【嫌儲だじゃれ】石破氏を叩いて渡る [206389542]
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拉孟・騰越の戦い
1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある
拉孟(保山市竜陵県)騰越(同市騰衝市)地区で行われた、日本軍と中国国民党軍・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。
負傷した兵を除くと、まともに戦える戦闘員は実質1000名に満たなかったが、
福岡県出身の現役兵を中心とする56師団は通称「龍兵団」と呼ばれ、
同じく福岡県の第18師団「菊兵団」と並び、日本軍最強とも言われた部隊であった。
一方、拉孟を包囲した敵戦力は、?介石の直系栄与第1師団(日本の近衞師団に相当)を中心とする5個師団。
この軍は、新式装備・兵の質もきわめて優秀な精鋭部隊であった。
敵対比率は50倍以上も開きがあったにもかかわらず、拉孟守備隊は死守を命じられ、
100日間も粘り強く戦闘が行われたのである。
9月7日をもって全戦闘は終結した。1300名の兵力のうち、残存兵力はゼロ、すなわち玉砕であった。
中国軍の捕虜となった傷病者と、本隊への連絡のために軍命によって拉孟を脱出した者が、わずかながら生還している。
一方の中国軍も日本軍の数倍の死傷者を出した。
拉孟の戦いについて9月9日に?介石は次のような"逆感状"をもって雲南軍を叱咤激励した。
この戦いによる中国遠征軍の損害は、総勢21万2500人中 死傷6万3000人(全滅した二個師団を含む数個師団が戦力喪失)であった。 見てないなら払わなくよい仕組みに変えよう 09/18 12時41壺 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています