大量にゲームソフトがリリースされたため“クソゲー”といわれるハズレソフトもありましたが、今では逆にプレミアがついているケースもあります」

他社のゲーム機と競うようにソフトの数はますます増え、攻略本や、中古市場も活況となった。

「子どもたちへのクリスマスのプレゼントも、ゲームソフトが定番化しました。人気ソフトの発売日に学校をズル休みして、早朝から家電量販店の列に並ぶ子どもたちが問題となったり、個室に閉じこもってしまう“ひとり遊び”の負の側面が強調されたりして、社会的にも問題視されたものです」

功罪さまざまな面があるゲームだが、現在に至るまでマリオなどの人気キャラクターが世界に発信されているほど、日本が誇るカルチャーになっている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2a33f2603914cfa270791b2df67a5c2d71490912