https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20220916k0000m040171000c/

27日に営まれる安倍晋三元首相の国葬を外務省が在日ミャンマー大使館に通知したことについて
「市民を弾圧する国軍側を来賓として招くことは国葬開催の理念に反する」と東京都の在日ミャンマー人が抗議している。
くしくも27日は、2007年に反政府デモを取材中に射殺された映像ジャーナリスト、長井健司さん(当時50歳)の15回目の命日。
東京都在住のミャンマー人男性に、長井さんへの思い、国葬通知が持つ問題点について聞いた。

 「ビルマ人として、国軍のしたことは許せない。申し訳ない」

 2007年10月8日。東京都港区の青山葬儀所で営まれた長井健司さん(当時50歳)の葬儀。
喪主を務めた父秀夫さん(2013年に88歳で他界)と母道子さん(同80歳で他界)に向かって、一人の在日ミャンマー人男性が頭を下げた。

 1989年に日本に亡命したウィンチョーさん(57)。
ミャンマーのラングーン工科大学(現ヤンゴン工科大学)の大学院生だった前年の88年、全国規模の民主化運動に参加し、
同級生の友人が殺された。国軍は当時もクーデターで実権を握り、ウィンチョーさんは、
アウンサンスーチー氏らと国民民主連盟(NLD)の設立に参画したことなどで身の危険を感じ、日本に逃れた。

 長井さんの葬儀に赴いたのは「ビルマのために尽くした日本人の両親にどうしても謝りたかった」からだ。
「国軍は『流れ弾に当たった』と平気でうそをついた。両親は深く傷ついているはずだ」と思えてならなかった。

 今月27日で15回目の命日を迎えるが「『ケンジ・ナガイ』を知っているビルマ人は今も多い。
彼の死が世界の目をビルマに向かわせた。私の中で彼はヒーローとして生き続けている」とたたえる。

 現在、東京都の飲食店従業員として働く傍ら、SNSを駆使して、21年のクーデター後に国軍が市民を弾圧する情報を日々、集めている。
兵士らによる暴力や残虐行為の動画や写真を国連に送り続けている。数千件の資料を元に、人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所に国軍幹部らを訴追してもらうためだ。