文芸誌を抱える出版社の新人や若手編集者が必ず通る年1回の風物詩、それは「新人賞応募作の下読み」である。
そしてその世界では有名な話だが、この新人賞(特に純文学)応募作の半分近く、いや半分以上が、定年後の素人男性小説家志望者による壮大なエロティックファンタジーなのだそうだ。下読みの仕事とは、応募作の山から、一つひとつ読み、まず「それ」を外していくことなのだという。
あるアラサーの編集男子は「みんな、先輩たちから聞かされて頭ではわかっているけれど、あまりの数にもうイヤになるというか、人間不信にすらなるんですよ」とボヤいた。
各文芸誌のテイストや傾向によって多少の差はあるが、実際に目にする素人のおじさんたちの濃い妄想と並々ならぬ熱量を直接近距離で浴び、各社、泣きたくなるを通り越して本当に泣く新人編集者もいたりするという(もちろんそれは感動の涙とかじゃない)。
アラフィフのおばさん物書きである私としては、その話を聞いて、どちらの立場もなんかわかるなぁと笑ってしまったものだ。
会社でコツコツとまじめに働いてきたおじさんが定年を迎えて、さて時間ができたから何かしてみようと思った時、ようしこの際、今まで心の中ではほんのり憧れつつ、同時にそんな不安定な仕事など生業にできるものかと振り払ってきた「小説家という自由業」になってみようかと新人賞を目指してみる。そしてそこで選ぶ題材が、仕事に脂の乗った会社員時代にさんざん妄想しながらも、まじめな組織人として、家庭人として、まさか実現になど至らなかったが実はいたしてみたかった「若い女性(たいてい部下)とのラブロマンス」なのである。
妄想は自由である。それを自由な時間を得た今、自由なワークスタイルで書き連ねてゆく。1つだけ決め事があるとすれば、新人賞の応募締め切りだけ。ああ、本当はこういう仕事がしてみたかった。こんなロマンスもしてみたかった。あとこんなプレイ・・・すみません失礼しました。どうだ、熟年の青春だ。やっと手に入れた自由な時間、定年バンザイ!
だがそうやって綴られた自由の結晶である「俺のエロ小説」の数々が、編集部のデスクに山積みになる。「なぜ人は、小説を書こうとするとまずエロ小説なんでしょうねえ」、若手編集男子は首をひねる。「やっぱり小説とは妄想だから、人類の最もポピュラーな妄想とはエロなんじゃないですかね」、私は答える。「中にはエロとはいえ読み応えや芸術性のある妄想もたまにはあったりしないんですか?」「いやそれが・・・。どれもどんぐりの背比べなんですよ・・・」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72699