リズミカルにドリブルし、しっかりと添えた両手で放ったボールは、ネットを揺らした。「シュートが入るのが一番楽しい」。
年齢と同じ背番号97のユニホームを着た在間さんは18日、札幌市手稲区の体育館で声を弾ませた。
同市のシニアチーム「札幌ロートルズ」に所属し、日本バスケットボール協会によると、1925年(大正14年)生まれの在間さんは、登録する競技者で最高齢だという。
和寒町の出身で、尋常小学校の恩師に「バスケをやれば身長が伸びる」と言われ、12歳で始めた。現在の身長は1メートル58とあまり伸びなかったが、札幌師範学校に進学後もガードのポジションで競技を続けた。
「戦前は片手でのシュートは生意気だ」と教えられたといい、両手で放るジャンプシュートを磨いた。
戦時中、外来競技のバスケは「敵性スポーツ」で、43年以降は対外試合が禁止され、「練習で上手になったのに、それを発揮できなかった」。
悔しさを胸に、仙台市の予備士官学校で終戦を迎えた後は、道内の中学や高校で体育教諭を務め、指導者の道を歩んだ。
「やめずに続けていれば、きっと報われる」と子供たちに説き、16年間バスケ部の顧問を務めた旭川商業高では、全国大会に導いた。定年退職後、「バスケを続けられる場所を」と教員OBらと「札幌ロートルズ」を発足させた。
チームには現在、平均年齢74歳の男女約40人が所属し、週に1度、体育館で練習している。在間さんは90歳代になって体力や反射神経が落ち、試合には出場しないが、練習に毎回参加し、後輩にアドバイスを送る。
「バスケを通じて全国で様々な出会いがあり、自分に親しみを持ってくれた」ことが、85年に及ぶ競技生活の一番の誇りだと胸を張る。
https://www.yomiuri.co.jp/local/hokkaido/news/20220919-OYTNT50186/
https://youtu.be/dZ80V1bQy-0