能ときくと、ゆっくりした動き、低くうなる声などを想像してしまう。だが、しかし! 足利義満や世阿弥の時代、能のテンポは今の2~3倍速かったという衝撃の研究があるらしい。
なぜ今の能は遅くなったのか? さっそく研究者に聞いてみよう。お話を伺ったのは、早稲田大学演劇博物館顧問・早稲田大学名誉教授の竹本幹夫先生。秀吉の時代の資料を集め、当時の速いテンポとメロディーの能を復元した経験がある先生だ。
尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
給湯流茶道(以下、給湯流):今の能に比べて、世阿弥のころの能は2~3倍の速さで演じられたと聞いたことがあります。しかし、映像データが残っていない室町時代のことをどうやって調べているのでしょうか?
竹本幹夫先生(以下、竹本):番組ですね。
給湯流:ばんぐみ?
竹本:室町時代は、1日に10番も演目をやっていたんですね。演目の組み合わせや上演順のことを「番組」といって、開演時刻と終演時刻が書かれた記録が残っているんです。
給湯流:おおお! 今もテレビ番組とか言いますが、元ネタは能なんですね。
竹本:開演時間を演目の数で割ると、2~3倍のテンポだったと推測されます。1つ1つの細かい時間はわからないのですが、おそらく30分で終わる演目もあったでしょう。しかもシテ(主役)がずっと同じ場合もあったんです。
給湯流:え? ずっと世阿弥が主役で、何演目もやってたんですか!? 今じゃ無理ですよね。今の能楽師さんは、1つの演目の主役に集中してるイメージがあります。1日にいくつも主役をやったら疲労で倒れそう……。
竹本:江戸時代の初期には、すでに重くゆっくりした演技をする能楽師がいたようです。「演技がノロすぎる!」と徳川幕府に通報され、約6か月、停職を命じられた能楽師の記録が残っています。
給湯流:幕府に通報! おそろしや……。江戸時代は、能楽師が幕府の管理下におかれていたんですねえ。
竹本:徳川家康が能好きだったのは割と有名ですが、5代将軍・綱吉も能を習っていたんです。ただ、将軍や大名がやる能は軽くて速いテンポだった。江戸時代は、開演・終演時刻が細かく書かれていますから、わかるんです。綱吉は、1曲だいたい35分など、さらっと自分の出番を終えていました。
給湯流:素人がやる能のほうが、テンポが速いんですか!? なぜでしょう。
竹本:玄人の能はどんどん、力をためこむ、力を内向させる演技へと発展していきました。名人は重たい能を演じることができたのです。相撲に近いですかね。でも、素人は力がないので速いテンポでしかできません。
給湯流:なるほど。大物歌手が若かったころのヒットソングを歌うとき、わざとテンポを遅らせて大御所感を出すことがありますよね。それに近いですかね?
竹本:名人は、力を込めた重厚な演技を好んでいきました。ほかの役者との間合いもどんどん遅くなっていく。そんな舞台を見たライバルが「お前、自分に酔ってノロノロ演技しやがって!」と幕府に通報したというわけです。
給湯流:大物歌手がテンポ遅らせて歌う場合も、本人は気持ちよさそうです(笑)。
世阿弥の時代は、能のメロディーがキャッチーだった?
竹本:世阿弥は『風姿花伝』など、たくさんの書物を残していますが、どこにも「力をためろ」とは書いてないんですね。おそらく、江戸時代に名人たちが重たい演技をし始め、まわりの能楽師もマネしてどんどんノロくなっていったんでしょう。
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