アメリカで「リベラリズム」の立場から「ポストモダニズム批判」が強くなっている理由(現代ビジネス)
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作家のヘレン・プラックローズと数学者のジェームズ・リンゼイの共著である『「社会正義」はいつも正しい』が早川書房から刊行された。批評家のベンジャミン・クリッツァー氏が、同書の読みどころを解説する。

近頃では、日本でも「特権」に関する議論が盛んになされるようになった。もともとはアメリカにおける「白人特権」の理論に由来しているが、日本では「男性特権」について論じられることが多い。女性差別に関する従来の議論では、性犯罪や賃金格差など、女性の側が被る具体的な被害が問題視されていた。

それに対して、男性特権の理論では「性犯罪に遭う心配をせずに夜道を歩けること」や「自分には正当な賃金が支払われるのが当たり前だと思えること」など、男性側の経験や意識が問題視される。つまり、女性差別が存在している社会では、女性たちが被っている差別を受けずに済むという点で男性たちには「特権」がある、とされるのだ。そして、男性は自分の特権を自覚して、女性差別を改善するために協力するべきだ、と論じられる。

また、近年の日本では「インターセクショナリティ(交差性)」に関する議論も浸透している。こちらもアメリカに由来するものであり、黒人女性の理論家たちが、「黒人」という属性と「女性」という属性が交差するために白人女性も黒人男性も経験しないような差別を自分たちが経験することについて論じるために発明した理論である。この理論は日本においても貧困層の女性や在日外国人女性などに適用できるが、本邦でインターセクショナリティという単語が使われるのは、とくにトランスジェンダー女性が被っている差別を問題視する文脈であることが多いようだ。

そして、特権理論にせよインターセクショナリティ理論にせよ、これらはアメリカでも日本でも反発を招き寄せてきた。特権に関しては、「白人や男性は、“差別を受けない”というだけで特権を持っており、差別構造の維持に加担しているのだ」と主張される場合がある。この主張は、「単に白人や男性として生まれてきたという理由で、自分は差別者であると批判されなければならないのか?」という不満を生じさせてきた。

また、インターセクショナリティに関しては「黒人女性やトランス女性が受けている差別こそが女性差別のなかでも最も深刻であり、インターセクショナリティを意識しなければ真のフェミニストとは言えない」といった主張がされることがある。しかし、黒人女性やトランス女性ではないが差別の被害を受けている女性からすれば、この主張は自分の差別経験を矮小化しているように感じられるだろう。