一般に低所得者層の生徒の成績は、裕福な家庭の生徒よりも悪いといわれている。それは、低所得者層は有能な教師に出会う機会が少なく、低所得者層が通う学校は少ない資金しか得ることができないことが理由とされている。しかし、最近提出された証拠によれば、どちらの説明にも疑問が投げかけられている。
(中略)
--{人種差別と貧困が主犯とされがちだが……}--
では、教育格差の説明が、有能な教師へのアクセスや学校資金の水準で行えないとすれば、それは何なのだろうか?
最近は、人種差別と貧困という2つの答えが提示されている。かつての教育改革者たちは、こうした要因を「言い訳にはならない【略】学校は乗り越えられる」といっていた。だが、結局大きな進展がないことに落胆した多くの人々が、低所得家庭や歴史的に不利な立場に置かれてきたグループの生徒の成績を向上させるには、まずそれらの問題に取り組まなければ不可能であるとの結論に達している。
明らかに、人種差別と貧困に取り組む必要がある。ただし、それは教育成果格差の説明のすべてではないし、それらが「修正」されるまで、教育そのものの修正を待つ必要もないということは大切だ。
まず、人種を取り上げよう。標準テスト(米国で行われている共通学力テスト)では、黒人や褐色人種の生徒たちが白人の生徒よりも集団として低い点数を取るので、本質的に人種差別的であると主張する者もいる。また、多くの教育関係者は、非白人の生徒が学業面で苦しむ最大の理由は、白人の生徒のようにカリキュラムに自分自身や自分たちの文化が反映されていないためだと考えている。
もちろん、標準テストが文化的に偏らないように、またカリキュラムがすべての生徒に「窓」だけでなく「鏡」も提供できるように(外の世界を知るだけでなく自分自身の姿も知ることができるように)、できる限りのことをしなければならない。しかし、何千人もの白人の生徒も、標準テストでは低い点数を取っている。(中略)
黒人やヒスパニック系の生徒の方が白人の生徒よりも読解力の習熟度が低い傾向にあったのは事実だが、低得点の基本的な理由が人種差別だとすれば、なぜこれほど多くの白人の生徒が低得点なのだろうか。
そこで目が向くのが貧困だ。確かに貧困には、ストレスの原因となる食糧難や住宅難などの、学びにくい要因が結びついている。しかし、学力低下の原因は貧困そのものではない、という証拠も存在している。
(中略)
そうではなく、大学教育を受けた親がよく提供するような、学問的な知識と語彙を、学校はすべての生徒に与えることができるということだ。これが、高校生活や人生はいうまでもなく、標準的な読解力テストで良い結果を出すための基本的な要素なのだ。
さまざまな理由で、特に小学校のレベルでは、ほとんどの学校がそれをうまくできていない。小学校では歴史、地理、科学、芸術といった学問的知識を身につけるための教科に生徒を没頭させる代わりに、1日の大半を適当な話題について書かれた読みやすい本を使って、幻の読解「スキル」を練習させることに費やしているのだ。このような標準的なアプローチでは、高校レベルのテキストを理解するために必要な予備知識、あるいは読解テストの文章を理解するために必要な背景知識が身につかないのだ。
小学校低学年から体系的に学問的知識を身につけ、書かれた文章の読み方を教えるという、現在の教師が十分な訓練を受けていない、根本的に異なる種類の初等教育カリキュラムに切り替える学校が増えている。また高学年では、生徒がカリキュラムに期待されていることを学ぶのを妨げている知識のギャップを特定し埋め合わせるために、明確で慎重に順序立てられた文章作成(ライティング)指導が行われ始めている。しかし、こうしたアプローチは、まだまだ一般的なものとはいえない。
確かに有能な教師は必要だが、教師が有能になるための最善の方法は、知識を得るためのカリキュラムと、それをうまく体得させるためのトレーニングを提供することだ。確かに、公平で十分な学校予算は必要だ。しかし、それを賢く使う方法を知らない限り、大きな違いは生まれない(そして、良いカリキュラムのコストは悪いカリキュラムのコストと変わらない)。
もちろん、人種差別や貧困と戦うことは必要だが、同時に、学校がすべての生徒を真に教育するために、何をどのように教えるかを変えなければならない。もしそうでなければ、仮に人種差別や貧困を何とかなくすことができたとしても、より公平な教育制度や社会をつくるには、実はそれだけでは不十分だということがわかるだろう。
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https://forbesjapan.com/articles/detail/50521