16世紀の宣教師「日本人は『賢さ=偽装や嘘の上手さ』と思っており、真の思慮深さというものを知らない」 [799215407]
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日本巡察記
アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノ 著 松田毅一 訳
https://www.heibonsha.co.jp/book/b161281.html
P.18より引用
――彼ら(日本人)は偽りの教義の中で生活し、欺瞞と虚構に満ちており、嘘を言ったり陰険に偽り装うことを怪しまない
――(日本人は)陰険に偽り装うことや、胸中に考えていることを外部から覚られないような態度を取ることを思慮深いと考えている。
ちなみにこのヴァリニャーノという宣教師は
「日本でキリスト教を広めたいなら日本の文化に染まるべきだ」と考えていた人で
他の宣教師とは違い日本の服を着て日本の食べ物を食べて生活していた人。
そんな人が最終的に日本人について思ったことが↑。 宣教師なんか嘘を広める最たるものだろ
ホント宗教にハマるヤツって昔からとんでもないクソ野郎ばっか 涅槃はある意味死 を連想する・・・・・
あえて問う・・・・(´・ω・`)
救いを求めるものは一体何を求めているのか?(´・ω・`) 胡蝶の夢
昔者莊周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志與。不知周也。俄然覺、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。
周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。 エゼキエル書
37:1 主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。
37:2 彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。
37:3 彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。
37:4 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。
37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。
37:7 わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
37:8 わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。
37:9 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。
37:10 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。 世界は繋がっているんだ・・・・・(´・ω・`)
youtube Ed Sheeran - Perfect >>900
外国の商人も外交官も領事も軍人も医者も探検家(日本人が大好きイザベラ・バード)も日本人は嘘をつくと言ってる >>860
残念ながら大陸のモンゴル系は白人に近く縄文系は黒人に近い
というか縄文系のハプログループはナイジェリア由来だから黒人そのもの
モンゴル系は金髪も多いしフィンランド人とはハプログループで姉妹関係
https://i.imgur.com/NMxAdlj.jpg >>908
これ単にロシア人と混血でコーカソイド化してるロシア国籍のモンゴル系民族じゃねーの
内モンゴルにこんなモンゴル人いるかよ >>908
プーチンみたいな女のコいて笑う
女性枠の右側の真ん中 外人は嘘つきだーみたいなこと言って反論してる人達に聞きたいんだけどさ
スレタイとは逆に日本は素晴らしいって褒められたらどう思うの? >>910
古い中国の複数の文献に中国東北部には金髪がいると書いてある
最近数万年前のイギリス人のDNAが黒人の特徴だったから金髪はアジアから来たって説すらある 隣人を愛せとか言いながらミサイルぶち込むキリスト教の国よりましだわ
二枚舌で今なお争い続けさせたり だから言っただろ、宗教はクソだと
宗教ほど愚劣で有害なものはない 賢さ=外国人に倣うこと
これをやっている思慮浅薄が>>1とこれに付和雷同する阿呆なんですけどね🤪 宣教師とかいう人類史上最悪のデマを広めにきている人間のクズが
上から目線で語ってるから可笑しいんだわ 宗教とは単に自我と無意識が和解するための道具なんよ
それ以上でもそれ以下でもない
だから本来有害であるはずがないんだ
ところがそんな宗教をそれ以上やそれ以下にして利用したい人達が沢山いるから
本来無害なはずの宗教が有害になってしまうんだ >>918
その外国人への逆らいっぷりでは
人類史の世界チャンピオンが日本だな。
中韓はまだ白人相手の戦争を経験してない。
300年間自国文化を守り通す経験もな。 >>910
あと日本では報道規制されてるけど中国や韓国では数千年前の遺跡からコーカソイドのDNAと骨格をそなえた人骨が普通に出てるからな
ちなみにロシア人の極東進出は約400年前
アジアの白人を気取ってる日本人にとって自分が黒人で中韓が白人に近いのはかなりショックだと思う だからキリストの人生の物語も
禅の十牛図のようなものなんよな
十牛図で旅人が荒れ狂う牛と格闘するとき
仏教修行者はその図に荒れ狂う無意識と格闘する自分を重ねて見る
同様に荒れ狂う無意識と格闘するキリスト者は
十字架に掛かったキリストの苦しみと
無意識と格闘する自らの苦しみを重ねて見る このスレでも対人論証やってるジャップが大量にいるよ🤣
一生やってろ衰退不細工カルトジャップ ただキリスト教が難しいのは
キリスト者の内面をキリストの物語に投影する上において
キリストの物語は十牛図のようにハッキリした時系列を持たないという点にある >>911
確かに似てるけど
赤は女性枠じゃなくてモンゴル人の男女
青は男性枠じゃなくフィンランド人の男女 >>922
いや日本人が憧れてるのは何曜の島国の土人だぜ?
ガングロブームとか覚えてない?
日本人が亜熱帯に適応したために
本来の日焼け耐性を持っていなくて
皮膚がボロボロになるから廃れただけ。
そこらが解決するならみんなこのレベルまで焼きたい。
https://auctions.afimg.jp/b155583029/ya/image/b155583029.2.jpg つまりキリストが十字架に掛けられるのはキリストの物語においては終盤だが
だからといってその時系列性は自分を十字架に掛けている気になっているキリスト者が
修行の終盤にあること意味しないわけだ
むしろそれは信仰の初期段階なのよな >>927は日焼けマシンで強制的に焼いたもんだけど
そもそも大陸人にはこのレベルまでの
メラニン色素がないからここまで焼くことができない。
これも大きな人種の違い。 >>919
日本人を嘘つきと言ってるのは宣教師だけじゃなく外国の商人も外交官も軍人も医者も探検家(日本人が大好きイザベラ・バード)も言ってる
イサベラ・バード『日本奥地紀行』1880年
ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。彼らは風儀を乱し、嘘をつくことを教えるからだ。(p. 136) キリスト教のこの段階は十牛図における牛と格闘している段階に相当する
では十牛図における返本還源の段階は
キリストの物語におけるどの時系列に当たるのか
それはやはりキリストが十字架の責め苦を受けている場面なのである こう言うとじゃあ同じじゃんと思うかもしれない
しかし違うのである
仏教で言う返本還源にあるキリスト者は
最早かつての初期段階のような投影をしない
つまり自分が十字架に掛かっているのではなく
十字架に掛かったキリストを自らが槍でついて責め苦を与えている
そのように感じるようになるのである >>919
宣教師以外にも日本人を嘘つきだと言ってる出典はいっぱいあるよ
あまりに多すぎて全部貼ると迷惑になるから貼れない
タウンゼント・ハリス(米国初代駐日総領事)『日本渡航記』(岩波文庫)
「日本人の嘘つきは底なしである」(下p.182)
「彼らは大の嘘つきである。従って、何時彼らを信用してよいか分からない」(中p.170)
「あらゆる詐欺、瞞着、虚言、そして暴力さえもが、彼らの眼には正当なのである」(中p.250) >>929
必ずしも実際に日焼けしなくても日焼けしたような色付けるメイクもあったような このような意味でキリスト教は傍から見れば不合理なものである
ただ修行者の内面の進展の道標にするだけであれば
十牛図のほうが遥かに優れていると言えるだろう
しかしここで決して忘れてはならない点があるのだ
キリストの物語はイエス・キリストという
実在(多分ねw)の人物が実際に生きた物語であることを >>933
それがどういう状況を指して言ってるのかわからんから何とも言えないね
現代ではたとえば海外(特にアメリカ?)が国際競技のルールを都合よく変更するという話があった
日本が台頭すると日本が活躍できないように変更されたなんて話も
ルールをその都度自分たちに都合よく動かしながらそれで
「ルールに従ってる我らは正しい」みたいな態度だと まあ要は>>920であって
キリスト教は分かりにくいけど
やっぱりそういうもんだってことよな >>921
日本の鎖国は約200年間だ
清、朝鮮、オランダとは交易してたぞ
韓国は江戸時代の間日本同様鎖国してたな
日本は攘夷で白人に負けたけど
韓国は白人に勝ってる
https://i.imgur.com/s3CqXVt.jpg
そして中国と朝鮮は朝鮮戦争で米軍とやりあったが死者や爆弾のトン数は日本の原爆含む戦争の全被害より多い >>937
状況は日本の役人とハリスが外交の話をする時だよ
日本人は全く嘘をつかなくていい場面でも嘘をつくと言ってるから
安倍の答弁みたいのだろ
「我々の他に外国船は来たか?」
「来てません」
「調べたら来てたぞ」
「私が来てないと申したのは外国船とは限らないのでありまして、ご指摘は当たらないのでありますドヤッ」(部下は拍手喝采) 正確には十字架の贖いの意味だけが変わるのではなく
キリストの物語全体の意味が変わる
分かるだろうか?
私(キリスト)が裏切られ官憲に売られたのではなく
私(ユダを始めとした弟子たち)がキリストを裏切って官憲に売ったのである >>934
脱いで遊ぶのがメインだから偽日焼けはハブられる。
当時は日焼けマシンを持ってれば
女子高生が大群で毎晩遊びにきた。
全裸で順番を待ってるから当然そうなる。
野獣先輩のあれはその時代の風刺。 >>940
いや実際にどういうどういう状況をさしてハリスがそう言ったのか
実際のソース見ないと何とも言えないよね
日本人の生活全般からの普遍的な状況を指しての指摘なのか
外交交渉での駆け引き的な話なのかまるでわからん 返本還源においてたち現れて来る美しい自然
それこそがキリスト教におけるキリストなのである
我々の中にある自然を我々は憎み
まるで暴れ牛を取り押さえるかのように意のままに操ろうとする
そうして四苦八苦してようやく分かること
自然は暴れ牛のように我々を困らせていたのではない
全く逆に我々のために我々を導こうとしていたのだ
ああ驚くべきかな
あれほど我々を苦しめ憎んだ内なる自然は
本当は我々を導く父なる神であり美しい自然であったのだ
私は自分の力でここに来たのではなく
ただ偉大な自然に導かれてきただけだったのだ
この気付きこそがキリスト教におけるキリストの復活であり
神との出会いなのである だから仏教とキリスト教は全くの別物じゃないよん
個人的には行き着くところは同じなんだと思いますね 多分ドン引きされてるだろーが
信仰がどんなものか言わんと理解されんからな
日本人にとっての信仰への理解なんて
せいぜい鰯の頭も信心からぐらいのもんで
でもそうじゃない
もうちょっと奥深いもんだと言いたいね 十牛図にまだ先があるように
キリスト教にもまだ先がある
復活したキリストの帰天である
すなわち自らのうちに悟った真実もまた
相対化せねばならないのである
つまり全ては虚妄である
キリスト教的真実もまた
数多ある虚妄の一つに過ぎないのだ もっと牧歌的な宗教を信じていた
縄文人は1万年戦争していない。
今はウクライナとロシアが
キリストの名をかけて殴り合ってわな。 >>949
そーいう意味でも神の絶対性は相対化されんといかんよね
それをせんから神の名の元における戦争などが成り立つんです キリストに導かれた弟子たちは教会を作り
人々の中に入って行きました
しかしそこにはもうキリストはいません
キリストはもう天に帰られたのです
だから人々を導こうととする弟子たちは
キリストに頼ることなく責任をキリストに被せることなく
全く自分自身の責任で教会を頼りとする人々に向き合わねばならないのです 日本はヨーロッパ人を南蛮人、蛮人と呼んでたからそりゃ印象はよくない >>1
その場を丸め込むことが全てだからなあ
「正しさ」とかは興味がないんだよね イデア論の 洞窟の比喩のような虚妄を悟ってなんになるだろうか?
虚妄と断言した時点でそこには迷いがあり
主をうたがう足がかりとなってしまう・・・・・・・・・・・・・(´・ω・`) だから神の名のもとにおいて悪を正当化してはなりません
それは神への責任転嫁であり神への冒涜なのです
悪を行う本当の責任は
神ではなくあくまでも自分自身にあるのですよ ヨハネの福音書
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 バカにされてた日本はそれでヨーロッパへの恨みを募らせてた感じ >>955
そうであるべき対象がなくなるから迷いがなくなるんよ
つまり自由になる >>962
ヨハネの福音書
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 >>963
俺は不可知論者だからな
そもそも人間の認識には限界があるっていう立場だわ
勿論これも絶対ではなく不可知論の立場を取るのは
厳密には信仰の一種だと言えるが
まああれだ
理屈としては明日も今日と同じ物理法則が働くかはわからないが
素朴な感覚としてどーせ明日も変わらないと「信じている」のと同じようなもんだな エゼキエル書
37:4 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。
37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。
37:7 わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
37:8 わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。 >>肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった
・・・・・・・・・・・・(´・ω・`) エゼキエル書
37:9 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。
37:10 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。 あなたはなぜ 目からウロコが落ちたことを ただ知った気になっただけという思いになったのか?(´・ω・`)
なぜあなたは 信じずいつまでも洞窟の比喩を見ているのか?(´・ω・`) ヨハネの福音書
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 さきにすでに書かれていたことをあなたはなぜ読まなかったのか?(´・ω・`) イザヤ書
42:20 彼は多くの事を見ても認めず、耳を開いても聞かない。 あと上で時系列の話をしたが
キリストの物語というのは一種の神話だが
人間の内面を象徴する神話ってのは
上で書いたような意味で
時間軸を超越しとる面があるのよな
逆に言えば人間の内面、無意識というのは時間軸を超越してるとも言える
だから何ていうんだろう
信仰における内面の段階は時間軸に沿って一方通行的に変化していくだけではなく
あらゆる段階が同時に併存してるとも言えるわけよな だからこれもまた止揚なわけだけど
内なるキリストは自らの内にあり
そして同時に天に帰っているわけよな
だからキリストが天に帰った=神を相対化したからと言って
自らの内から神が消え去ったわけでもまたないんだよね
この辺の感覚は理解するのが難しいだろうと思う だから神を相対化したと言っても
それはキリスト教を信じなくなったということではないんですね 迷いがない感覚というのは
それこそよく言われるあるがままで良いという感覚だな
言ったら何かを達成した自信とかのような脆弱な自己肯定感ではなく
絶対に揺らがない完璧に強固な自己肯定感だな 完璧な自己肯定感
これを別の言葉で言えば神への信頼という マタイによる福音書
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
22:38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 >>981
神への信頼とはそういうことだね
神が与えた運命や環境、境遇を心底肯定し愛すること 大事なのは気付きだ
死ぬほど悩み苦しんで考えてもその先に答えはない
でもそれをしないと一瞬の気付きはやって来ない
多分 思うに信仰を得るというのは
起きるべくして起きる
一つの必然的なプロセスであって
信仰を得ようと思って得るようなものではないと思う
信仰を持つようになるってことは
言わば体が寒さでブルブル震えるような
自然なホメオスタシスの一種なんだ だからキリストの力で今の戦争を止めて見せろよ。
ロシアもウクライナもキリスト教ランキングじゃ
上位に来る熱心な狂信者だぞ。 だから寒くないのなら
信仰なんか持たないほうが全く自然なんだ
でもパソコンを作れなくても誰でも利用はできるように
信仰を持たない人にとっても
宗教的な考え方は案外役に立つと思う >>987
皆がキリストやブッダの言うことを本当に信用すれば
戦争なんて起きないのにな >>139
芸能事務所とかを連想させるな。
メディアを使ってあるタレントをでっち上げてテレビワイドショーも便乗して叩き殺して喜んで、視聴者までが後追いする構図な。
真実か虚偽なんてどうでもよくなって、社会的立場を潰して抹殺することが目的になっていく。
大抵は事務所辞めるだけだったりするのに異常な時があったよな >>990
キリスト教徒がマイケルジャクソンやジョニーデップを
社会的に殺したのを忘れたのか? 書き方が悪かったから一応補足するけど
完璧な自己肯定感と言っても
それは小さな点であり細い糸のようなもの
だから自分の人格が全面的に強化されて
まるで超人になるみたいなことを期待したらダメよ
完璧な自己肯定感はその小さな小さな点
つまり神を信頼することで成り立つもので
ずっと言ってるように人間(自我)は本質的に罪を犯す者
つまり本質的にアンチキリストだから
そーいう意味での不安定さは当然あるんだ つまり信仰の恵みというものは
たゆまぬ信仰の上にしか成り立たないものなのですね
俺は変わったからもう信仰やめるわ
みたいなものではないんだよな レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。