「祝電を打ったから」で糾弾するのはいかがなものか

ひと口に宗教といっても、いろいろあります。
私はごく普通の宗教団体と、社会通念上認められないような悪徳商法を、一緒に議論してはいかんと思います。
国が認めた宗教法人として活動していることは、認めなければいけません。
ただし、その宗教法人が霊感商法などのあるまじき行為をやっているのなら、その部分を法律できちっと処理することです。
信仰とは別の問題のはずだからです。

信仰の自由は憲法で認められているのですから、誰しも口が挟める話ではありません。
信仰と社会的な問題の間に、きっちり線を引いて議論すべきです。

政治家が反社会的な団体や行為に加担することは、あってはなりません。
しかし最近の風潮は、霊感商法の片棒を担いだというならともかく、祝電を打ったくらいで糾弾する。
これは、いきすぎではないでしょうか。


政治家が有権者を選ぶことはできない

一般論として、政治家の元にはいろいろな人が出入りします。
さらに言えば、「応援しますよ」と言われて「うちは間に合っていますから、結構です」と断われる政治家は、
そうそういないでしょう。「よろしくお願いします」と答えるのが常です。

なぜなら、有権者は政治家を選べますが、われわれ政治家は有権者を選べないからです。
政治家というのは1票でも欲しい。1票差でも負けるときは負けるんですから、「選挙の手伝いに行きますよ」と言われたら、
「ありがとうございます」と受けるものなんです。
https://president.jp/articles/-/62357?page=1