「ただの真面目で優しいだけの人間」を卒業するための5つの考え方と6つの方法
ただの真面目で優しいだけの人間。
この言葉にドキッとした男性は多いのではないでしょうか。
「真面目で優しいだけの人間」という評価は言葉だけを見れば良い評価に見えますが、勿論プラスの評価では御座いません。
便宜上「真面目で優しい」と言われておりますが、これは優しい人とも思われておりませんし、真面目な人とも思われていないのです。
それでは「ただの真面目で優しい人」とはいったいどのように思われているのでしょうか?
端的に言えば「無害な人」で御座います。
無害な人と言えば、まだ聞こえは良いかも知れませんが、それはいてもいなくても同じという意味に他なりません。
好かれてもいないし、嫌われてもいない。
つまり「嫌われる」という土俵にすら立てていないので御座います。
確かに「嫌い」という評価はマイナス評価で御座いますが、少なくとも相手の女性から「関心」は持たれているという部分で「いてもいなくても同じ」よりはマシでしょう。
「いてもいなくても同じ」
「あってもなくても同じ」
こういうものに人間は時間やお金を一切割きません。
一方で「不快」という評価であっても、関心さえ持たれていればヒットをする可能性は御座います。
例えば「後味の悪い映画」として名高い「セブン」は世界で3億ドルの興行収入をあげた大ヒット作品。
世界一臭いことで有名なシュールストレミングは美味しいかどうかは別にして、日本でもそこそこ売れております。
不快であっても関心さえ持たれていれば、価値は存在する。
「あってもなくてもも同じ」「関心がない」というのは、人間関係において最低の評価であると言えるでしょう。
https://ueno.link/2019/03/15/mazime/