江戸時代の食事、ヤバすぎる [581480879]
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>>89
タンパク質を中心とした栄養失調
これは欧米でも同じで肉の摂取量の少ない時代は低身長化が進んでて
ペストで総人口が減って一人頭の摂取量が増えた頃は長身長化が進んでいる >>747
江戸の街中だとそんなに歩かない人もいたんだろう
それで何合も食べてたらそうなる >>749
パックごはんはチンせんとあかんのやでw >>750
オランダ人も一時期は背がかなり低かったらしいな >>721
清酒って日本酒か
不味そうなやつ買って江戸に思いを馳せるか >>747
不味くて炊くのに時間かかって血糖値上がる玄米さん😅 江戸時代とか本当に悲惨だよな こんな粗末な飯、多分現実はもっと劣悪で
まともな医療も受けられず、体壊して働けなくなったらそのまま野垂れ死だったんだろ。
ほとんど結婚も出来ず生涯独身で死んでた奴も多かったわけだ。
今の日本の底辺の生活だろうとこれより圧倒的にマシだし、
自殺したいとか一ミリも思わないんだわ。
当時の江戸時代のワープアが現代に転生したら「なんて夢の世界なんだ」と思っただろうな。 >>99
バブル崩壊後からだけど江戸の幻想を打ち砕く発掘が進んでる
樽に詰め込んだ屈葬とかが多く見つかってる >>757
天領なら税金安いから割と裕福に暮らせてる
薩摩の農民とか松前のアイヌ人とかだと悲惨 >>758
時代劇でも基本樽に遺体入れてた気がするが >>749
レンチンパック高いぞ結構。卵かけご飯2杯めです。 >>757
ネトウヨファンタジーじゃない真っ当な日本の歴史を知ると
現代がいかに物資に恵まれているかが分かる
戦後より前は庶民にとっては文明と言えるレベルじゃねえ >>487
すごい悲しい話だな
パックごはんも強化米の時代本当に来るかもな
給食に強化米という名のビタミンB1添加米使ってるところは多い
ちな貧乏人御用達のカップラーメン類に
ビタミンB1入れてるのはカッケ防止のため
1970年の若者にも流行したわーくに >>747
これはマジ。 健康のためとかいって玄米食ってたら糖尿になった。
GI値が玄米は低いって話なのに血糖値も自分で測って白米と大差がなかった。
押し麦入れた麦飯に変えたらら少しマシになったわ。
最近の玄米は精米技術があがったからなのかぜんぜんボソボソしてないんだよね
昔の玄米とたぶん別物だよ いやいや田舎じゃ米作してるだけやない
里芋やネギが植えてあるし梨とかもあるえーって思うことが多いw 現代ジャップの俺たちも物価が上がりすぎて米しか食えなくなるよ
しかも玄米より栄養価の低い白米
もう終わりだよ >>728
全粒粉とか黒砂糖を精白すると危険な食い物になるのと同じ理屈だな
まあ玄米の場合は糠部分に農薬が貯まるという別の危険因子があるが >>685
脚気が撲滅されたのは戦後に白米が普通になってから
豊富なおかずが一般化しないと無理だったんだよ >>54
大飢饉ってとうほぐの話じゃなかったか
関西じゃ二毛作してたらしいぞ >>771
米は高いだろ。サツマイモだろ
今は病気が流行ってやばいと聞くが 人の寿命は何年かと思うとこやな
普通100年と思われている >>757
海は美しく、山紫水明に満ち溢れ、
当時のヒト以外の生命量からすれば、令和日本は死の土地と言い切っていいほどの惨状だよ
琵琶湖は地球全体の宝といってもいいほど美しく、生命に溢れていた
京嵐山の紅葉は今とは比較にならぬほど目にも鮮やかだった。嵐山では下から紅葉がすすむんだ。京は底冷えするから
俺ならぜったい当時のほうがいい。そして叶うなら現代になってしまう道を閉ざしてしまいたい
イングランドでの研究によれば、暑熱化の悪影響もあっていまの地表の生命量は産業革命前からすれば絶滅レベルの酷さだ >>766
レジスタントスターチも普通にあがったな。
そもそも血糖値あげるために食ってるのに
抑えようってなんなのかと思う >>775
江戸時代は米ばかり食いすぎなんだよ
資産でもあったから仕方がなかったのかもしれないが >>760
あーぼくの文脈が悪かった
樽の低身長遺体が江戸期の論拠であるつもりで書いたけど、あらためて考えてみたらそこは別に大きな論拠にならないね
発掘調査が進んでると言いたいだけだった >>763
俺は現代の水準で「下見て暮らせ」じゃなく「過去みて暮らせ」がいいと思うわ。
薬局や病院で処方される薬一つとっても、江戸時代のレベルからみたら
夢のような「特効薬」だらけ。
糖尿病判定されたのに飲むだけで血糖値が正常値に収まってしまった。
ネットどころか電気すらなく、暗くなったら春画の切れ端でオナニーして寝るだけの
人生だったんだろうなぁ。 >>752
>>761
かわいそうな親子はいなかったんだね >>757
なんで江戸時代と比べてるんだ
バカなのか 大根の葉も醤油で炒めるだけで美味かったがフライパンがない江戸は炒め物作れんかった!? >>784
つーか江戸時代の低身長は肉食い禁止したせいやろ
宗教的な話 >>16
精米したらバランス極めて悪いが玄米だと完全食に近いからって話じゃないの。 >>789
食用油が生産量が少ないのもあって家庭ではやってなかったらしい
お店に行かないと食えなかったようだ >>676
ディズニーランドのちょい先で塩作ってた時代だからな >>352
おちんちんランドになりそうでならなかった
悔しいけど面白い >>787
他人の不幸話きいて3パック目いっちゃいます。
サッポロ一番作る元気がもうない >>775
https://www.maff.go.jp/j/meiji150/eiyo/01.html
のちにわかったことですが、これはビタミンB1不足が招いた「脚気」という病気が原因でした。
胚芽部分に多いビタミンB1は、精米で取り除かれてしまうため、白米にするとわずかしか
残りません。当時の人々は一汁一菜が基本で、ご飯を大量にとり、おかずの量も数も
少なかったこともビタミンB1不足の原因となっていました。
徴兵されたのは多くが農家の若者でした。彼らにとって、軍隊での最大の魅力は
1日6合の白米を食べさせてもらえることでした。
ところが、白米が食事の大部分を占め、副食が乏しいこの食事スタイルこそが、
ビタミンB1不足を招き、軍隊内に「脚気」の患者を増やすことになってしまったのです。 >>780
想像力が足りなすぎない?
山野なんて東京でもちょっと郊外いけばいくらでもあるし
紅葉なんて江戸時代も今もたいした差なんてない。
そして移動手段がないからほとんどの奴らの生活行動半径は
今の数分の1位で生きてたと思うよ。
東京から多摩湖や奥多摩まで行くのだって自転車ですら大変なのに。 >>798
農業生産性が最悪だったからすぐに潰して食ってしまうんだろ >>798
天武天皇が675年に出した肉食禁止令に始まり、将軍綱吉が生類憐みの令を出すなど、
日本では何度も肉食を禁止されたため、江戸時代に肉を食べるのは一般的ではありませんでした。
明治に入り、政府は肉食が奨励し、畜産業にも力を入れるようになりました。
そんな中、牛肉とネギを味噌や醤油で味付けした料理「牛鍋」を出す牛鍋屋が大流行。
しかし、この頃肉料理を食べられるのは上流階級や知識人、都市の一部の人に限られていました。 >>780
当時は燃料は木しかないので奥多摩まで一面禿山だった
全部切って燃料や家の建材にしてしまった >>797
蕎麦食ってたら脚気にならないって噂から江戸では蕎麦が流行ったらしい 何か昔の日本って凄いな。ネトウヨは江戸時代の人達も英霊として賛えてあげりゃいいのに >>683
この手の彩色適当だかんなあ
適当過ぎて青々とした稲を脱穀してる写真とかあったと思う
どんな無知が彩色してるやら 江戸に限るとイワシがめちゃくちゃ安くて一尾5文だった
(参考:1尾あたりのタンパク質24g) >>788
俺はどうもそういう思考が好きなんだわ。
半世紀も生きてくると100年なんてほんとはあっという間なんだなってのが
少し分かってくる。 大体150年前はまだ江戸時代だったわけだ。
江戸時代も子供の頃の歴史の授業で感じた「はるか遠い昔の事」でもないんだなと
常々感じるようになってきたんだわ。 >>801
卵目的で養鶏はしてたらしいぞ
https://www.kabuki-za.com/syoku/2/no11.html
>江戸初期には採卵は主目的ではなかったようです。江戸後期になると
>採卵を目的とした養鶏が行なわれるようになり、都市には鶏卵問屋もできました。 アジア圏はもれなく昔の写真は見事にハゲ山ばっかり
またその時代に戻るかもしれんがw >>789
鉄なべで炒めることは可能だったと思う
油は高価だからそう頻繁には作れなさそう 鍋料理とか無いの?って思っても肉が無いからお粥になるか…
江戸時代は過酷だ >>812
ヨーロッパも昔は森林地帯だったのがかなり失われてる >>802
天武天皇て皇族に政治させようとした人?
挙句に栄養不足の日本人にヴィーガン強制とか頭おかしかったのかな 寿司は庶民のファストフードだったというけど
農民がアワやヒエや大根の菜っぱ食ってたのにそんなことあるか?
一般人向けと言ってもちょっとした高級スイーツくらいだったんじゃないのか >>139
こんな昔からシュリンクフレーションしてたんかい >>797
当時粟稗などもまだ食ってて白米を食ってる農家は意外と少なかった
それでも発生していたのが現実だった
https://www.ja-toyohashi.com/pdf_publicity/minori_201603/minori_1603_8.pdf
明治でも米の生産量は3000万石で人口比で圧倒的に足りていなかった
そのため大麦や粟稗、蕎麦を入れていたがそれでも脚気は起きていた そういや最近、やっと多摩川の上流の「玉川上水」の起点まで
いってきたわ。 玉川兄弟像みてきた。
その後、玉川上水沿いをずっとサイクリングしてきた。
工事は、承応2(1653)年4月4日に着工し、わずか8か月後の11月15日
(この年は閏年で6月が2度あるため8か月となります。)、羽村取水口から四谷大木戸までの
素掘り(崩れの補強を行わずに掘削すること)による水路が完成しました。全長約43キロメートル、
標高差はわずか約92メートルの緩勾配(緩い傾斜)です。
重機もコンクリ等の建材も無しでよくまああんなの作れたな。 江戸時代の人たちすごい >>815
>江戸時代になると、鍋を調理用としてだけでなく食器としても使用し、鍋で食材を煮て、
>そのまま食卓で食べる料理が普及します。アサリ鍋、豆腐鍋、ねぎま鍋、どじょう鍋などが有名。
豚や牛の鍋は幕末になってからだな 縄文土器は火で炙って何からしらを茹でてた痕跡があるのにね うさぎを一羽二羽と数えて鳥の仲間にして無理やり食ってたしなあw
あと寿司が小さくなったのは時代が下って箱に詰めるようになったという背景がある。
箱に詰めて持ち運ぶようになると持ちやすく食べやすいサイズのほうがいいから小さくなった。 >>789
火力を出すための石炭や煉瓦竈門が普及していない
鋳鉄で薄い中華鍋を作ることができない
動物性の油脂が皆無
中国ですら炒め物料理が定着したのは18世紀から >>800
庶民は昭和に入るくらいまで半径300mが自分の世界なんて言われてたくらいだからな >>352
身の回りの世話する足軽とかお庭方にでも雇ってやったらええのに なんで魚の開きがしっぽ側半身しかないの?
魚は頭から腐るみたいに頭側は捨ててたとか? >>282
実際には肥料農薬燃料全部輸入だからこんな食事すら用意できないぞ
食料自給率から分かることは「食料自給率増やしましょう」じゃなくて、「絶対に戦争等他国からの輸入が滞る事態に陥らないようにしましょう」だ >>817
天武は大友皇子ぶっ殺して帝位についた簒奪者だから色々頭おかしい事やってる
天智系の皇族ぶっ殺して祟りにビビったから仏教にのめり込んだんじゃないかな >>829
長時間通勤を強いられてる身からすると
ある意味羨ましい >>825
縄文人ですら牡蛎やはまぐりくってたのに
わいらは高すぎて食えないから >>829
まあそうだろうなぁ。 現代の優れた電動アシスト車でも環七沿いから玉川兄弟像のある支点まで50kmの
道のり4時間弱かかって大変だったわ。 あれを歩いていくなら多分丸一日掛かるだろ >>822
耕地面積が増えても人口も同じ推移で増えてるから ヴィーガン「サーモンを一切れ食べたら脳内でコンピュータが再起動するような衝撃が来た」 [581480879]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1665466134/
これと同じで昔のやつも、たんぱく質食うと体調良くなるのは体感として知ってたんだろ
ただ高いから薬扱いだったり上級専用 今日ハイカーボの俺でも一食300gのご飯なのに凄すぎワロタ >>830
例えば3日食ってないっていうから3日前に世話役は帰ったんだと想像したりw
小説は自分が読んだ本や経験で読むから足りない部分を想像する >>840
宗教的制約だから上級もあまり食ってない ケンモメンはドカ盛りパスタ副菜なしがデフォだからむしろこっちのが健康的では >>800
個人的に🍁撮ってるもんで
2000年代でまだマシだったの1回だけなんよね
今の、汚物のような色味のひどい紅葉中継をもってして「きれいな紅葉」などとしてみせられてる今の若い人たちがほんとうに可哀想に思うよ >>683
この食事風景だって、写真に映るってんでみんな一張羅きてきたんだろ
それでこのヨレヨレの薄汚い格好なわけだ。
まともな洗濯やら糊付けみたいな技術も無かっただろうし
まあ当時の衣服なんてこんなもんだよな。
みんな普段から野良仕事や屋外作業ばっかりで男女ともに真っ黒に日焼け。
時代劇は美化されすぎ。 >>845
香川にしっぽいくうどんってのがあるけど
つながりあるんかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています