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【悲報】戦前の山県有朋の国葬ですら帝国議会の承認を得ていた [115996789]
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2022/09/30(金) 16:27:31.63ID:c5e2j0jHr●?2BP(2000)

「国葬」 戦前は国会で予算承認 国威発揚のセレモニー
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2022/09/30(金) 16:27:53.32ID:c5e2j0jHr?2BP(1000)

■志學館大(鹿児島市)・茶谷誠一教授に聞く

 日本の国葬の歴史や時代背景について、志學館大学(鹿児島市)の茶谷(ちゃだに)誠一教授(51)=日本近現代史=に聞いた。

-明治維新以降、政府が国葬を実施した狙いは。

 「明治以降、天皇中心の近代国家建設に貢献した人物に対し、慰霊と顕彰をするという意味合いが強い。天皇の特旨を賜り、臣民(国民)が見送る。国威発揚のための見せるセレモニーであり、一種のプロパガンダ。海外に向け文化的な国家であることも発信できた」

 「国葬の端緒は大久保利通の葬儀だった。当時は新政府への不満が残っていたが、国を挙げ大々的に見送ることで、偉大な功臣を不平士族が暗殺したと国民に見せつける効果もあった」

 -戦前には国葬令もあった。

 「第1条にあるように、まずは天皇の葬儀である『大喪儀』を国葬と位置付ける狙いだった。その背景には、体調がすぐれない大正天皇の代替わりに向けた備えがあった」

 「注目すべきは、国葬の費用は帝国議会の承認を得ているという点だ。山県有朋の国葬=1922(大正11)年=でも予算を議会が承認している。実施に反対論があったことも新聞記事に残っている。閣議決定で押し通し、概算費用を公表するだけの現代の政府とは大違い。100年前の方が民主的な手続き、議論をしていると感じる」
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