「ネット弁慶」はなぜ生まれるのか? リアル世界での不遇からくる鬱憤の発露、依存で前頭葉が発達せず脳が子供のまま

夕刊フジ
【人はなぜ、ネットで人格が変わるのか】

安倍晋三元首相の暗殺犯、山上徹也容疑者(41)は、かなりのネット依存症だったと思われる。なにしろ、ネット上で安倍元首相と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係を知り、動画投稿サイトのユーチューブで銃の作り方まで学んだ上、自身の考えをSNSで発信していた。

ネット社会が進展するにつれ、人々のネット依存は高まるばかり。いまや、多くの事件にネットが関係している。

近年問題になっているのが、「ネットいじめ」だ。「ネットリンチ」「サイバーリンチ」とも言われ誹謗中傷、攻撃的な書き込みをする人間が激増している。一昨年、プロレスラーの木村花さん(享年22)が自殺したことは多くの人に衝撃を与えた。

ネットの書き込みには誹謗中傷、罵倒、うそ、デマ、扇動があふれている。こうした書き込みをする人間は「ネット弁慶」と呼ばれる。実生活ではおとなしいのに、ガラリと変わり、日常生活で言えないようなことを平気で書き込む。

もちろん、なかにはパラノイア(偏執病)や境界性人格障害のような精神を病んだ人もいるが、圧倒的にフツーの人間が多い。それで、「ネットは人格を変えてしまうのか?」と言われるようになった。人見知りで言葉も少ない人間が、突然、攻撃的になり、強気で過激な発言を繰り返したりする。なぜなのか?

独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)の「2020年度情報セキュリティに対する意識調査」によると、「SNS等でネガティブな投稿経験がある」と回答した人は18・5%にも上った。また、トレンド総研が実施した「ネット人格に関する調査」では、SNSと現実で人格を使い分けている人の割合は全体の4割以上もいる。

人格を使い分けている人のうち、「意識的に使い分けている」が25・3%、「無意識のうちに変わっている」が16・3%にも達する。SNSとリアルで人格が変わることには「普通だと思う」という意見が最も多い。

となると、リアルとネットでは人格が違うということを、私たちは当然として受け止める必要があるのだろうか。

「ネット弁慶」に関してはいろいろ言われているが、精神分析的に最も妥当なのは、リアル世界においては不遇だということだろう。金銭的にも精神的にも満足のいく生活を送っている人間が、ネットで豹変するとは考えにくい。現実生活における不満の鬱積が、ネットにおいて発露されると考えていいだろう。

その矛先が多くの場合、有名人や話題の人物に向けられることでも明らかだ。この世界、とくにネット空間は妬(ねた)み、嫉(そね)みで成り立っていると言っても過言ではない。17世紀のフランスの文学者のラ・ロシュフコーは「羨望とは、他人の幸福が我慢できない怒りなのだ」と指摘している。

ネットでは相手の顔が見えない。大脳生理学では、前頭葉が活性化するのは人の顔を見て話をするときとされている。前頭葉は、人間の思考、判断、情動のコントロール、コミュニケーションといった高度な分析・判断を司(つかさど)る。前頭葉が健全に発達するということは、自己を客観的に捉えることや感情を持つこと、的確な言葉を発することができることにつながる。

ネット依存が過ぎれば、そういう能力は育たない。脳は扁桃体主体の子供の脳のまま。ワガママが通らないと癇癪(かんしゃく)を起こしたり、気に入らないことに対して感情的な言動を取ったりする。

だから、四六時中のネット依存は危険なのだ。

■吉竹弘行(よしたけ・ひろゆき) 1995年、藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)卒業後、浜松医科大学精神科などを経て、明陵クリニック院長(神奈川県大和市)。著書に『「うつ」と平常の境目』(青春新書)。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e34f47d099ed60be2df083459ebca562fb91335f