被告は神戸に祖父母、父母、被告を含む3人の子どもの7人家族で育った。父は会社員、母は介護職のパートとして勤務する。
小中高と成績は「3」だが、勉強が苦痛だった。
母は小学校低学年の頃からつきっきりで教え、必死なあまり、ときには髪の毛を引っ張ったり叩いたりすることがあった。被告は母を「スパルタ」と表現している。父は子育てをほぼ妻に任せていた。

学力不問、試験は面接のみというごく簡単な選考により、偏差値35の私立大学に合格。
経済的に不自由はなかったが、「異性を好きだという感覚が理解できず、自分が男性か女性かもわからず性的な興奮もない。性経験を積むことで女性であると確認したかった」という理由で、大学1年から親に内緒でデリヘルのアルバイトを始める。
大学4年のとき母が妊娠に気づいて妊娠検査薬で検査をさせ、産婦人科の受診に連れて行った。中絶可能な時期を過ぎているとの診断だったが、本人は「(妊娠検査薬の結果は)就活のストレスで陽性になることもある」「(お腹が膨らんだのは)ガスだまりと医者に言われた」と言い逃れた。