なんか現代って「善か悪か」じゃなくて「快か不快か」で物事決める人が増えてないか? [769327952]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
うーんあんまりっていうか善について主張できる場面が無いな
楽しいかどうかとか充実してるかとかは言うけど
日本で善悪は無理じゃないかな 特にSNSはそうだね
善悪を語るより快不快を語る方が共感を得られやすそう
善悪は思考、快不快は感情だからだろうか お前の適当な定義なんて興味ねえわ
ふなぽん臭いスレ立てんな 悪とは逆ベクトルの善だからな
一周回って直感のほうがむしろあてになるんよ 実はそれが定型発達なんだよな
善悪とか原理原則とか筋とか気にするのが実は発達障害
どっちがいいとか悪いとかじゃないけどね それ、まんこの特徴
あいつらに実践理性は存在しない 「快か不快か」という自分の感覚を自覚して話してくれるんならまだ良いんだけど
声高な連中は得てして「自分は善悪に基づいて話している」と信じてるのが困るな 確かに男は本来善か悪かを非常に重要視していると思うわ
でも女から人生をより良く生きる方法を学ぶうちに快不快で判断する素晴らしさを知るんだよな
女の生き方が素晴らしいと思えた男は幸せに生きられるようになるわけよ
女と心を許しあって女を尊重して女の快不快を守ることで男は幸せに生きる道に入ることができるんだな
そう男が幸せに生きるために必要な判断基準は男の快不快じゃない、大切な女の快不快なんだよな >>15
それは何を読んでそういう風に考えるようになったわけ?
発達心理学なんかでは快不快による判断は成長初期の乳児幼児の段階に見られるものだってされてると思うけど
善悪と快不快の問題を偉大なるプラトンが徹底的に論じたのは、ピレボスにおいてであるねw 善か悪かも主観的すぎてアカンやろ
事実か嘘かで決めろ 善悪の概念は宗教で違うから何でもありと無信仰者が混ざり合う日本では統一出来ないだろ? 統一された原典がないアジア人でなにをなんとするかも討論もなく
曖昧で好き勝手なアジアの日本でなにかができるわけない 善と悪なんてない合法か違法かなだけってパトリックジェーンが言ってた 大昔(何百年とか)は理性があるから人間的である
って言われていたのに最近では
感情があるから人間的である
と言われるようになった、ってどこかで見てへーって思った >>31
AIが言われだしてから
人間の価値が変わった 1%側の猿🐒Japanゴイムランド支配者層と0.03%真の世界支配者「日本なんて国は政治家と官僚さえこちら側👿に引き込んでしまえば、統治は楽勝さ。上級国民や目上には逆らえない99%側下級奴隷底辺家畜猿🐵らの集団には、革命や反乱やテロなどおこせやしないから。何百年たっても何千年たってもこの体制のまま支配できるのだ❗」
helljapan😈👁です❗\(^o^)/ 政治では変わらない国…
外圧と侵略と軍事クーデターと財政破綻&預金封鎖&金融ゼロリセットとNWO世界統一軍日本再占領による再分断分割統治システムでなければ変われない国・・・
hell Japan😈👁です❗\(^o^)/ 善悪相対
時代や立場によって変わる善悪などにとらわれるより
損か得かの利益のため、快か不快かのこの確かな感覚のために生きた方が真実のありかたなんだよ!! 善悪の相対性をゆるく解釈すると快/不快になるって解釈なんだろうね
たとえば2000年前に追い出されたアパートを自分の家だと言い張って、2000年以上前から同居していた旧友をテロる、旧友とは人種の異なるおかしな人達にとって
善悪の判断は世界の大多数とは正反対 世の中悪人ばかり
自分のことしか考えてない
ホームレスを助けたりとかそういう人は善人
大人しく猫をかぶってやり過ごす戦略を取ってるだけの人間は悪人 ヒュンダイって読んじゃう
我ながらケンモ仕草極まってて笑う 善悪の問題は
人間が、科学のように客観として善悪を判断できて他者を裁いたりできるのかっていう根本の問題があるんよ
判断できない、判断できるかどうか分からないのに他者を裁くのはそれこそ「悪」ではないのかと
善悪相対や善悪否定側からは毎度ここをつかれて善悪逆転の思想の根拠にされたり だから、善悪の絶対性を語る思想(宗教)は多くがその特徴として
客観世界に絶対の根拠を求めず、この世を超越したところにそれを置いて
人間が同じ人間である他者を裁くことを控えて主観である内心に謙虚であり懺悔をするってのがある 裁きも弱肉強食のひと形態に過ぎないだろ
悪だから裁く、なんて考える人間こそが邪悪そのものだよ 裁きが善が悪を断罪する行為なら
なんで北朝鮮に刑務所があるんでしょうね
善悪と全く関係ないところで処罰は行われると正しく認識しないとダメ 相対主義は視点の違いに過ぎないから
基本前提として相対主義が成り立つ事を認めるのが正常な社会認識だし、そこで絶対的な価値観に逃げたいなら宗教や独裁国家の閉じた世界で洗脳されるしかない >>24
その議論は発達段階の初期の話
生まれたばかりの幼児には社会経験がないので
社会や集団に依拠したタイプの善悪の判断は後天的に学習するしかない
それらが未発達な状態では
個人の生命維持に直結した快/不快の感情が
有力な判断基準になる
次に集団生活や社会と接点を持つようになり
他人にも快/不快の感情があり
それが自分の快/不快の感情と衝突し得る事を認識した時
その矛盾を解決するために、実効性を持った第三者
たとえは親や他の大人や幼稚園保育園託児所の職員に
裁定を委ねるようになり、そこにも個人的快/不快の感情や利害関係が絡む事を知って
属人的ではない絶対的な善悪の概念が存在してほしいと希求するようになる
それがこのスレでは大人なら発達障害と呼ばれている段階
より年齢が上がり、世の中は善と悪で色分けできるものではなく、利害関係の調整で妥協点を探すものに過ぎないと認識した時、絶対的な善悪という発達障害者の考え方を脱却する 嫌儲でも、正義ガー、悪ガーと一年中叫び
自分の信じる正義のためなら
職務規定違反の守秘義務を破ったり
ネット回線をtorとVPNで秘匿済みだから
刑事犯罪に問われる自殺教唆や誹謗中傷をしても問題ないと考える
還暦間際の精神異常者が暴れ回っているが
それは正義と悪が絶対的価値観だと信じ込み
主観的に悪に見えるものは
絶対悪だから職務規定違反や法律違反をして
個人攻撃しても構わないと考える
発達障害者の振る舞いに過ぎない この手の話って普通なら小学生か遅くても10代のうちに到達する結論だから
それを還暦間際のアウトロー相手に説明しなきゃわからないのは、とても愚かしく哀れだね >>47
そういうのがお腹いっぱいなんだよね
自分が信じるのが絶対善とは思わないけど、これからの人生は善とは何かを考えつつ善を為す人生にしたい 他のみんなにもそうしてほしいよ >>51
相対主義は諦めではなく、多様な価値観を認め調和と発展を求める道
絶対的正義を求めるなら、虚偽に過ぎない絶対的価値観を強制するカルト宗教やファシズム国家がその答えだから
嫌儲のスレに来る必要はない 何も周りのことを考えずに、自分の考える正義を周りの人も認め従ってくれる事を理想とするのは自閉症
山奥にでも引きこもって自給自足の晴耕雨読をするのも悪いことではない 客観による、または物質の世界(自然界、現象界)の実在か
主観による、または精神、観念の世界(叡知界、イデア界とか)を実在とするのか
この二つの世界観の争いが西洋の思想史なんだが
自然科学が大きな効果をあげて、前者の世界観をもとに「近代化」された俺らの社会や学問、価値観はだいたいつくられてる 客観てか、観察の対象になる「自然」とかには
主観というか、精神上のものである「善悪」とかの価値観の根拠は認められず
自然や科学を根拠にした世界観では、善悪相対、多様性や平等、または功利主義が「正しさ」とされるようになる
「善人」とされてた人も「悪人」とされてた人も
「同じ人間」として平等なものになる
そこから先の善悪判断は、その時々の社会の要請や時代の価値観で付け加えられて自由なもの、それ以上の解釈は不可能になる こういう科学主義、唯物論の大きな問題点は善悪の根源的な根拠を求めることができなくなること
つまり「殺すなかれ」という善の基準が、「自分が殺されたくないから」「社会が維持できなくなるから」とかの経験上のことにしか求められない
こうなると、「進歩」とか「進化」っていう科学によってもたらされた新しい目的が「殺すなかれ」を超越してしまうという問題がでてくる
マルクス主義の暴力革命とかナチスとか優生思想という社会進化論によって
「正しさ」のために平気で人の命を奪うような思想や運動が出てきてしまう 精神やイデアを普遍絶対とする世界観も
そして物質や自然や科学とかを普遍絶対とする考え方も
両方とも西洋のもの、普遍絶対の観念上の基準を常に求めてそれを置こうとする一神教の考え方なんだよね
キリスト教を普遍の「正しさ」として世界に進出して「正しさ」同士で争い
今度は科学や自然(または理性)を根拠にした自由、平等、民主主義、進歩を普遍の「正しさ」として世界中に押し付けて戦争を起こすことになってる 我々はずる賢く立ち回って生存種付してきた邪悪の子孫だと考えてます笑
正義を成したいなら死んでいった彼らへの償いで人生すべて費やしても終わらないでしょうね笑 生物の根本にある大きな方針というか
自己目的化された存在意義は
善悪の問題といった形而上の哲学やイデアを考える事ではなく
個体として生物種として生き残り遺伝子を次世代に繋げる事、にしかないから
科学を持ち出しても善悪の話にはならないね
そこでなぜ、善悪という概念が生まれたのか考えるならば
社会性や共同生活における、価値観のすり合わせと協力の理由付けでしかない
そして、個人と共同体を比べると一個人は圧倒的に弱いから、共同体をうまく丸め込む個人がのしあがり、その方面が弱い人間が搾取される階級社会や搾取社会は容易に生まれてしまう
それではなぜ、現代においては個々人の尊厳が共同体の利益に対抗し得るほど尊重されるようになったのか?
そこは弱者にも目配りする宗教的価値観や、人権思想、民主主義の成立と発達に関わる事からだから、
詳しくはその方面について突っ込んだ議論をするしかない おっと、一つ肝心なのを忘れていた
商工業や貿易の発達で商工業者が力を蓄えるようになり、かつて世界を統治していた宗教や王権とは異なるロジックの社会正義や社会的価値観が必要となり
そこに宗教や王権神授説に匹敵するミステリアスな誤魔化しが必要になって、基本的人権とか民主主義あるいは共産主義という美辞麗句の建前が必要になったのだろうね
そしていま世間で大手を振って歩いている善悪とは
・商工業者にとっての善悪(ビジネススキル)
・国家や官僚や政治家にとっての善悪(司法や警察)
であり、建前としての基本的人権や民主主義は
上記二種類の悪漢にとっては、本来どうでもいい事だから
軽んじられ誤魔化され捻じ曲げられる
その被害を受けるのは、上記二種類の悪漢に所属しない人々、だね まあ、何にしてもこの問題(善悪とは何か、正しいとは何か)は
まず自分自身の持ってる、教育や社会生活で刷り込まれた善悪観や価値観、世界観に気付いてそれを疑うことから始まる
いつの時代もそれは変わらない
疑ったことのない人は、宗教社会だとその宗教の世界観によって
今の日本の社会だと経験実在の世界観や進歩と科学によって出来てる善悪や世界観によって判断し続ける
とにもかくにも「自分を疑う」
これがないと始まらない 自分が普段や社会生活で行ってる善悪の、「正しい」の判断の根拠とは何か
西洋なら知性や知覚の対象、現象を超越したイデアや神、それに関係する理性を根拠にするキリスト教イデア論合理論
または知覚の対象になる経験や自然を根拠にする経験論または唯物論
更には「根拠などない」とするニヒリズムとかそっち系になる
でもこれらは全部、西洋の考え方の「クセ」みたいなもの
普遍の根拠ってのを前提に求めてそれをどこにおくのか、またはあるのかないのかとするもの 「正しさ」の根拠とか存在の目的とかを
自然や生物に求められるのかっていう問題は
科学や経験論側と、宗教や人道主義系の側とで社会生物学論争とかで現代でも激しく論争されてるらしいね
そういう西洋の二つに分かれた思想上の対立は
「正しさ」とか「目的」とか「実在」とかの観念を無自覚にも実体として認め続けてることから起こり続けてるように見える この二つの対立は、単なる論争に止まらずに
恐ろしいことにガチの戦争の原因の一つにもなってるみたい
今のウクライナの戦争がそうで
ウクライナに広まってきた西洋近代、経験論や科学的な見方からの自由平等の思想
LGBTとかの活動を
反西洋近代のプーチンやロシア正教は、形而上の実在である霊魂を汚し、救いを台無しにする物質中心の悪の思想として非難してる 思慮深さが無いよね
ぼくが嫌な思いしたあああああ!!!って衝動的に暴れる奴らが増えた 快不快以外に善悪を決めることができる要素がほぼないからだろうな
この能力が備わってない人間・集団は壊滅したとも考えることができる そもそも善か悪かで決まることは無いだろ
個人と集団への益と損のバランスで決まることが多いんじゃね
なのでどっちかと言うと世の中ずっと快か不快で決まってきてると思うよ
それを感じる主体の力や影響の強さと全体の利害関係でバランスするとこに着地する >>63
それ科学の命題ではないから科学では議論にならず
科学者個人とか、科学に価値判断基準を求める人々の
科学の外側の議論じゃん
科学は仮説を実証的に検証する方法論に過ぎず
その方法論では極めて主観的な「善悪」の概念は
扱えないし
「目的」に関しても、進化の末の機能と生態の
合目的性の確認程度にしかならない
この話に安易に「科学」を巻き込むのは
宗教的目的による科学(実証的方法論)の誤用でしかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています