1900年代初期、欧米列強の植民地主義に圧倒され、清朝(中国)の衰退が顕著になっていた。そんな中、かねてより清の統治に不満のあった外モンゴルの諸王公は清朝からの分離独立を模索していた。

 1911年10月、辛亥革命によって清の実効統治が急速に弱体化すると、外モンゴルのハルハ地方の諸王侯はロシア帝国の力を頼って清からの独立を決意。ボグド・ハーン政権が誕生した。ボグド・ハーン政権は、国号を「モンゴル国」と称し、活仏ジェプツンダンバ・ホトクト8世を皇帝として戴いた君主国とした。

 これらの画像は1913年、モンゴル国を訪れた写真家スタパスによって撮影された外モンゴルの様子をとらえたものだそうだ。

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