「サテ次ノ年ハ、元久元年七月十八日ニ、修善寺ニテ又頼家入道ヲバサシコロシテケリ、トミニエトリツメザリケレバ、頸ニヲヲツケフグリヲ取ナドシテコロシテケリト聞ヘキ」(「愚管抄」六)

カタカナで書かれていて読みにくいこともあり、一読、すべてのシーンが浮かんだわけではないが、何度か読んでいるうちに、その陰惨さが心に刺さってきた。
いまだに忘れられない一文である。

ひらがなに直し、一部、漢字を当てるなどして(あきらかな当て字で申し訳ないが)、いまいちど書いてみる。

「さて、次の年は、元久元年七月十八日に、修善寺にてまた、頼家入道をば指し殺してけり。とみに、え取り詰めざりければ、首に緒をつけ、陰嚢を取りなどして、殺してけりと聞こえき」

こうなる。

「え取り詰めざりければ」、というのはつまり「うまく殺せなかったので」ということで、首に緒(紐)をつけ、陰嚢(ふぐり)を取りなどして、殺した、と伝わる、そう書かれているわけである。

無茶苦茶な殺し方だ。

初読以来、衝撃を受けて、いまもってこのシーンが脳裏から離れない。

『鎌倉殿の13人』でそこに至るシーンが描かれるわけで、三谷幸喜がこの「頸ニ緒ヲ付ケ陰嚢ヲ取ナドシテ殺シテケリ」の文意をどう捉えているかによって描写が変わってくる。
(この部分、放送前の記述)

https://news.yahoo.co.jp/byline/horiikenichiro/20220821-00311298