サポーターの暴動、繰り返されるサッカー界 318人死亡ケースも

1日夜にインドネシアで行われたサッカーの試合後に暴動が起き、サポーター150人以上が死亡した。

【催涙弾が発射されたサッカー場】

 サッカー界ではスタジアムで多くのサポーターが犠牲になる事故が繰り返されてきた。

 英BBC放送によると、1964年5月にペルーであった東京オリンピック南米予選では318人が死亡し、500人以上が重傷を負う事態が起きた。ライバル・アルゼンチンとの一戦でペルーのゴールを認めなかった主審の判定に対する地元ファンの抗議がきっかけだった。

 85年5月にブリュッセルのヘイゼルスタジアムで開催された欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)決勝では、リバプール(イングランド)のサポーターがスタンドのフェンスを倒し、ユベントス(イタリア)のファンと衝突。39人が死亡するなどして「ヘイゼルの悲劇」と呼ばれ、暴徒化するファン「フーリガン」が国際的に問題視されるきっかけとなった。

 89年4月に発生した「ヒルズボロの悲劇」もサッカー界で広く知られている。

 イングランドのヒルズボロスタジアムで行われたイングランド協会(FA)カップ準決勝のリバプール―ノッティンガム・フォレスト戦。収容人数を超えるサポーターがゴール裏に集結し、折り重なった90人以上の観客が死亡した。

 2012年2月にはエジプトのポートサイドで、相手側の選手を襲撃しようとしたファンとそれを守ろうとしたファンが衝突し、74人が死亡した。【細谷拓海】

https://news.yahoo.co.jp/articles/0294a4d63eba26dbcd7b30b1e4693cd3b7c21722