昭和の夜行列車がヤバすぎると話題に [606275763]
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自由席の床で寝てたり、大垣夜行でずっと立ってたりしたわ 昭和の映像みると4人がけしかなくて
通路で立ったままだったりするな
平成の急行能登も繁忙期はそうだったけど 車窓から流れる沿線の家の明かりの魅力
奥羽本線の山の中にポツンと灯る明かりとか こんなのが需要あった意味がわからない
わざわざ何倍も時間かける意味は 小さい頃出羽三号で通路に座ってたよ
出稼ぎの人が帰る列車だからみんなゆで卵くれたりとうもろこしくれたり楽しかった
七時間位だけど全然苦痛じゃなかった 昔は地元の駅にも大量に夜行列車が発着してたらしいな
今は駅と線路が高架化されて土地の大半も再開発したから見る影もない 小さいときに茶色い旧型客車の九州行き列車を大阪駅で見た淡い記憶があるわ
白熱電球の車内が印象的だったなあ >>10
新幹線も夜行バスもなく飛行機はお金持ち専用の時代
普通の人は長距離列車かフェリーくらいしか遠地に行く手段がなかった 豪華寝台列車の話かと思ったら…
夜行バスも今に夜行列車みたあな扱いされそう わからないけどもの凄く哀愁感じる古き良くない時代の 本の時刻表って懐かしいな
ネットで調べられるようになってから全然使わなくなったわ 周回するだけの成金列車でなく定期寝台列車を復活させるべきだな でももう行くべき場所もないよ
あの頃にはあったんだよ 寝台のない夜行がバンバン走ってたからな
高千穂とか桜島とか
直角座席で腰痛くなるわ
車内の蛍光灯が眩しくて寝られないわ
よくあんな辛い旅にみんな耐えてたと思うよ 過度の分割民営化の犠牲者のひとつ
成金列車にすら「周回しかできない」と影を落としている 学生時代佐賀~𝑻𝒐𝒌𝒚𝒐間で利用してた
暗闇の中で遠くに見えるライトに非日常感覚えて高揚したなあ >>2
これ最近でた復刻版時刻表だろ
昭和53年10月号
>>28
東京10時発西鹿児島翌日14時11分着ってどうなってるの… 俺より小さい子供もいっぱい乗ってたけど泣いたり騒いだりする奴は居なかったな
上野出てしばらくすると消灯って薄暗くなるけど子供らは目がギンギンだったけど >>27
細いヒモしかなかった
しかも下にグループが来るとうるさくて迷惑だった
ttp://hodo.blue.coocan.jp/s/burutore/hokuriku/b/hkrkb_01.jpg
ttp://hodo.blue.coocan.jp/s/burutore/hokuriku/b/hkrkb_03.jpg >>2
寝台特急とか夜行急行とかブルジョワジーの乗るもの
ほんとにヤバイのは普通列車の夜行だよ 上野からゆうづるに乗車した時の高揚感は何度乗っても特別なものがあった
深夜早朝の車内の雰囲気が何とも言えない良さがあったね 夜行の普通が何処の本線にも通ってて昼頃都内ターミナルを出て翌日の昼ぐらいに本州の端に到達するようなダイヤ組まれてた
実質郵便と小荷物輸送列車みたいなモンなんだけど >>2
途中何度も止まるから時間がかかるだけで
鹿児島博多広島大阪名古屋だけなら
今の急行と変わらなかったりする? >>38
山スカ夜行かね
まああれは寝るための列車じゃないけど >>27
このタイプも乗ったことあるけど線路と同じ向きで寝台があるから乗り心地良くないんだよね
上も横も狭いし ドリフのコントでやってたな
うるさい奴とかお経あげる奴とか 周遊券があった頃は北海道巡る時は夜行列車をホテル代わりにしたり大きな駅も夜行があるから24時間開いてて待合室もストーブ炊かれてるんでそこで寝たりしてたな あしたのジョーでジョーがドサ回りのため上野駅で夜行列車に乗るシーンが有るが、あれは当時の雰囲気がよく描かれていた名場面だ >>47
なかったと思う
JRの夜行バスは平成になる前後
東京関西3列シートで片道8000円台だったかな 真っ暗な車窓を寝不足ぎみの目でぼんやり眺めていると、夜明けが近づいて少しづつ外が見えてくる
黒い家並みのむこうに海岸の白波
夏の下り急行「能登」 終電よりちょっと前くらいの上野に行くとこんな電車が結構止まってたな
乗ったこと一度も無いけど 寝台特急いなばは知らんかったなぁ
京都で1時間以上も停車しとる
ほんで出雲は銀河をどこかで追い越してたんだなぁ >>47
道路が無かったからかな
主に高速道路とか >>51
昭和60年日航機墜落事故が起こったまさにその時、西武の青森行きの深夜バスに乗ってて北関東あたりを走行中だった
車内ラジオで飛行機が落ちたってニュースを聞いて親父に教えたのを憶えてる
寝台列車の切符が取れなくてやっと見つけたのが西武の深夜バスだった 藤子不二雄Aの漫画で富山から上京してくるのにすごい時間掛かっていたのを知った 上野を夜出発して、色々乗り継いで翌々日の朝に網走着とか楽しかった 能登は日本海側に出てからが以外と長いんだよな
でも見慣れない北陸の風景は飽きない
Googleマップ、ストリートビューどころかインターネットもなかった
知らない土地の風景はテレビか旅行雑誌くらいしか情報源がなかった 何がヤバいのか不明なんだが
気持ち悪い鉄ヲタなら分かるの? 当時の列車トイレは当然垂れ流し式で
朝の東海道線湘南地区は夜行列車の乗客がこぞってウンコするから
沿線ウンコまみれだったらしい 自動改札でチョキチョキ取られた駅員が緑の窓口で北斗の拳に昇華した 旅行列車が老夫婦向けしか無くて若いお一人様向けが無いのはJRやってあげろ ブルートレインに客車付けて全国回るべきは若い奴らなんだよね 見方しらねえけど新幹線あるじゃん
昔は新幹線も夜行やってたんだな
随分と落ちぶれてて草 >>61
旧型客車は線路が見える垂れ流しだけど新しい客車とか電車のはタンク式だったと思う
この時刻表のやつは急行以外はタンク式じゃないかなあ? >>69
東海道線とか山陽本線の時刻表で新幹線の時刻表じゃないよ >>45
新宿発2355とか終電として乗る酔っ払いリーマンと登山客のカオスだったな >>60
本数の多さぐらいはお前みたいなアホでもわかるやろ
>>38
モメンはもちろん大垣夜行乗ったことあるよな?
http://www.asahi-net.or.jp/~rb7s-ktk/tetsu/nagara/narabi.jpg >>74
今のヤングは時刻表の見方わからんから
そう怒るな CSで電車のメモリアルなんとかってやってるから見たけど
ラストランの時の撮り鉄の挙動が面白いな今と同じで >>75
実家のある大阪に戻るのに数回使ったけど懲りた
寝台急行も夜行バスも飛行機も自動車もあんま良くなくて
結局新幹線に落ち着いた 寝台車に女の人がいたらどうしようとか勝手にソワソワしたりね きたぐにに1時間だけのったけどキツかったな
正月で混んでたけど >>75
2325か関西方面へ旅行のときに何回か乗ったわ
青春18切符+日付の変わるところまで(どこだかもう忘れた)の乗車券で 車内から夜の帰宅ラッシュのホームをぼんやり眺めているときの優越感と孤独感 >>63
ググッたがその時期は臨時格下げになってたみたい >>82
18きっぷみたいなやつ買わないと乗り通す意味がないくらいの長距離運行ね
1枚目のやつは上野から乗ったら大抵宇都宮くらいで降りるし、終点まで乗るのは仙台から乗る客くらいじゃね >>4
サンライズはいつも満員
車輌維持できる限り残りそう 夜行なのにリクライニングシートしかないのかよ
ベッドつけろや 自分はムーンライト八重垣世代だから大垣夜行なんて本の中の話だわ >>17
八甲田十和田妙高はそこそこ使ったことある 小さい頃にブルートレインという寝台車に乗ったことある
ベッドが電動で動かせた記憶 子供の頃寝台列車に乗った事あるけど
寝台のあまりの汚さに閉口した / ̄ ̄\
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Q.日本海のどこが魅力?
国鉄のにおいがムンムンするから
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Q.国鉄時代 生まれてないでしょ? >>2
2枚目の急行が深夜や未明にも多くの駅に停車しているけど
この頃の停車駅て24時間営業してたんかな >>70
近郊電車は平成に入るまでは垂れ流しがまだまだあったよ
最初からタンクなのは211系あたりじゃないの >>2
大阪発の銀河が9:30に東京に着くというのは遅いというか需要を満たしていない感じがするがどうだったんだろう
東京8:30着くらいの方が翌日の仕事に融通が効きそう
あと日付が変わってから名古屋以降の主要駅にいちいち停車するのもどうだったんかな
全然熟睡出来なさそう >>2
東京~九州各地の寝台特急をいちいち行き先別に設定しているのは無駄が多い感じがする
東京~小倉の夜行を2本ほど走らせて小倉~九州各地間の乗客は昼間特急で集散すれば済んだんちゃうんかと >>27
子供でギリのサイズやね
大人で乗った事のある人の感想を聞きたい >>106
このダイヤの時代は知らんが出張で酒飲んで新幹線の最終乗り逃がしたときに重宝してた
上りの東京行きなら7時前には着いてたからそのまま会社に行けた 高校生の頃に東京~大垣間の夜行列車を使ったことがあるが、ああいう夜行列車は
暇だし寝るにしても、居心地は正直良くないし。
高校とか大学生レベルなら耐えられるが、サラリーマンの出張には全然お勧めできんわ。 高千穂桜島って急行があって
東京駅を朝の10時に出る
大阪が18時ころでそこから夜行になって
九州入りするころに朝になる
安い周遊券で乗れるのは急行自由席までで
この列車しかなかった >>75
大阪→九州行きのムーンライトには乗った
満席だったので荷物スペースで夜を明かしたがあれは若者専用列車やね 夏休みに利用した時の、あのワクワク感、もう忘れちまったな。。。
仮に今もう一度利用しようとしても、そのワクワク感は、もう沸き上がってこない。
新幹線や飛行機でさっさと移動する方を選ぶわな >>103
おそらく貨物取り扱いのせい
今みたいな貨物ターミナル→貨物ターミナル
じゃなく駅で一両だけ切り離し留置きとか普通にあった(効率悪い)
なお、それゆえ貨車行方不明とかざらだったらしい >>97
途中で人身事故でもぶっこまれたらどうなるの? >>116
昔は郵便車両や荷物車両が一般の列車に連結されていたってのもそれの一環? >>117
国鉄時代は鉄道公安官いたから復旧は今より早いんじゃないの
夜行なら長時間停車の分で調整がムーンライトあたりでもあったし >>28
でも旅って辛い要素あった方が後になるといい思い出なんだよな >>119
元画像見てよ、朝から夜まで走ってほとんど各駅停車じゃん
鉄道公安官がよほど仕事してたのか >>117
なんかあったらおっさんが線引き直して復旧ダイヤ組んでた時代だし、そもそもそんなに過密に入れられない
こういう長距離普通列車が最優先で復旧させてたんじゃない? >>2
急行鷲羽の新大阪発23:21宇野着2:28もすごいね
この時間に合わせて宇高連絡船が出てたのか
出てたとしても乗客はまともに寝れんね >>118
昔の八甲田にも接続されてたな
上野駅で新聞の朝刊を積み込んでるの見た記憶
東北自動車道もまだ青森まで完全開通してなかった時代 鉄道公安官のお陰かどうかは知らないけど、運休の再開は国鉄時代の方が早かった気がする でもなんだかんだ言って目的地に朝イチについて1日過ごせるのはデカかった
飛行機や新幹線だと始発に乗ったとしても、目的地着いたらそれなりの時間になっちゃうしな 広島のツレの結婚式からの帰りは二次会参加化したあとに【富士】で帰ったわ
朝着いてその日ゆっくりできて便利だった >>124
事故っても運行に支障がないなら死体を気にしなかったのかねえ
興味深いテーマなので一次資料にもあたってみたいところ
■今と昔の鉄道の人身事故時の列車の運行対応の相違について
https://okwave.jp/qa/q4072458.html
この投稿者は、元機関士の親戚から
>「終戦間際から終戦直後頃は、飛び込み自殺が多かった」「現役時代、合計20件の飛び込みに合った。」
>「当時は、今と違い、人を轢いても現場に停車などせず、ダイヤ通り列車を走らせた。ダイヤ通りの次の停車駅で停車し、そこの駅員に事実関係を伝え、その後も予定通りの乗務を続けた。」
との話を聞いたと。また芥川龍之介『寒さ』(大正14年発表)には、列車が人をひいて停車せず走り去った描写があるとの紹介
■鉄道の人身事故後の運転再開までの時間について質問
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1231517002
>JRになってからは、人身事故が起こった際はどんな場合でも警察を呼んで、きちんと現場検証を行った後に運転再開するように方針が変わったそうです(JR職員から聞いた話) 昔は人の命が安い時代だったからね
乗務員がグモを線路脇に避けてそのまま運転再開してたと聞いたことあるわ
だから遺体を回収する頃には腐敗していたり野犬が持って行ったりするのがザラ 夜行なら列車でもバスでも長距離余裕
でも普通列車の長距離はキツい
浜松~東京をやろうとしたけど三島で断念したわ ブルートレインの富士は乗ってみたかったけど、鹿児島まで行く口実が思い付かなくて結局乗らずじまいだったな。 中学校卒業の時に親が北海道フリーパスプレゼントしてくれて一週間夜行列車乗りまくったわ
宿泊施設0泊とか今じゃありえない旅が出来た
上野からも夜行急行の座席で行った >>103
深夜帯に列車の発着があれば待合室は開いてる
比較的小さな駅にも停まるのは新聞・郵便や小荷物の取り扱い目的が大きいけど、地方の小都市に暮らす人には貴重な足だった >>17
盆暮れにはこれと同じくらいの数の臨時が走る
乗客を捌くために上野駅にはOBが臨時雇用員という名前のアルバイトに来ていた 北斗星しか乗ったことないけど
ドラえもんが窓の目の前にいたのを覚えてるわ >>82
米原―熱海の各駅は何回か乗り通したな
もちろん18きっぷだが 練馬で飲んでて急に大阪行きたくなって東京駅から銀河に飛び乗ったこととかあったなぁ
目が覚めたら停車してるからどこだろ?と思って外を見たら真っ暗だったけどツインタワーが目の前にあって理解できた 583系の夜行に乗ったことがなかったから新潟行ってきたぐににも乗ったわ
しばらく車内を歩いたけど、結構座席車も混んでたしグリーン車には若い女の子がひとりで寝てたりしてた
あの区間って何気に需要高かったんだね サンライズ乗ってみたいけど新幹線の切符すら不慣れモメンが買うことできるのかな
元気なうちにのんびり夜景見ながら出雲大社行ってみたいんよ >>125
国鉄の宇高連絡船のダイヤは知らないけど、民間フェリー会社2社は昼夜問わず30分おきに出ていた記憶がある >>146
最寄のみどりの窓口行って
○月○日のサンライズ出雲を○座席で乗りたいって言えば
向こうがやってくれるぞ >>147
なるほど
トラックはむしろ深夜走ったりもするから需要はあったんやね >>138
出雲とか瀬戸って今でも乗れるんだっけ?
乗りたいなー >>139
オートバイや自転車での深夜ツーリング中に
夜行停車駅の待合室でよく休憩してたわ
うたた寝してたら爺さんの痴漢に太腿さすられたけど >>150
乗れる
何なら岡山で新幹線乗り継いであさかぜの代わりにしたことが何度かある
来春から岡山乗り継ぎ割引なくなるのは痛いな
姫路乗り継ぎという手はあるが >>82
青森~仙台は乗った
子どもがいつまでも降りないから車掌さんが心配になったらしく「おめどこまで行くんだ?」って訊かれた
そのあと飴玉もらった 不便な時代は時間の流れが今より遅かったからこういうのが許されたんだよね 自転車で日本一周とか、猛者になるとバイク輸出して海外旅行とかやってた時代だな
ネットなんかなくて人生に必要なものは全て自分の足で実感するしか無かった時代
でもそれは根源的な所では今でも変わらないと私は思います サンライズは姫路からだとちょうど終電終わりに発車するんだよな
タイミング的に凄く良い選択肢 >>2
東京18:00→西鹿児島翌日の18;00
こんなの誰が使うんだw >>155
てゆか飛行機が全然庶民の物じゃなかったんだよな >>158
つまり、18時に同じ方向に向かう「富士」が東京と鹿児島に2本いることになる 窓のカーテンを閉め忘れたみたいで爆睡してるおっさんが隣のホームから丸見えだった事があるから乗る時は気を付けなあかんなって思った
結局一度も乗らなかったけど >>158
子供向けの雑誌に昔はよく最長距離最長時間走るブルートレイン寝台特急富士に乗ってみた!みたいな特集組まれてて子供心に丸一日電車に乗ってみたいなって思ってたぞ。 >>164
朝ラッシュの通勤電車と並走してる寝台特急の窓から、浴衣はだけて腹出して寝てるオッサンの姿見えたの思い出した 昔の寝台特急はベッドの解体やシーツ交換をやるボーイが多数乗り込んでて、白木屋の社長もそれやってやんだけど当時気に入られた社長の人脈活かして成り上がったんだよな 今ならスマホ、タブレットでいくらでも暇つぶし出来るけど当時は何してたん?
酒飲んで強制的に睡眠? >>171
雑誌はあるだろ
あと乗り合わせた人と会話
長距離だとそれこそ知らない人と雑誌の交換とかもしてた 昔は普通でもやたらと長距離がおおいけど
細かく折り返すよりおおざっぱに長いの通すほうがよかったのかね >>2
ダイヤ改正時の移行ダイヤなんてレアなものを何で出してきた >>173
銀河は今でも名前だけいきのこってるな、昔最終逃して、乗った事あるわ 長距離普通列車に郵便とか荷物を載せる車両がついてたりしたから小口物流にも使えたんだろうね
昭和は舗装率がやたら低くてトラック輸送に難儀してた
高速道路網の整備が概ねできたのって平成になってからだもん >>178
ドアtoドアのクロネコヤマトに押されて消えていったけど
駅で受け取れる小荷物サービスは今の時代に合ってるのかもしれん 国道を走るトラックには電飾ギラギラの奴が結構いた
高速道は中国~名神~東名くらいが開通していたと思う
国道筋を走っていたトラックは中近距離だったんかな >>158
一等車とか議員さんや殿様の末裔が乗ってくるから駅には国家老や郎党が集まったりするもんだ
飛行機の時代になるとまた少し変わるけど国鉄パスは偉大である >>75
懐かしいな。
高校でアルバイトで金稼ぐようになってからは、グリーン車乗るようにしてたわ。 かつては24時間以上かかった西鹿児島改め鹿児島中央から東京までが今では6時間半から7時間だからな 鉄道の本質を分かってないバカ「安くて快適な夜行バスがいくらでもあるのに」 >>185
そもそも夜行バスが快適とか言ってる時点で大馬鹿野郎だよ 確かに座席の夜行急行はヤバかった
でも夜中に名古屋出て朝早く
長野に着けたりして便利だった >>113
まず東京から大阪まで8時間ってのが今では考えらんよなあ
昼間がまるまる列車に乗ったまま潰れるとか
西鹿児島まで行く人はこの後16時間乗るんだよな 修学旅行の往路が夜行列車の雑魚寝でキツかったが、目が覚めたらちょうど徳山の辺りで窓の外一杯に広がる工場の夜景がこの世のものとは思えなかった思い出 若い頃、酔っ払った先輩の介抱頼まれてムカついたんで
たまたま大阪駅に止まってた九州行きの寝台特急に乗せた事ある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています