作家「マドンナのインスタグラムを見るたびに悲しい気持ちになる。彼女の性表現が自傷行為に見えてしまう。」 [932029429]
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マドンナの“変わらない”姿に胸がザワつく理由 ずいぶんと遠回りしたフェミニズムを振り返る
https://dot.asahi.com/dot/2022100500021.html
マドンナのインスタグラムを時々見ては、胸を一人ざわつかせている。
ボディーコンシャスな服で胸を強調し、セックスを直接的に表現する腰つきで踊り、分厚い唇を挑発的にカメラに押しつけ、股を大きく広げ口を半開きにするマドンナ、64歳。1980年代と変わらずに、セックスを過剰に表現しようとするマドンナに対して、「優雅に年を取ってほしかった」「これ以上、見たくない」という冷ややかな声は決して少なくなく、マドンナは醜形恐怖症ではないかと指摘する声も年々大きくなっている。
60代は60代らしく……とは全く思わないが、それでも、世界史上最も売れた女性アーティストですら、女が年を取るのはこれほど難しいのかと、マドンナがインスタグラムに新しい投稿をする度に、穏やかな気持ちではいられない私もいる。
マドンナは何一つ変わっていないというのに、なぜ悲しい気持ちになってしまうのだろう。
80~90年代、マドンナは性産業で働く女性やマイノリティーたちの代弁者のように存在していた。ボンデージを身にまとい、開脚した状態で激しい上下運動を見せる姿からは、セックスを恐れず、性的欲望の対象になることを自ら選択し、それ故に自由であることを世界に発信していた。マドンナほど、セックス=パワーというメッセージを発信した女性アーティストは他にいない。90年代に女性向けバイブを売り始め、セックスにポジティブでありたいと仕事を始めた私だって、確実にマドンナの影響をどこかしら受けているはずだ。
それでも今はどうだろう。マドンナはマドンナであることを貫いているだけだというのに、若い男とのキスや、腰を激しく振るインスタグラムから感じるのは自由やパワーというよりは、自傷行為に見えてしまうのはなぜなのだろう。
(略)
ポルノに出演したり、性産業で働いたりすることは、女性の主体的な選択として全肯定すべきなのだろうか。「あなたの選択」とされてきた一つ一つにひそむ罠を、シーラ・ジェフリーズ氏は執拗に解き明かそうとする。なぜなら、もし、マドンナ的な生き方が女性をエンパワーしたというのなら、いまだに女性たちがいばらの道を歩いている説明がつかないからだ。巨大化する性産業、美容産業、ファッション産業によって女性たちは解放されたというより、より食い物にされているのではないか、と。
マドンナ自身は、自身が味わっている年齢差別について機会があるごとに発言している。マドンナのセックスアピールは今やエイジズムとの闘い、ということでは筋は通っているのだろう。それでも、マドンナがマドンナであり続ける限り、それが若さと美への強迫観念に見えてしまうほどに、リアルワールドで女はセックスに疲れているのかもしれない。魅力的であるためにやるべきことがあまりに多く、苦しいのかもしれない。だから、マドンナを直視できなくなっている女たちは少なくないのではないか。
マドンナの登場から40年、女性解放の思想はどこに向かっているのだろう。マドンナの今を見つめながら、「女の時代」と言われた80年代から今まで、フェミニズムはずいぶんと大きな遠回りをしてきたのかもしれない、という気持ちにもなってくる。
(略) そういうことで地位と名声を得てきたわけだからなかなか手放せないんだろう
呪いのようなものでわ 別に何とも思わないけど? 本人が好きでやってんだから自由にさせておけよ
日本にも年甲斐もなくアイドルみたいのしてるの一杯いるじゃん 強い女がカッコいいという価値観の世の中もなんだかしんどいよな 最近のフェミニズムって化粧もしなくていいしマン毛も腋毛も処理しなくていい今までの女らしさと決別しろってのが主流
別にそれは好きにすればいいけど、マドンナお前もそうしろと言いたくてたまらないのがこの文章から感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています