また中川さん自身の親との関係においても、なんでも言いなりになるのでなく、抵抗をするようになりました。5年前に他界した母親とは最後までわかり合えなかったと、振り返ります。

中川)忘れられないのは、隅田川の花火大会で大喧嘩したことです、母親と。
その後に母が言ったのが「私が思ってた子どもからどんどんあんたは離れていってる。私が思ってた子じゃなくなっちゃった」。
母は自分の思うような子どもにしたくて、それに反抗したのが嫌だったんだなって。
で、息子がこうなったことでも、母にすごく責められたんです。障害…。
「うちの家系にそういう子はいません」って言われちゃった。そんなこと言われても困ると思ったけど、とりあえず聞いてました。はい、みたいに。
で、(母が亡くなったときに)母の日記が出てきてね。
全部私の悪口だった。えー、介護したのにとか思って…。だからある意味、うちの子どもは私の犠牲になっちゃったところもあるかなと思います。