アントニオ猪木が「右目に指を突き刺し、平然とえぐった」…英雄ペールワンとの“伝説の一戦”でブチギレた猪木が見せた「恐ろしさ」 [979264442]
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アントニオ猪木の全盛期である1970年代、「猪木の影武者」と呼ばれた男がいる。付き人として常にピタリと脇に付き、通常のシリーズはもちろん、異種格闘技戦や危険な海外での試合の際などに必ず猪木に帯同し護衛。スパーリングパートナーも務めた藤原喜明だ。
【写真】怖いほど殺気漂う猪木が、英雄ペールワンを強烈に攻め立て“目つぶし”も!伝説の一戦や「力道山と17歳で出会った超細い猪木」「カラオケする猪木家」など貴重写真で振り返る(30枚超)
https://number.bunshun.jp/articles/photo/855365
「当時、俺は自分のことを“弾よけ”だと思っていたからね。『この人のためなら死ねる』って本気で思ってたから。のちに(レフェリーの)ミスター高橋さんが、『猪木さんが、パーティには藤波(辰爾)を、危険な場所には藤原を連れていくって言ってたんだよ。ひどいだろ? 』とか言ってたことがあるけど、俺は『なんだよ、それって名誉じゃん』って思ったからね。信頼されてなきゃ、危険な場所に連れていこうなんて思わねえもんな」(藤原)
そんな長年身体を張って猪木を守ってきた藤原が、「モハメド・アリ戦と並んで最も印象に残っている」と語る猪木の試合が、1976年12月12日(現地時間)にパキスタンのカラチ・ナショナルスタジアムで行われた現地の英雄アクラム・ペールワンとの伝説的な一戦だ。
「俺はあの試合のビデオをもらったんだけど、いまだに観てねえもんな。怖くて観れないんだよ。あの時のいや~な緊張感が、記憶によみがえりそうでさ」
藤原がそう語るペールワン戦は、猪木の38年におよぶ現役生活の中できわめて特殊な状況で行われた、極限のリアルファイトだった。
猪木のギャラは破格の「2試合で10万ドル」
猪木vsペールワンの一戦は、同じ1976年に行われた猪木vsモハメド・アリ「格闘技世界一決定戦」の影響を強く受けている。猪木vsアリはリアルファイトであったがゆえに膠着した展開が続く凡戦となり、猪木は世界中から酷評を浴び、9億円もの借金だけが残ることとなったが、同時に「アリと戦った猪木」の名は良くも悪くも広まり、世界中から試合のオファーが届くようにもなった。そして猪木は借金返済のために、異種格闘技戦を始めとした異質な試合を数多くこなしていくこととなる。アクラム・ペールワン戦もそんな中のひとつだった。
猪木の元に対戦オファーが届いたのはアリ戦からわずか2週間後。パキスタン大使館を通じての要請だった。相手は戦前に活躍したインドの伝説的なレスラー、グレート・ガマの末裔である、ペールワン一族ことボル・ブラザーズ最強の男、アクラム・ペールワン。パキスタン側から猪木に提示されたギャラは、2試合で10万ドル(当時のレートで約3000万円)と当時のプロレスでは破格の金額だった。
イスラム教徒の国であるパキスタンにおいて、モスリム(イスラム教徒)の世界王者であるアリはいわば神にも近い存在。ボル・ブラザーズらパキスタンのプロレス関係者たちは『アリと引き分けた猪木を倒せば、俺たちの価値が上がる』と考え、大金を用意してまで猪木招聘に動いたのだ。
プロレスとは自国の選手が最終的には勝利する、勧善懲悪のエンターテインメントという側面があり、パキスタン側は当然アクラム・ペールワンの勝利を望む。しかし、アリと引き分けた“大物”猪木が、わざわざパキスタンまで来て負け役に甘んじるとは思えない。しかしボル・ブラザーズにとって、それはすでに織り込み済みであった。
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「クソッ!」ハメられた猪木の怒り
「アリ相手に寝てばかりいた臆病者の猪木に負けるわけがない。真剣勝負になれば、勝つのは我々だ」。そんな思い込みから、なんと大会当日、試合の直前になって「我々はショー・レスリングをするつもりはない」と告げてきたのだ。
猪木はアリに対し、半ばだまし討ちのかたちで真剣勝負に持ち込み、勝利することで自らの名声とプロレスの地位を高めようとしたが、今度は猪木が逆の立場となって、“罠”にハメられたのである。
この突然の通告に猪木側は激しく抗議したが、ペールワン側は一切の話し合いを拒否。すでに契約は済ませており、テレビ朝日、パキスタン国営テレビでの全国中継も決定済み。当日になって「通常のプロレスでないのならキャンセルする」とは言えない状況にもなっていた。この時の猪木の様子を藤原はこう語る。
「あそこの会場(カラチ・ナショナルスタジアム)は普段はポロの競技場だから、控室が馬も入れておけるコンクリート打ちっぱなしの広い土間でね。猪木さんはそこにひとりで座ってて、『クソッ! なんで俺がこんなことやらなきゃいけねえんだ! 』みたいなことを言ったりして、すごい機嫌が悪かったよ。でも、試合が近づくにつれて何もしゃべらなくなって、たぶん自分を追い込んだんだろうな。そうやって覚悟を決めて出ていったんだよ」
猪木は右目に指を突き刺し、平然とえぐった
午後8時15分、ゴングが鳴る。1ラウンド5分、6ラウンド制で行われたこの試合は、通常のプロレスとは明らかに違う異質なものとなった。猪木が普段の試合で使う、ナックルパートも、コブラツイストもドロップキックもない。その代わり、アクラムの動きをグラウンドで制し、上腕部の硬い部分で顔の急所を締め上げ攻撃していく。この猪木のシュート(真剣勝負)テクニックにアクラムは為す術がなく、試合は一方的な展開となった。
試合は、猪木圧倒的に有利の中、2ラウンド終盤に“事件”が起こる。猪木はバックからアクラムの動きを制すと、テレビカメラの死角となる角度で、アクラムの右目に指を突き刺し、えぐったのだ。この目潰しや肛門など急所を狙う技は、いざという時に使うプロレスの裏技。アクラムもフェースロックから脱出するために噛み付きを行ったとはいえ、敵地で地元のヒーローを相手に平然と相手の目をえぐる。それができるのが猪木の恐ろしさだ。
そして3ラウンド。猪木は左腕をリストで固めると、そのまま一気にダブルリストロック(腕がらみ)を極めた。アクラムはそれでもギブアップを拒否するが、さらに猪木が力を入れると、アクラムの左腕は脱臼し、レフェリーが試合を止めた。猪木は試合直前になってリアルファイトを迫ってきたアクラムを、見事返り討ちにしたのだ。
アクラムは「俺は目に指を入れられたから負けた」とエクスキューズを主張したが、それに耳を貸す者は誰もいなかった。力の差は誰の目にも歴然だったからだ。そしてこの一戦を機に、一族の名声は地に堕ち、ボル・ブラザーズは没落。パキスタンのプロレスの灯も消えることになった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/842e5a3e5d5435496cc897fda644abc062685d0f
了) 普通に柔軟やってる相手だから関節技が決まらない+油 ベタやけどやっぱし小学生の時にリアルタイムで見たハルク・ホーガン戦のベロ出しノックアウト負けやね私の中では
あれ以上の衝撃はそうそうありませんわほんまに >>7
坂口征二「マジでビビったら控室でいきなり蘇生してすげえ驚くとともにガッカリ」 ブラジルの貧民キッズだもんな
最も成功した少年兵みたいなもんだよ 力道山・馬場・猪木
たしかに事前の設定とかは通じなさそうではあるね 70年代に猪木を見てた世代とそれ以降だと猪木に対する印象が違いすぎる 山本小鉄が新弟子のスパーリングでまず肛門攻撃をして
「プロレスにはこういう技もあるんだ」
と体で教える
なんだかイヤラシイ(´・ω・`) 突き刺してえぐったの用法間違えてねえか
ちょっと引っ掻いて目潰ししただけやろ 客が盛り上がると思えばアドリブで相手の腕をへし折ったり逆ブック破りまでしてのけるのが猪木だからな
勝ったホーガンの方がキョドキョドしてるし >>16
可愛い言い方にかえただけでしょ
当時のプロレスならかなり深く入れたとおもうよ アントン以上のレスラーはもう出てこないんだろうな… これなんかほんとキレてるっぽいな
終始猪木ペースで試合が進んでるのにそこまでやることないやんくらいに腕を締め上げてやんの
やりすぎだろ猪木 ホントに指を突き刺してえぐったら眼球が飛び出すんじゃないの? >>29
猪木からみたらたいていのことは大げさなんだろうな >>32
浜口京子がそんなのやってる画像みたことある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています