【画像】「魏志倭人伝」時代の倭国をわかりやすく図解しました [237216734]
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紀元57年に金印を印綬されていた「奴国」を比定した那珂比恵遺跡群の解説文
畿内に纏向が出来る100年前には既に計画都市が完成していた様です
https://i.imgur.com/PnlPL3D.jpg 自国の歴史が他国の史書にしか無いってゴミみたいな国だよな
ドングリ云々じゃなくその千年前の事すら記録されてる国が真横にあるのになぜ見習わなかったのか この頃は東北あたりまでアイヌがいたんよな
ネトウヨには悪いけど ヒナモリがいるんだから辺境だよな
州刺史と似たような「一大率」というのも代理的行政中心のことだろうし、のちの筑紫太宰がまさしくそうであったように本家が別にあることを示す >>5
てかさ、前の王朝滅ぼして、じゃー前の王朝の歴史書作るかってなるのがえらいとこよ
内容の正しさはともかくね、どうせこれこれ立派な王者が開闢したものの末期はひでーありさまで、おいらっちが困難の結果新王朝を易姓革命しましたよっとって話になるわけだから 卑弥呼の時の邪馬台国は北九州その後台与の時代に東遷して大和朝廷になったというシンプルな話だよ 500-700年に太宰府に当時最大の区画都市と城郭作ってる遺跡が出てきたんだが まず出雲の支配地が鳥取含んでる時点で読む価値ねえよ こんな強国なら魏に臣下の礼しなくてもええな
あと、手を焼いてる南の某国なんか鎧袖一触たろ
そもそも争いの形跡もないだろ畿内 邪馬台国時代の山陰は畿内より九州の影響がはるかに大きく
その時点でこの畿内説は終わってるな 大体あってると思うよ
ただ瀬戸内の制海権を支配してても
出雲や土佐は外国
吉備とかも外国なんでは 九州南部はわからなくて空白なのに静岡まで国名がわかるとかすげーな >>15
国家権力の形成課程では
倭の五王の頃は弥生時代とは完全に別の時代やろ >>17
親魏大月氏王って知ってる?
インド北部支配してた大国のクシャーナも魏に臣下の礼取って印綬されてるよ 人口考えると九州邪馬臺国は考えづらいね
流石に小国すぎる。ムラ規模
西暦200年人口推定
東奥羽: 3万
西奥羽: 5000
北関東: 4万
南関東:6万
北陸: 2万
東山(甲斐信濃飛騨): 8万5000
東海: 5万5000
畿内: 3万
畿内周辺(近江伊賀伊勢志摩紀伊淡路播磨丹波): 7万
山陰: 2万
山陽: 5万
四国: 3万
北九州: 4万
南九州: 6万5000
総数60万
鬼頭宏,「明治以前日本の地域人口」 >>5
それ言ったら朝鮮は最古の自国の史書が1100年代になるけど
但馬は弥生時代末期には鉄器の出土が多くなり、隣の丹後半島と合わせると二世紀の鉄器出土量は九州を凌ぎ日本一だ
投馬は但馬だと思う 一番鉄器出てるのは但馬
だから5万戸の投馬は但馬。ど田舎九州や出雲ではない >>23
後漢とサーサーン朝に敗北したのも知ってますよ >>30
やっぱり知らないじゃん
親魏大月氏王の大月氏ってクシャーナ朝のことだよ >>30
いや失礼しました
私が間違っていました
それでもクシャーナ朝は超大国ですよ
支配範囲はインド北部全体から中央アジアにまでかけてですから >>17
当時は帯方郡が復活して韓を併合しながら南下してる。九州諸国は恐れて畿内や中国地方と同盟したのだろう
そして攻めてこられない様に大国「女王国」を装いながら親魏倭王印を貰うという感じか 当時は一番奥地と思われてた奈良県の山の中に卑弥呼をかくまってた感じなのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています