「昭和関西の文化遺産!」 モスクワの味『パルナス』復刻委員会が魅力発信 人気のパルちゃんグッズも

「モスクワの味」をキャッチコピーに、1958年から近畿圏で展開していた洋菓子製造メーカー「パルナス」。
「クレーモフ(シュークリーム)」や「パルピロ(ピロシキ)」など、ロシア風のお菓子や調理パンをメインに販売していました。
「パルナス~パルナス~♪」と歌う印象的なCMソングで知られており、多くの関西人に愛された洋菓子メーカーです。

 残念ながら、2002年にパルナス製菓株式会社は解散。もうパルナスを見ることはない……と、多くの人が悲しむなか、
懐かしのパルナスの思い出を残そうと、2017年より復刻プロジェクト「パルナス復刻委員会」が始動しました。
今年で5年目となる同委員会では、定期的にパルナスの魅力を発信。グッズも多数展開し、あのころの懐かしい気持ちを思い出させてくれます。

 そもそもパルナスとはどのようなメーカーなのか? 「パルナス復刻委員会」を立ち上げた藤中さんに、
パルナスにまつわるあれこれのほか、委員会発足のきっかけやパルナスへの思いについて話を聞きました。

――パルナスとは?

【藤中さん】 パルナス製菓は1947年に製麺所から始まりました。戦後すぐだったので、小麦粉が流通しており製麺は売り出しやすかったのだと思います。
翌年、それまで配給制だった砂糖の流通許可が降りたことをきっかけに、ケーキの製造販売を開始しました。

当時、神戸三宮には「モロゾフ」や「ゴンチャロフ」をはじめとしたロシアチョコレートを取り扱う店が既にありました。
そのため、“ロシアケーキ”を打ち出すことで差別化を図ろうとしたのではないかと思います。

――どのようなお菓子が人気だったのでしょうか?

【藤中さん】 ロシア風の「クレーモフ(シュークリーム)」(50円ほど)や、大きな生シュークリーム「ナマシュー」(100円ほど)などが人気だったようで、
ほかにも「パルピロ(ピロシキ)」(30円ほど)が販売されていました。値段はもしかしたらもっと安かったかもしれないです。
でも、当時の物価としては頻繁に買えるものではなかったので、とても貴重でしたね。

2002年に製菓会社は解散となりましたが、実は、現在でもパルナス商品を味わうことができるんです。
豊中にある「モンパルナス」は、パルナス製菓で代表取締役社長を務める古角(こかど)松夫さんの弟が1974年にオープンしたお店です。
同店では、パルナス・ピロシキやロシアン・ドーナツなど、パルナス製菓時代のレシピのままのものを味わえます。

――“パルナス”とはどういう意味なのでしょうか?

【藤中さん】 ギリシャのパルナッソス山が語源です。パルナッソスはフランス語では「パルナス」と読み、パルナッソス山は「モンパルナス」と発音します。
パルナッソス山はギリシャ神話ではミューズが住む山とされており、詩、音楽、学問の発祥地といわれています。

創業者の古角松夫さんはひとまずフランス語の社名にしたみたいですが、戦後すぐにロシア料理に触れました。
「パルナス」はウクライナの名字に多いらしく、そのことを聞いてヒントにしたのかもしれません。

――当時はどれくらいの人気だったのでしょうか?

【藤中さん】 昭和40年代に放送されていたテレビコマーシャルでは、とても人気でした。
関西圏で生まれ育った45歳以上の人であれば、おそらくほぼ全員が知ってるのではないでしょうか? それほど馴染みのあるお菓子でした。

――ちなみに、あの有名なCMにはどのような意味が込められているかご存知でしょうか?

【藤中さん】 推測ですが……、CMには「グッとかみしめてごらん。ママのあたたかい心がお口の中に染み通るよ」という歌詞があります。
そこから想像するに、「母親が子どもに愛情を込めて与える安心安全なお菓子」という意味と、
それをありがたく食べる子どもの気持ちを表しているんじゃないかと思います。

また、古角社長は冷戦時代にソ連の女性菓子技術者エフドーキナ・アンドレエブナ・オージナさんと40年にわたり文通されていた経緯もあり、
「平和であればこそ、おいしい食卓をみんなで囲みたい」という思いも表れているのではないかなと思います。

https://jocr.jp/raditopi/2022/11/10/463599/