児玉には相当のものがあった。戦争に助けられ、またそのパトロン格だった笹川良一のおかげで、児玉は二億円以上の財産を手に入れていた。後年彼は、その金で日本の支配政党の結党を助け、首班の更迭に口をはさみ、世界反共連盟(WACL)を資金的に援助する。そして日本現代史上最大のスキャンダルの主にもなった。この彼と一緒に動いていたのが、長い盟友の笹川である。(中略)

 一九六七年の七月、笹川は自分がもっている山梨県のある湖の畔りの家で、ひそかにある陰謀の会合を開いた。出席したのは文鮮明、白井為雄、久保木修己。白井は児玉誉士夫の地下活動の側近で、「日本青年講座」という表向きでは何ということもない名前をつけた組織の事務局長をしていたが、それはいわゆるヤクザの青年に右翼思想をふきこみ、訓練するための組織だった。久保木は日本の原理運動の指導者で、この青年講座に呼ばれたこともある人物だった。

 会合の目的は、世界反共連盟の傘下で活動し、文鮮明の世界反共十字軍運動を促進させ、ヤクザ右翼組織の指導者たちに新しい見かけのいい格好をつけさせるような韓国型の反共運動を、日本に創り出すことにあった。勝共連合がこうして日本でも誕生し、笹川がその名誉会長、児玉が顧問格となった。

 六八年四月、この勝共連合は公式に、世界反共連盟の日本支部に選ばれた。勝共連合と統一教会は建前上は関係のないことになっているが、実際には勝共連合の全メンバーは、文鮮明崇拝者ないし児玉、笹川が率いるヤクザの子分らで埋められていた。
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──同インサイド・ザ・リーグ『2 サムライと聖職者』より引用