西南戦争の西郷隆盛軍、庶民を苦しめた「酷い戦略」 [309323212]
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待ち受ける西郷軍と政府軍が激突することになるが、とりわけ激しい戦争が行われたのが、「田原坂の戦い」である。3月上旬から下旬にかけて戦闘が続いた。
当時、1日に製造できる弾薬は12万発だったが、田原坂での戦いにおいて、政府軍は1日に平均して32万発の弾を使ったというからすさまじい。政府兵は1日平均165人のペースで戦死している。西郷軍も健闘したといえるだろう。
だが、より疲弊が激しかったのは、西郷軍のほうであり、兵員や弾薬の不足に苦しめられた。現地調達するほかなく、軍資金や米、さらに馬を奪うなど、しばしば略奪を行っている。
なかには住民の殺害に至るケースもあり、西郷軍が「庶民のために立ち上がった有志たち」と言いがたい状況だったことがわかる。
西郷軍が立ち去ったあとの熊本城下について、明治10(1877)年5月25日付の『郵便報知新聞』は次のように報道している。
「焦土の異臭はなお鼻をつき、歩くのにも苦しむ。焼け残った家々では洋品、呉服、魚、肉、野菜を売らない家はない。また村木や藁で仮住まいを造る者もあるが、戦後物価は高騰して、貧しい者はそれすらできない。だから戦争前の家に戻ることもできない」
『郵便報知新聞』とは、前島密の発案によって明治5(1872)年に創刊され、翌年から日刊となった。西南戦争では、後に内閣総理大臣となる犬養毅が戦地から記事を送っており、この戦争がいかに庶民の生活を犠牲にしたかがわかる。
https://toyokeizai.net/articles/-/630546?page=4 だから西郷は地元では人気あるけどそれ以外の九州の地域だとめちゃくちゃ嫌われてる この戦争がいかに庶民の生活を犠牲にしたかって戦争ってスカラベく市民の生活が犠牲になるだけだろう? 昔はそんな戦争ばかりしてたんだろ
庶民の生活はどうだったんだか >>11
先日の大戦もその延長線上。
長州の悪いところを継承したアベノミクスも
武器を使わずに愚民から毟り取る戦略 (哀 全軍で陸路コースで行くとして下関とかどうやって超えるつもりだったんだろう
熊本城の戦闘準備は周到だったの知らなかったみたいだし
薩軍立つってニュースで全国で士族蜂起するって本当に考えてたんだろう
維新政府も地獄のような重税に徴兵の血税だったけど五公五民以上取られたてたのかな
薩摩が政権取ったらすぐ対外戦争して総叩きにあってたかも そりゃまあそもそも庶民のために立ち上がった義軍でも何でもないし >>23 それな 江戸幕府の弱体化に乗じて武力で権力簒奪しただけだし 明治維新って武士だけで庶民足蹴にしながら盛り上がってた糞みたいな下剋上イベントだよな 下級武士に得体のしれぬ輩共が混乱に乗じて下剋上しただけだった >>26
開国で物価が高騰してて庶民(特に町で暮らす人)は苦しんでいたらしい >>1
当たり前だろ薩長なんだから
クズなのは後の日本軍が証明している >>37
糞紙屑になったやつか。現在は骨董品的な価値とか出てんのか? この年、火星の大接近があり、最接近時の9月3日には距離5,630万km、光度-2.5等あまりにまで輝いていた。当時の庶民はこれが火星である事は知らず、「急に現われた
異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになった[1]。 そもそも私学校の出身者と生徒なんだからそりゃそうよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています