ブ レジネ フに とって、政 権維 持 のた めに はあ る
程 度 の食生 活水 準、 と くに食 肉消 費水準 を ソ連 国
民 に保 障す るこ とが必要 で あった。 ポー ラン ドの
食 肉暴 動 に見 られ る よ うに、食 生活 の低 下 は政権
を不安定 的 に させ る大 きな要因 とな る。 また ブ レジネ フ政 権 に とって 、米 ・ECを うま く競争 させて 、
輸 出補 助金 付穀物 を国際 市場 か ら手 当てす るこ と
は必ず しも高 くつ く政策 で はな か った。 効率 の悪
い コル ホー ズ・ソフホー ズの経 営建 直 しの ため に、
補 助金 をどん どん つ ぎ込 み 、赤 字補 填す るよ りも
穀物 を輸入 した方 がむ しろ安 上 が りで あ った。 た
だ しこの場 合 、外貨 が十 分 に あ るこ とが大 前提 と
な る。
72年 以降 、穀物 のみ な らず、畜 産物 、油料種 子、
砂糖 等 、 ソ連 の農 産物 輸 入 は急 増 す る。 自国 の農
業 を育 てて 可能 な限 り自給 しよ うとい うス タン ス
か ら食 糧 輸入 政策 に方 向転 換 した の であ る。 そ う
して農 業 の生 産基 盤 そ の もの よ りも、 加 工 ・流通
面 に政 策 の 目が 向け られ る よ うに な る。 生産 基盤
を充 実 させ るた めの投 資 はな お ざ りに され て、加
工 部 門 への投 資が 強化 され るよ うに なる。思 うに
ブ レジネフが強 力 に進 めた農 工 コン プ レ ックス化
政 策 のね らい は、 ま さに加工 部 門へ の重 点投 資 に
あ った。川 下 の加工 部 門に プ ラス とな る限 り、川
上 の農 産原 料 は必ず しも国産 で あ る必要 は ない。
安易 な農産 物 輸入 政策 に転 換 した結 果 、農産 物
の 生産 量は 減退 した。穀物 生産 は低迷 を続 け 、 ブ
レジネ フ政権 の 末期1980年 には と うと う穀 物統 計
を公 表 しな くな った 。米 国農務 省 の推 定 では81~
85年 の年平 均 穀 物 生産 量 は1億8,000万 トン と さ
れ る。 ソ連 で油料 種子 の代 表 で あ る ヒマ ワ リ生 産
量 は1966~70年 平均 は639万 トンで あ った が、71
~75年 には597万 トン、76~80年 には531万 トン、
81~85年 に は496万 トンと大 き く落 ち込 んだ 。 砂
糖 原料 であ るテン サ イ生産 量 は66~70年 平均 で は
8,110万 トンであ った が、81~85年 で は7,690万 ト
ンにな った。 ジャガ イモ生 産量 は66~70年 平 均 で
は9,480万 トンで あ ったが 、81~85年 には7,830万
トンに減少 した。 もっ とも畜産 部門 の生 産量 の落
ち込 み はな かった。 これは 飼料 穀物 を大 量 に輸入
した か らであ る。
「糧 道」 を握 られ た ソ連 は ア メ リカ に対 して だ
んだ ん ものが言 えな くな る。 逆 オ イル シ ョックに
よ って外貨 が どん どん減 り、輸 入穀物 の 手 当て が
むず か しくな る。 自給政 策 の放棄 と と もに国 内 の
農 業生 産基 盤 は減退 し、加 えて ペ レス トロイカ が
もた ら した 生産 ・流 通面 に よ る混 乱 に よ って 、政
府 に よ る穀 物調達 量 も低 下す る。1985年 の穀物 調
,達 量 は ほぼ7,400万 トンで あ った が、88年 に は6,100万 トン、89年 に は5,900万 トンに まで低 下す る。
計 画経 済 システ ムが崩れ て い く中 で公然 と穀物 の
供 出拒 否 をす る地 域 も出て くる。
は たせ る かな1972年 以 降、 ソ連 がア メ リカの食
糧 の傘 の 中に組 み込 まれ るプ ロセ スに おいて 、国
際 政治 の さ まざ まな面 で ソ連 はア メ リカに譲歩 し
て い く。72年 の その年 にブ レジネ フはそ れ まで拒
否 しつづ けて きた ア メ リカか らの提案 で あ る戦 略
兵器 制 限交渉 の開 始 に同意 し、 以後 ア メ リカ主 導
で 交渉 は展 開す る ことに な る。 西側 に歩 み寄 ろ う
と した ゴル バ チ ョフの新思 考外交 もその遠 因 は ア
メ リカに 「糧道 」 を握 られ た こ とにあ る。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees1972/1992/21/1992_21_58/_pdf/-char/ja