1970年、ゴードンはニューヨークに移り住み、ライヴハウスCBGBでいち早く地位を確立したパンクバンド、Tuff Dartsに加入。1976年、地元のさまざまなバンドが参加したライヴ・コンピレーション・アルバム『Live at CBGB's』にも参加した。
77年、ゴードンは、ブロンディやラモーンズのキャリアを後押ししたプロデューサーのリチャード・ゴッテラーと出会い意気投合。ギタリストでインストゥルメンタル・ロックの先駆者であるリンク・レイと正統派のロックンロール/ロカビリースタイルの音楽を作ってみないかと勧められる。1977年に『Robert Gordon With Link Wray』をリリースした。同年にエルヴィス・プレスリーが亡くなった後、より注目を集めるようになり、シングル「Red Hot」はロカビリー・ナンバーとしては珍しく、ラジオで頻繁にオンエアされた。
ゴードンはその後、RCAから1979年の『Rock Billy Boogie』、1980年の『Bad Boy』、1981年の『Are You Gonna Be the One』と3枚のアルバムをリリースした。『Are You Gonna Be the One』に収録された、マーシャル・クレンショー作の「Someday, Someway」はシングルカットされ、マイナー・ヒットとなった。アルバムも20万枚を売り上げてゴードン最大のヒットとなった。