会談の席で龍馬は開口一番、茂田らにこう斬り込んだ。

 「万国公法によれば、非は明らかに明光丸側にある。しかも、二度も船体をぶつけてくるなど言語道断の所業である」

 これには茂田らは絶句してしまう。当時、欧米で普及していた「万国公法」のことは日本人の大半はその存在すら知らなかったからだ。龍馬はさらにこう畳みかけた。 「船の購入金額が3万5600両。さらに船内には山内容堂(やまうちようどう)公(土佐藩主)より依頼されて運搬していたミニエー銃400丁や金塊(きんかい)も積んであった。それらの分の賠償金も合わせれば総額8万3000両をもらわなければ、当方は納得しない」

 金額の莫大さに色を失った茂田らは、「自分たちでとても決断できない」の一点張り。こうして会談はいったん物別れに終わったが、その後、紀州藩はついに折れ、龍馬の言い値8万3000両を賠償金として支払うことを渋々承諾する。
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