宮崎駿と高畑勲、キチガイだった。 [153490809]
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かぐや姫のドキュメンタリー見てたんだけど、
風立ちぬで喫茶店のレコードが回るカットを見せられて宮崎駿から意見を求められた高畑勲が、
当時のSPレコードの回転数78rpmよりわずかに回転が速すぎることを即座に指摘し、当時レコード針に竹が用いられていたことに触れ、
宮崎駿の「戦前で物資不足だったから竹を使っていた」という知ったかぶりを否定し、むしろ竹針の方が高価だったことを指摘したところで、
宮崎駿が「もういいよこれで!どうせパクさんしか知らないんだから」とスタジオから追い出すシーンが最高に面白かった。
https://sakechazuke.com/ スクリプトどうなってんだよw
高畑勲と言い合いして勝った人ってアニメ業界にはいないんだよな アイコンがいつもの人を装おおうとしてるのが悪質だな 嫌儲スレタイ検索 宮崎
宮崎駿と高畑勲、キチ◯イだった
宮崎駿と高畑勲、キチ◯イだった
宮崎駿と高畑勲、キチ◯イだった
宮崎駿と高畑勲、キチ◯イだった
あのさぁ 2018-10-15
鈴木プロデューサーの語る高畑勲監督の恐ろしさ
故・高畑勲監督は恐ろしい人だったようです。
今回は、書籍『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』より、鈴木プロデューサーの語った高畑監督の恐ろしい一面をご紹介します。
以下、その引用です。
どんな人の人生にも功罪両面があるし、映画監督という仕事をしている以上、いつもいい人でいることはできません。
人の人生を変えてしまうこともあるし、ときには恨まれることもある。
とくに高畑さんの場合、いい作品を作ることがすべてであって、その他のことにはまったく配慮しない人でした。
よくいえば作品至上主義。
でも、そのことによって、あまりにも多くの人を壊してきたことも事実です。
『火垂るの墓』の作画監督を務めた近藤喜文もそのひとりでした。
最初で最後の監督作となった『耳をすませば』のキャンペーンで仙台を訪れた日の夜、高畑さんのことを話しだしたら、止まらなくなりました。
「高畑さんは僕のことを殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」。
そう言って二時間以上、涙を流していまし た。
彼はその後、病気になり、四十七歳で亡くなってしまいます。
火葬場でお骨が焼き上がるのを待つ間、東映動画以来、高畑・宮崎といっしょに仕事をしてきたアニメーターのSさんがこう言ったんですよ。
「近ちゃんを殺したのは、パクさんよね」。
瞬間、 場の空気が凍りつきました。
ある間をおいて、高畑さんは静かに首を縦に振りました。 どないなっとんのこのスレ
何が四連のトリガーなったんよw 作品のためなら何でもする。
その結果、未来を嘱望された人間を次から次へと潰してしまった。宮さんはよく「高畑さんのスタッフで生き残ったのは、おれひとりだ」と言います。
誇張じゃなく、本当にその通りなんですよ。
高畑さんの下で仕事をすれば勉強になるとか、そんな生やさしいことじゃないんです。
酷使され、消耗し、自分が壊れるのを覚悟しなきゃいけない。
「パクさんは雷神だよ」。
宮さんは最近そう言っていました。
高畑さんが怒るときはい つも本気なんです。
その人を鍛えるため、仕事への姿勢を変えるために言うんじゃない。
本気で怒っているから、何の配慮もしません。
逃げ道も作らないし、あとで救いの手を出すこともない。
だから、怖いですよ。
『火垂るの墓』の製作に携わった新潮社の新田敏さんがいみじくも言っていました。
「松本清張や柴田錬三郎、安部公房、いろんな作家と付き合ってきたけど、あんな人はいなかった。高畑さんと比べたら、みんなまともに見える」
僕もいろんな人を見てきましたけど、高畑さんみたいな人は他にいません。
高畑さん はスタッフに何かをしてもらっても、感謝したことがありません。
いっしょに作品を作っているのだから、監督として感謝するのはおかしいという考え方なんです。
論理的なのかもしれないけれど、人間的な感情に欠ける、破綻した考え方ですよね。 「かつて宮崎駿が脚本・絵コンテを手がけた『耳をすませば』の時、作画を担当した近藤喜文のパンチラ描写に関して激怒したと言われています。
映画ではヒロインの雫がしゃがみ込むというシーンがあったのですが、近藤氏はパンツが見えないように少女が手でスカートを押さえるという演出を行いました。
しかしそのヒロインの演技が宮崎監督には耐えられなかったのです。なぜなら彼はパンツが見たかったというよりも、
少女が下着を隠すというアクションを行うことで、自意識の芽生えたキャラクター像がその瞬間に出来上がってしまうと考えた。
つまりそれが彼の意図したヒロインの性格と異なるため、パンツが見えないことがどうしても許せなかったのでしょう」(アニメライター) おれの姉貴ははじめて見たときからメーヴェに乗ったナウシカはノーパンだと主張していた ちゃんと下調べするより自分の勘違いを優先するあたりが凄いな こういう解説もあるがw
竹針と速さの関係もよくわからないな
宮崎は、竹針を使ってる設定で回転数を速くしたけど、戦時中も鉄針の方が使われてたからその演出が必要なかったってことかね
> 戦争中は、鉄は軍需物資だったためもっぱら竹針が使用された。(金沢蓄音機館 館長ブログ) >>21
ハイジの富野コンテは駿がほとんど書き直して使ってたほぼ同い年の 高畑勲って韓国人でも何でもなかったのか
パクさんってあだ名はややこしいか パンをパクパク食べるからパクさん
今どきはややこしいかもな そこまでキチガイなら離れればいいのに
身を壊してまでそこで仕事したいんだったらご自由にどうぞ 日本みたいなリソースの少ない国だと
マキャベリストに徹しないと良い作品作れないんだよな まあ異常なこだわりがないと
多くの人間の心を揺るがすものはできないみたいだしな 唯一生き残ったハヤオはしっかりとスタッフを殺すのを受け継いだな 駿の高畑信仰は異常だからね
高畑のドキュメンタリー実写映画のために自分の家を抵当に入れて副業みたいな感じで大学の講演とかに出まくってた >>34
「あの頃でまともに使えたのは富野さんの絵コンテだけだった」と宮崎駿が話しているいう証言も
企画展展示のハイジやアンでの富野回絵コンテは結構そのまま使ってたり全面的に描き直されたりとバラバラだけどね >>9
こいつら(大友もちょっとだけいたが)が怨念に近いライバル心剥き出しで競争してたんだからそりゃおもろい物出来るわ80年代~ どんなに興行収入で勝ってても高畑はパヤオのコンプレックスの元だったよな。 こういう昔の人の過激エピソード見ると
実は発達だったんじゃねーの?と思うな
謝らないとか感謝しないって傾向あるよ
そういうのを単なる性格的なものと捉えちゃうとおかしな事になる アレ面白いとよな
ネットで見れる西村pの悲惨日誌もおすすめだわ 鱸Pも常人じゃないからな
まともなのは大塚康生さんだけ やっぱり宮豚ってアレだよね
こんなもの有難がってきたのがどうかしてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています