日本電産の関潤社長に退任報道 新社長に浮上するのは“大番頭”の小部博志副会長(有森隆)
日本電産の関潤社長兼最高経営責任者(COO・61)が近く退任する方向で調整していると報じられた。創業者の永守重信会長兼最高経営責任者(CEO・77)との路線対立が原因と解説されているが、永守オーナーの“妄執”である。もっと言うなら、焦りであろう。後任社長には"大番頭"の小部博志副会長(73)を充てる案が浮上している。生え抜き社長を中心に据えた新体制は9月初めにも発表される。
関氏の退任(退社)の情報が流れた25日午後の日本電産株は一時、9224円(3.20%、304円安)まで売られ、終値は9300円(228円安)。市場関係者は「株価を見る限り、退社はビッグサプライズというより限定方針通りということになる」と分析する。
関氏は日産自動車で副最高執行責任者(副COO)に就いたが、格下だった内田誠氏(56)が社長兼CEOになったのが不満で、20年1月、永守氏に招かれ、日本電産に電撃入社した。21年6月、永守氏からCEO職を継承。22年3月期の業績は過去最高を更新した。
それでも関社長がCEOを兼務した21年6月に1万2000円を上回っていた株価は、世界的な半導体不足の影響などで、日米のグロース(成長)株が軒並み崩落。日本電産株も今年4月に8000円台にまで下落。永守氏は「耐えられない(株価)水準だ」と苛立ちを募らせ、関氏は就任1年足らずでCEOから降格された。
永守オーナーは関氏に関して「逃げない限りは後継者として育てる」と述べ、一方、関氏は「逃げる気は全くない」とCEOへの復帰に意欲を見せた。だが、「誇り高い彼(=関氏)は辞めるだろう」と日産自動車の関係者は見切っていた。永守氏も「逃げたら生え抜きの人材にCEO職を渡す」と次の展望を口にしており、「決別は時間の問題」(日本電産の有力OB)と見られていた。
関氏は成長領域と位置付けられている電気自動車(EV)用の駆動モーターを中心とした車載事業を統括してきた。同事業はEV用機器の開発費の負担に加え、原材料価格の高騰で22年4~6月期まで四半期ベースで2期連続の営業赤字。結果を出せずにもがいていた。
永守氏は1973年、仲間3人と自宅の納屋で起業した。学歴は職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科卒。ヒト・モノ・カネのどれをとっても、大企業に勝てない。あるのは平等に与えられた24時間という時間だけで、最低でも競争相手の2倍は働いた。
「叱って、怒鳴って、ボロクソ言って、皆の前で恥をかくことによって、闘争心や反発心を呼び起こす」、「永守さんは、自分のような叩き上げしか信用していない。一流大学を出た大企業出身のエリートを次々と後継者に招いたが、お眼鏡にかなう人は結局、現れなかった」(前出のOB)
関氏の前の社長だった日産出身の吉本浩之氏(54)も副社長に降格後、退社した。新社長に就く小部副会長は創業メンバーの1人。創業時から永守、小部の2人は「親分と子分」の関係で、常に行動を共にしてきた。
2人の出会いについての逸話が残る。永守氏が卒業した職業訓練大学校の後輩だった小部氏が、同じ下宿に住む永守氏にあいさつに行った。永守氏はこう言った。「子分にしてやる」。親分肌の永守氏は、創業時に、有無を言わせず子分の小部氏を入社させた。子分の小部氏は、今やなくてはならない大番頭だ。
小部氏は「私は番頭。あくまでトップを支えるのが務め」と語っている。社内では「永守氏がリタイヤ-するまで、一(いち)の子分として付いていく」と言われてきた。
永守氏の後継者育成は結局、失敗に終わったと言っていい。日本電産の高株価を支えてきた外国人株主や機関投資家は「(日本電産の)高度成長時代は終わった」と判断すれば、持ち株を売るだろう。そうなれば、永守オーナーが"公約"してきた「株価5ケタ(1万円)から、さらなる飛躍。2年以内に2万円ぐらいを目標にしたい」は幻夢に終わる。
23年4月、ニデックに社名を変更する日本電産の今後に関心が集まる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9dcabb249e71599a3dcfdb1bd6beb982c369a32