■日本人は、十分「仏教徒」「神道家」

「atheist」はラテン語に由来する単語です。

「a」は否定、「the」は、神を表します。中世欧州で盛んであった神学は、theologyです。「ist」は人につける語尾です。まさに神を否定する、強い単語です。知識として頭にはありましたが、信仰の篤い人たちを前に実践してみて初めて、思い知らされたのです。

生真面目な日本人は、外国の人を相手にすると敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒に違いないと思い込んで、萎縮する傾向にあります。自分は仏教徒や神道家などと言いづらいかもしれません。しかし、欧米や海外の人も、日曜日は教会に通い食事のたびに祈りを捧げるような熱心な信仰心を持つ人から、お酒が禁じられた宗教でも飲んでしまう人まで様々です。

多くの日本人が欠かさない初詣やお彼岸の墓参も立派な宗教儀式ではないでしょうか。「仏教徒である」「神道家である」と自己紹介が許される範疇に入っていると思います。遠慮してハードルをあげることはないのです。

仏教徒(Buddhist)もしくは、神道家「Shintoist」など自分と関係のある宗教を信仰していると言い切っていい。なぜならば、下手に説明しようとすると却って誤解を生みそうな単語もあるからです。

たとえば、「不可知論者」を表す「agnostic(アグノスティク)」。「I’m agnostic」といえば、神の存在を証明することや反証することができないと主張する人を指します。「atheist」よりは穏健な響きがあるが、無神論者と受け止められるかもしれない。

「疑い深い」を意味する「skeptic (スケプティック)」は、神の存在を疑う人間ーーと言うやや強いニュアンスがあります。相手から、「それはどういう、考えなのだ」と興味を持って質問される可能性もあります。

英語を使い慣れない人は、「Iam a Buddhist.」など簡明な表現で言い切るほうがいいでしょう。相手も「ああ、そうか」と安心して、会話がスムーズに流れます。

それでも、「無宗教である」と伝えたい気持ちが強いならば、「religious(信心ぶかい)」を使い、「I’m not a religious person(私は信心深くない)」

と言うのもよいでしょう。

■仕事では相手の宗教把握は必須

海外では宗教の話題は避けたほうがよいとアドバイスをする人もいますが、ビジネスの場で、宗教の話題を避け続けるのは不可能です。

私はチュニジア、ラトビアで大使を務めました。とくにチュニジア在任中は、アラブの春の先駆けにもなったジャスミン革命(2010~11年)が勃発しました。大使公邸敷地内にも軍が入り込み、廊下でうつ伏せになって銃撃戦が止むのを待ちました。そうした状況で、日本人観光客200名の脱出をやり遂げなければならない危機的状況にも直面しました。

海外に駐在する外交官や企業のビジネスマンは、さまざまな事態に対応するために現地で人脈を築き、情報を収集するのも大事な仕事です。相手の宗教や趣味、嗜好を把握した上で接待や交渉に望むのは当然です。特に宗教は絶対に把握しなければ、相手を怒らせてしまう。

たとえば、イスラム教徒の方を接待する場合は、食事で豚肉とお酒は出せません。ヒンドゥー教徒は、牛肉・豚肉をはじめ肉食全般を避ける傾向があります。食材でタブーがある場合、その肉を切った包丁さえ、相手に出す調理には使えないのです。

では、どのようにして相手の宗教を把握するのか。

初対面の相手と顔を合わせて唐突に、「あなたの宗教は何でしょうか」と質問するのは、さすがに不躾(ぶしつけ)です。しかし2回、3回と顔を合わせて気心の知れた仲になれば自然と、「昨日は教会に通った」「(宗派の)お祈りをしなければならない」といった話題が日常生活のひとコマとして登場します。どの宗教であっても、信仰心の篤い地域の人たちは、生活の中に宗教が溶け込んでいるからです。