宗教に寛容か?:中外日報
https://www.chugainippoh.co.jp/article/rensai/futaku/20221102.html

「日本人は宗教に寛容だ」という話があるが、それは錯覚だと思っている。日本人が宗教に非寛容である例は枚挙にいとまがない。新宗教の教団施設の開設に対する地元の反対運動もあれば、インターネット上で異なる宗派の僧侶が互いの宗旨への理解を欠いたまま罵り合っているやりとりもある◆
日本人が宗教に寛容であることの証明として、しばしば神仏習合が紹介されるが、そのことは「神仏習合を是とする人は、神仏習合を是としない宗旨に対しても寛容である」ことを直接意味するわけではない。神仏習合を是とする人が是としない宗旨に非寛容な態度を示すこともある◆
そもそも宗教は特定の価値観を強烈に刷り込む営みであるため、他の宗旨に対しては必然的に非寛容になりがちになる。そこに国の違いは関係なかろう。誰でも自分が信奉する教えが一番に決まっている◆
では、なぜ「日本人は宗教に寛容だ」と錯覚してしまうのか。それは日本では自身や他者の社会的属性を判断する指標として宗教の優先順位が低いからであろう。例えば、所属・信奉する宗教よりも出身の都道府県の方が優先順位は高いのではないか◆
つまり日本は自他の宗教的属性をあまり意識せずにやっていける社会ということだ。その意味で日本人は宗教に寛容なのではなく、宗教に無関心というのが実態に近いのではないか。(池田圭)