日本人とカルト――橋爪大三郎氏インタビュー/服部美咲 - SYNODOS
https://synodos.jp/opinion/society/28348/
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ユダヤ教やキリスト教には、十分の一税というものがあります。十分の一を宗教組織のために納めなさい。これはつまり、十分の九は手元において、実生活のために使いなさい、という意味です。宗教のために使うお金に上限があるんですね。だから、宗教と実生活を調和的に両立できる。これはカルトではない。
カルトは無制限に求めます。寄付をすればするほど偉い、実生活を全部捨てて、全財産を投げ打って教団に加わると良いことがある、と言います。そんなことをすれば、本人や家族の実生活はたちゆきません。それに、皆が出家して普通の仕事をしなくなれば、社会も回らなくなってしまいます。もちろん、少数の専従の宗教者がいて、修行だけをしていてもいい。けれども、それを支える人がいて、社会を回さなければならない。
日本の平安時代の仏教には、専業の僧侶がいました。彼らは出家して、家庭を持たず、お寺に籠ってずっと修行していました。それだけを見ると、実生活を犠牲にしていて、カルトみたいですね。しかし、彼らを支える一般の人びとがいて、人数のバランスがとれている。社会をちゃんと回している。だから平安時代の仏教はカルトではありません。
(後略