江戸時代の食事、ヤバすぎる [581480879]
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>>780
想像力が足りなすぎない?
山野なんて東京でもちょっと郊外いけばいくらでもあるし
紅葉なんて江戸時代も今もたいした差なんてない。
そして移動手段がないからほとんどの奴らの生活行動半径は
今の数分の1位で生きてたと思うよ。
東京から多摩湖や奥多摩まで行くのだって自転車ですら大変なのに。 >>798
農業生産性が最悪だったからすぐに潰して食ってしまうんだろ >>798
天武天皇が675年に出した肉食禁止令に始まり、将軍綱吉が生類憐みの令を出すなど、
日本では何度も肉食を禁止されたため、江戸時代に肉を食べるのは一般的ではありませんでした。
明治に入り、政府は肉食が奨励し、畜産業にも力を入れるようになりました。
そんな中、牛肉とネギを味噌や醤油で味付けした料理「牛鍋」を出す牛鍋屋が大流行。
しかし、この頃肉料理を食べられるのは上流階級や知識人、都市の一部の人に限られていました。 >>780
当時は燃料は木しかないので奥多摩まで一面禿山だった
全部切って燃料や家の建材にしてしまった >>797
蕎麦食ってたら脚気にならないって噂から江戸では蕎麦が流行ったらしい 何か昔の日本って凄いな。ネトウヨは江戸時代の人達も英霊として賛えてあげりゃいいのに >>683
この手の彩色適当だかんなあ
適当過ぎて青々とした稲を脱穀してる写真とかあったと思う
どんな無知が彩色してるやら 江戸に限るとイワシがめちゃくちゃ安くて一尾5文だった
(参考:1尾あたりのタンパク質24g) >>788
俺はどうもそういう思考が好きなんだわ。
半世紀も生きてくると100年なんてほんとはあっという間なんだなってのが
少し分かってくる。 大体150年前はまだ江戸時代だったわけだ。
江戸時代も子供の頃の歴史の授業で感じた「はるか遠い昔の事」でもないんだなと
常々感じるようになってきたんだわ。 >>801
卵目的で養鶏はしてたらしいぞ
https://www.kabuki-za.com/syoku/2/no11.html
>江戸初期には採卵は主目的ではなかったようです。江戸後期になると
>採卵を目的とした養鶏が行なわれるようになり、都市には鶏卵問屋もできました。 アジア圏はもれなく昔の写真は見事にハゲ山ばっかり
またその時代に戻るかもしれんがw >>789
鉄なべで炒めることは可能だったと思う
油は高価だからそう頻繁には作れなさそう 鍋料理とか無いの?って思っても肉が無いからお粥になるか…
江戸時代は過酷だ >>812
ヨーロッパも昔は森林地帯だったのがかなり失われてる >>802
天武天皇て皇族に政治させようとした人?
挙句に栄養不足の日本人にヴィーガン強制とか頭おかしかったのかな 寿司は庶民のファストフードだったというけど
農民がアワやヒエや大根の菜っぱ食ってたのにそんなことあるか?
一般人向けと言ってもちょっとした高級スイーツくらいだったんじゃないのか >>139
こんな昔からシュリンクフレーションしてたんかい >>797
当時粟稗などもまだ食ってて白米を食ってる農家は意外と少なかった
それでも発生していたのが現実だった
https://www.ja-toyohashi.com/pdf_publicity/minori_201603/minori_1603_8.pdf
明治でも米の生産量は3000万石で人口比で圧倒的に足りていなかった
そのため大麦や粟稗、蕎麦を入れていたがそれでも脚気は起きていた そういや最近、やっと多摩川の上流の「玉川上水」の起点まで
いってきたわ。 玉川兄弟像みてきた。
その後、玉川上水沿いをずっとサイクリングしてきた。
工事は、承応2(1653)年4月4日に着工し、わずか8か月後の11月15日
(この年は閏年で6月が2度あるため8か月となります。)、羽村取水口から四谷大木戸までの
素掘り(崩れの補強を行わずに掘削すること)による水路が完成しました。全長約43キロメートル、
標高差はわずか約92メートルの緩勾配(緩い傾斜)です。
重機もコンクリ等の建材も無しでよくまああんなの作れたな。 江戸時代の人たちすごい >>815
>江戸時代になると、鍋を調理用としてだけでなく食器としても使用し、鍋で食材を煮て、
>そのまま食卓で食べる料理が普及します。アサリ鍋、豆腐鍋、ねぎま鍋、どじょう鍋などが有名。
豚や牛の鍋は幕末になってからだな 縄文土器は火で炙って何からしらを茹でてた痕跡があるのにね うさぎを一羽二羽と数えて鳥の仲間にして無理やり食ってたしなあw
あと寿司が小さくなったのは時代が下って箱に詰めるようになったという背景がある。
箱に詰めて持ち運ぶようになると持ちやすく食べやすいサイズのほうがいいから小さくなった。 >>789
火力を出すための石炭や煉瓦竈門が普及していない
鋳鉄で薄い中華鍋を作ることができない
動物性の油脂が皆無
中国ですら炒め物料理が定着したのは18世紀から >>800
庶民は昭和に入るくらいまで半径300mが自分の世界なんて言われてたくらいだからな >>352
身の回りの世話する足軽とかお庭方にでも雇ってやったらええのに なんで魚の開きがしっぽ側半身しかないの?
魚は頭から腐るみたいに頭側は捨ててたとか? >>282
実際には肥料農薬燃料全部輸入だからこんな食事すら用意できないぞ
食料自給率から分かることは「食料自給率増やしましょう」じゃなくて、「絶対に戦争等他国からの輸入が滞る事態に陥らないようにしましょう」だ >>817
天武は大友皇子ぶっ殺して帝位についた簒奪者だから色々頭おかしい事やってる
天智系の皇族ぶっ殺して祟りにビビったから仏教にのめり込んだんじゃないかな >>829
長時間通勤を強いられてる身からすると
ある意味羨ましい >>825
縄文人ですら牡蛎やはまぐりくってたのに
わいらは高すぎて食えないから >>829
まあそうだろうなぁ。 現代の優れた電動アシスト車でも環七沿いから玉川兄弟像のある支点まで50kmの
道のり4時間弱かかって大変だったわ。 あれを歩いていくなら多分丸一日掛かるだろ >>822
耕地面積が増えても人口も同じ推移で増えてるから ヴィーガン「サーモンを一切れ食べたら脳内でコンピュータが再起動するような衝撃が来た」 [581480879]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1665466134/
これと同じで昔のやつも、たんぱく質食うと体調良くなるのは体感として知ってたんだろ
ただ高いから薬扱いだったり上級専用 今日ハイカーボの俺でも一食300gのご飯なのに凄すぎワロタ >>830
例えば3日食ってないっていうから3日前に世話役は帰ったんだと想像したりw
小説は自分が読んだ本や経験で読むから足りない部分を想像する >>840
宗教的制約だから上級もあまり食ってない ケンモメンはドカ盛りパスタ副菜なしがデフォだからむしろこっちのが健康的では >>800
個人的に🍁撮ってるもんで
2000年代でまだマシだったの1回だけなんよね
今の、汚物のような色味のひどい紅葉中継をもってして「きれいな紅葉」などとしてみせられてる今の若い人たちがほんとうに可哀想に思うよ >>683
この食事風景だって、写真に映るってんでみんな一張羅きてきたんだろ
それでこのヨレヨレの薄汚い格好なわけだ。
まともな洗濯やら糊付けみたいな技術も無かっただろうし
まあ当時の衣服なんてこんなもんだよな。
みんな普段から野良仕事や屋外作業ばっかりで男女ともに真っ黒に日焼け。
時代劇は美化されすぎ。 >>845
香川にしっぽいくうどんってのがあるけど
つながりあるんかな? >>763
むしろ明治時代を敵視して江戸時代をファンタジー化しているのは一部の左翼だろ
右翼にしてみれば徳川なんぞ朝敵以外のなにものでもない
明治になってようやく食事がまともになってきたのが事実だよ
それでも銀シャリ信仰は根深く高度成長期まで続くのだから徳川のやったことはろくでもないということがわかる >>846
今それ食ってる
パスタは米よりたんぱく質が取れるから・・・ まともな医療もなく、偏った食事と過酷な労働の日々で
みんながんとか成人病になるまえの50代くらいで死んでたんだろ
食品添加物とかの影響とかいいながら、みんな70過ぎまで普通に生きられる今の社会が
どれだけ恵まれてるか。 >>828
意味不明過ぎ
唐~五代に炒め物が流行って,油や鍋の進歩で
宋代に成ると炒め物が廃れて揚げ物や蒸し物が流行ったんだけど >>848
農民はそりゃ日焼けするだろうけど町人ならそうでもない >>683
こういうのは輸出お土産用だから
当時の風俗をちゃんと写してるわけでもないんだよな >>853
もっと恵まれる社会にしていこうぜ!我慢なんてクソじゃん
苦労した江戸の英霊の為にも豊かが一番だろ 当時からみたらまるでドラえもんの道具レベルな
レンチンで食える冷凍チャーハンをチンして食べるよ。
これが粗末な食事とかいったら江戸時代の連中が桶から飛び出して
ぶん殴りにくるレベルだろ トラックに轢かれて江戸時代に転生して脚気治療無双するなろう小説かいて一発あてようかな >>854
唐代の炒め物は油で調理するわけではない
金属製中華鍋の登場が明の時代からなのに油と鍋の進歩って何を指してるんだ >>860
JINというドラマにもなった漫画があってな >>858
そういうのは時代の潮流みたいなもんで、正直、努力したからって得られるものじゃないんだよ。
日本の国家としての隆盛にただ身を任せるだけ。
たまたま戦争が終わって豊かになる途上で生を受けたことを感謝してるわ。
貧しくなってきたけど それは絶頂期に比べたらであって歴史的にみたらこんな恵まれた「日本人」で
いられたことは奇跡に近い。 まあ結構クソ頭にくることあるやん
母親が病気になって2ヶ月後死んだら呼ぶ奴とか
死んだ後呼んで俺はなんだろうw これでも豪華だろ
お味噌汁が必須なのは
ご飯が保温できないから夜には冷めて不味くなるからだな
お茶漬けなんかもそうだろうね 江戸に行ってあっさり苦しんで死にたい
ゆっくり苦しんで死ぬより人として生きれてそう >>828
天ぷらとか屋内で油使った料理は火事になるから江戸では禁止 農耕してたんなら虫とかもっと一般的に食っててもよさそうだよな
イナゴとか結局一部の地域でしか食われてなかったんだろ
もっと食えよイナゴとか 今本格的なお店で出てくるフランス料理や中華料理も18世紀中頃~19世紀末くらい発祥のものばっかだよ
日本食で言えば醤油、味噌も今普通に手に入るタイプのものは江戸時代中期以降のものだ
世界どこ見渡しても伝統なんてそんなもんだw >>84
鎌倉時代の彫刻家はよく人体を観察していたということが判る >>861
無知で妄想だらけのおまえの誤認識なんてどうでもいい
唐~五代の炒め物わ主にゴマ油での炒め物
なんせ炒め物って油で炒めるから炒め物だしなwww >>870
割と作るの大変っぽいから流行りにくいのでは >>851
ネトウヨブログや動画で江戸は世界一清潔な都市で朝鮮通信使が嫉妬で狂うレベルだったとか
バカみたいなホルホルしてるだろ >>671
遊郭っていうのは客と飯食って酒飲んでそれからセックスするもんなんだよ
だから客がついた日は夜食わない事もあるし
仕事終わりの時間が不規則だから翌日起きたらもう皆飯済ませちゃってて自分の分が無い またはちょっと傷んでるなんて事もあるだろう
これの元になった古文書の中で女郎屋の主人がうちの女どもはせっかくこっちで飯用意してやっても買食いばかりして気に食わねえとボヤいているんで
全く自由が無く腐った物を食べさせられてる酷い境遇の女達っていうのは実像とかなり違う >>861
鉄鍋なんて漢代から有る,宋代に鍋が薄く作られる様に成って
石炭の普及と合わせて火力の要る蒸し物や揚げ物が流行った >>872
14世紀から19世紀あたりまで小氷期の寒い時代だから仕方がない
飢饉がたびたび起きてる時代に食文化の発展は難しい >>870
海ない山だらけで魚も手に入りにくい長野県民だけは進化してたな
蜂の子とか蚕のサナギとか食いまくってた >>870
昆虫食はどの国でも一般化しなかった時点でお察し >>534
いや,普通に毎日14時間労働が基本だから農民
農閑期も工芸品や日用品作るし >>872
18世紀にもなるともうヨーロッパは蒸気機関とか使ってたしな
そのあたりから物流も進歩して急激に食文化とかも発展していったんだろう >>877
いや酷い境遇その物が実態だから
平均寿命30才ちょっとだし >>886
昔は病気になると基本終わりだったからなー >>853
当時も社会上層の平均寿命は普通に60才超えてる
超格差社会 日本人て昔から糖質依存で栄養不足だったんだな
仮に米から脱却しても小麦が待ってるし
日本は食育完全に失敗したと認めるしかない >>886
買い食いしまくるのも遊郭内では碌なもん食ってない証明だからな >>856
ほとんどは今の人が見れば“真っ黒”だったよ。それは入浴の習慣が事実上なかったことでも言える
なかには毎日のように湯に浸かる町人だっているにはいた。だが1960年代ですら一週間に一度程度しか風呂に入らないのが当たり前だった 遊女の扱いは江戸ホルホル勢でもちょっと美化できないね・・・
投げ込み寺(なげこみでら)は、寺に身よりのない遊女や行き倒れ[1]などの遺体が放り込まれたことからそれらの寺についた俗称である。寺では遺体を無縁仏として葬ったという。 >>609
天ぷらそばにサイダーが大好きだった男だぞ宮沢賢治 俺が親父面倒見てて72て死んだし
母親が92で死んだらそっちが正しいよなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています