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研究者「ソ連崩壊の最大の要因は食糧自給率の低下、石油高騰で調子乗って穀物大量輸入畜産推進してたら石油下落で詰んだ」 [623230948]
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2022/10/12(水) 14:04:41.90ID:Po+mOqzD0?2BP(1000)

ブ レジネ フに とって、政 権維 持 のた めに はあ る
程 度 の食生 活水 準、 と くに食 肉消 費水準 を ソ連 国
民 に保 障す るこ とが必要 で あった。 ポー ラン ドの
食 肉暴 動 に見 られ る よ うに、食 生活 の低 下 は政権
を不安定 的 に させ る大 きな要因 とな る。 また ブ レジネ フ政 権 に とって 、米 ・ECを うま く競争 させて 、
輸 出補 助金 付穀物 を国際 市場 か ら手 当てす るこ と
は必ず しも高 くつ く政策 で はな か った。 効率 の悪
い コル ホー ズ・ソフホー ズの経 営建 直 しの ため に、
補 助金 をどん どん つ ぎ込 み 、赤 字補 填す るよ りも
穀物 を輸入 した方 がむ しろ安 上 が りで あ った。 た
だ しこの場 合 、外貨 が十 分 に あ るこ とが大 前提 と
な る。
72年 以降 、穀物 のみ な らず、畜 産物 、油料種 子、
砂糖 等 、 ソ連 の農 産物 輸 入 は急 増 す る。 自国 の農
業 を育 てて 可能 な限 り自給 しよ うとい うス タン ス
か ら食 糧 輸入 政策 に方 向転 換 した の であ る。 そ う
して農 業 の生 産基 盤 そ の もの よ りも、 加 工 ・流通
面 に政 策 の 目が 向け られ る よ うに な る。 生産 基盤
を充 実 させ るた めの投 資 はな お ざ りに され て、加
工 部 門 への投 資が 強化 され るよ うに なる。思 うに
ブ レジネフが強 力 に進 めた農 工 コン プ レ ックス化
政 策 のね らい は、 ま さに加工 部 門へ の重 点投 資 に
あ った。川 下 の加工 部 門に プ ラス とな る限 り、川
上 の農 産原 料 は必ず しも国産 で あ る必要 は ない。
安易 な農産 物 輸入 政策 に転 換 した結 果 、農産 物
の 生産 量は 減退 した。穀物 生産 は低迷 を続 け 、 ブ
レジネ フ政権 の 末期1980年 には と うと う穀 物統 計
を公 表 しな くな った 。米 国農務 省 の推 定 では81~
85年 の年平 均 穀 物 生産 量 は1億8,000万 トン と さ
れ る。 ソ連 で油料 種子 の代 表 で あ る ヒマ ワ リ生 産
量 は1966~70年 平均 は639万 トンで あ った が、71
~75年 には597万 トン、76~80年 には531万 トン、
81~85年 に は496万 トンと大 き く落 ち込 んだ 。 砂
糖 原料 であ るテン サ イ生産 量 は66~70年 平均 で は
8,110万 トンであ った が、81~85年 で は7,690万 ト
ンにな った。 ジャガ イモ生 産量 は66~70年 平 均 で
は9,480万 トンで あ ったが 、81~85年 には7,830万
トンに減少 した。 もっ とも畜産 部門 の生 産量 の落
ち込 み はな かった。 これは 飼料 穀物 を大 量 に輸入
した か らであ る。
「糧 道」 を握 られ た ソ連 は ア メ リカ に対 して だ
んだ ん ものが言 えな くな る。 逆 オ イル シ ョックに
よ って外貨 が どん どん減 り、輸 入穀物 の 手 当て が
むず か しくな る。 自給政 策 の放棄 と と もに国 内 の
農 業生 産基 盤 は減退 し、加 えて ペ レス トロイカ が
もた ら した 生産 ・流 通面 に よ る混 乱 に よ って 、政
府 に よ る穀 物調達 量 も低 下す る。1985年 の穀物 調
,達 量 は ほぼ7,400万 トンで あ った が、88年 に は6,100万 トン、89年 に は5,900万 トンに まで低 下す る。
計 画経 済 システ ムが崩れ て い く中 で公然 と穀物 の
供 出拒 否 をす る地 域 も出て くる。
は たせ る かな1972年 以 降、 ソ連 がア メ リカの食
糧 の傘 の 中に組 み込 まれ るプ ロセ スに おいて 、国
際 政治 の さ まざ まな面 で ソ連 はア メ リカに譲歩 し
て い く。72年 の その年 にブ レジネ フはそ れ まで拒
否 しつづ けて きた ア メ リカか らの提案 で あ る戦 略
兵器 制 限交渉 の開 始 に同意 し、 以後 ア メ リカ主 導
で 交渉 は展 開す る ことに な る。 西側 に歩 み寄 ろ う
と した ゴル バ チ ョフの新思 考外交 もその遠 因 は ア
メ リカに 「糧道 」 を握 られ た こ とにあ る。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees1972/1992/21/1992_21_58/_pdf/-char/ja
0004⚒敢为革命的祖国败北 退废独占资本突破 労農運動万岁⚒ (ブーイモ MM86-UaUq)
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2022/10/12(水) 14:10:44.06ID:XBa4PXb9M?2BP(1000)

そうですね
逆に日本はプラザ合意の円高不況を原油安で相殺、むしろ輸入物価下落で内需を拡大させまくる大成長の契機となった

しかし1991年の湾岸戦争で原油価格は一気に3倍に跳ね上がる。
当時総量規制やバブル潰し(金融引き締め)を進め停滞し始めた日本経済に資源高が直撃
企業利益はみるみる減少していき日本経済崩壊

という流れ
0005⚒敢为革命的祖国败北 退废独占资本突破 労農運動万岁⚒ (ブーイモ MM86-UaUq)
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2022/10/12(水) 14:12:49.54ID:XBa4PXb9M?2BP(1000)

あと産業構造が重工業に偏重していたから、ゴルバチョフの軍縮で更に経済が悪化するという末期症状を呈していた
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2022/10/12(水) 14:17:00.30ID:4vthkilla
今と同じみたい
だからウクライナ侵攻
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2022/10/12(水) 15:21:43.53ID:g45zNfVba
>>5
けど軍縮しなければアフガン戦争の債務で財政破綻の道だったぞ
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2022/10/12(水) 15:26:13.07ID:99DLmOlS0
>>3
読み応えあったが
お前らどんだけ長文読めなくなってるんだよ
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2022/10/12(水) 15:32:04.81ID:QIwNd0t1d
たまにこういう書式ぶっ壊れてるサイトあるよな
小さなふりがな振られててめちゃ読みにくい
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2022/10/12(水) 15:35:52.89ID:cAFUn4430
スペース入れられている位置がめちゃくちゃで脳が受け付けない
0013番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ cbd1-zauZ)
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2022/10/12(水) 15:47:04.25ID:2w+CXOQ40
>>11
ブレジネフにとって、政権維持のためにはある
程度の食生活水準、とくに食肉消費水準をソ連国
民に保障することが必要であった。ポーランドの
食肉暴動に見られるように、食生活の低下は政権
を不安定的にさせる大きな要因となる。またブレジネフ政権にとって、米・ECをうまく競争させて、
輸出補助金付穀物を国際市場から手当てすること
は必ずしも高くつく政策ではなかった。効率の悪
いコルホーズ・ソフホーズの経営建直しのために、
補助金をどんどんつぎ込み、赤字補填するよりも
穀物を輸入した方がむしろ安上がりであった。た
だしこの場合、外貨が十分にあることが大前提と
なる。
72年以降、穀物のみならず、畜産物、油料種子、
砂糖等、ソ連の農産物輸入は急増する。自国の農
業を育てて可能な限り自給しようというスタンス
から食糧輸入政策に方向転換したのである。そう
して農業の生産基盤そのものよりも、加工・流通
面に政策の目が向けられるようになる。生産基盤
を充実させるための投資はなおざりにされて、加
工部門への投資が強化されるようになる。思うに
ブレジネフが強力に進めた農工コンプレックス化
政策のねらいは、まさに加工部門への重点投資に
あった。川下の加工部門にプラスとなる限り、川
上の農産原料は必ずしも国産である必要はない。
安易な農産物輸入政策に転換した結果、農産物
の生産量は減退した。穀物生産は低迷を続け、ブ
レジネフ政権の末期1980年にはとうとう穀物統計
を公表しなくなった。米国農務省の推定では81~
85年の年平均穀物生産量は1億8,000万トンとさ
れる。ソ連で油料種子の代表であるヒマワリ生産
量は1966~70年平均は639万トンであったが、71
~75年には597万トン、76~80年には531万トン、
81~85年には496万トンと大きく落ち込んだ。砂
糖原料であるテンサイ生産量は66~70年平均では
8,110万トンであったが、81~85年では7,690万ト
ンになった。ジャガイモ生産量は66~70年平均で
は9,480万トンであったが、81~85年には7,830万
トンに減少した。もっとも畜産部門の生産量の落
ち込みはなかった。これは飼料穀物を大量に輸入
したからである。
「糧道」を握られたソ連はアメリカに対してだ
んだんものが言えなくなる。逆オイルショックに
よって外貨がどんどん減り、輸入穀物の手当てが
むずかしくなる。自給政策の放棄とともに国内の
農業生産基盤は減退し、加えてペレストロイカが
もたらした生産・流通面による混乱によって、政
府による穀物調達量も低下する。1985年の穀物調
,達量はほぼ7,400万トンであったが、88年には6,100万トン、89年には5,900万トンにまで低下する。
計画経済システムが崩れていく中で公然と穀物の
供出拒否をする地域も出てくる。
はたせるかな1972年以降、ソ連がアメリカの食
糧の傘の中に組み込まれるプロセスにおいて、国
際政治のさまざまな面でソ連はアメリカに譲歩し
ていく。72年のその年にブレジネフはそれまで拒
否しつづけてきたアメリカからの提案である戦略
兵器制限交渉の開始に同意し、以後アメリカ主導
で交渉は展開することになる。西側に歩み寄ろう
としたゴルバチョフの新思考外交もその遠因はア
メリカに「糧道」を握られたことにある。
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2022/10/12(水) 16:15:31.28ID:XrwKFDk80
>>1
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