武田双雲さん、ADHDと判明 [955949967]
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書道家の武田双雲さんは、子供のころから衝動的に行動するために、けがが多く、時間割に合わせて学校の準備をすることも苦手だったそうです。ADHD(注意欠陥・多動性障害)だとわかって「気が楽になった」と言います。(聞き手・斎藤雄介)
――自分がADHDだと思ったきっかけはありますか。
最初、妻が、ぼくのことをADHDじゃないかと疑い始めたんですね。新婚旅行で、フランスの観光名所、モンサンミッシェルに行ったんですけど、ぼくは3回くらい行方不明になったんです。ぼくの側から見ると、気づくと妻もいないし、同じバスの旅行客もいない。
妻から「(一緒に)やっていけない」と言われました。でも、ぼくは、なんでやっていけないのかが、わからない。妻の言うことの意味がわからないんですよ。
妻は危機感を持ったのでしょう、ADHDの本を読んでいました。でも、ぼくは興味を持たなかったんです。
2016年ぐらいに、たまたまインターネットの記事で、アインシュタインがADHDだったのではないかという記事を見て、「なんだろADHDって。聞いたことあるな」と思って検索したら、診断サイトが出てきた。それを見たら、ほとんど当てはまりました。自分の説明書かなと思うぐらい。
その後、岩波明先生(昭和大学附属烏山病院病院長)とお会いして、「ほぼ確実にADHDでしょう」と言われました。それで、すごい気が楽になったんですよ。子供のころから、「ちゃんとしろよ」と言われ続けてきたんですが、そういう性質だったんだと受け入れることができました。ADHDという言葉が、ぼくを救ってくれた。
今も日常生活はいろいろあるけれど、周りからのサポートもあるので薬の処方は受けていません。
――ADHDの特性とはどのようなものですか。
ぼくは、ADHDの多動性、衝動性を強くもっています。こうしていても、体が止まらないです。今も足が動いている。ずっとどこか動いていますね。
衝動的に何かをやろうとするんですよ。突然、ジャンプしたり、突然、変顔をしたり、自分で思ってもないことを言ったりするんです。それが面白いって言ってくれる人もいるし、怒らせてしまうこともある。
これをやったら面白いだろうと思ったら先に体が動く。そんな感じです。
ストーブに座って大やけど
――子供のころは大変だったのではないですか。
小学校のときには、目をつぶってどこまで行けるか試しました。壁にぶつかって目の上を切って、血だらけで家に帰りました。大けがですよ。
ストーブの上に座っても、一瞬なら熱は伝わらないんじゃないかと思って、パッと座って大やけどです。なんでそんなことをするんだろうと思うのですが、ふと思ってやるんです。危ないですよね。
3回目に骨を折ったときには母親が「マイ松葉づえ」を買ってくれたんです。松葉づえは病院で貸してもらうもので、普通なかなか買わないですよね。学校にいると、なんか楽しくなっちゃって、松葉づえでいろんなクラスを回るんですけど、それでものを壊したりしてね。
子供のころは衝動性がひどいですね。ひとつひとつのことに興味が行くから、まったく周りが見えてないんです。視野が狭い。
気は強くないんです。性格はビビリ(怖がり)なんですよ。怖いものに立ち向かっていく勇気もない。それなのに衝動性でやってしまうという感じ。思った瞬間に体が動いちゃう。
「いまも学校時代の悪夢見る」
――勉強も苦労したのではないですか。
時間割通りに授業の用意ができないんです。そういうことがとても苦手です。
いまだに学校が夢に出ます。みんなについて行けない夢。みんな、プリントとか用意するんだけど、何を用意しているのか、さっぱりわからない。何の授業? これ何の授業? 一人だけわかっていない。いまだにそういう悪夢を見る。
びっくりするぐらい勉強しないし、びっくりするぐらい宿題をやらない。とくに暗記教科ができなかった。感覚的に解ける数学の方がましでしたね。仕組みがわかれば解ける方がまし。覚えなければいけない教科は苦手でしたね。
――でも、友達もいて楽しかったんじゃないですか。
ぼくは友達がわからないんですよ。友達っていう概念がわからない。すごく仲のいい友達がいたわけでもない。目の前にあるものに反応しているので。いまだにわかんないですね。友達ってなんだろう。何回も連絡取っている人はいるけど。
https://news.yahoo.co.jp/articles/99e99ad519de655ffdc91ebf3dcc6ea0255c8309 だからなに?「私女なんですけど?」みたいな免罪符ないからちんぽは苦しんで生きて
――中学で野球部に入ったんですね。
そこで孤立しました。今思うと、自分も悪いんですけど。みんなの中心になっていた男の子に何か変なことをしちゃったんです。彼の持っている物、帽子かなにかを外に投げちゃった。「どこまで飛ぶかな」なんて。衝動的に、みんなの前で。
それがきっかけで無視されるようになりました。友達が離れていく。先生に怒られる。なんか、衝動的にやっちゃっているんですよ。なんでそんなことやるのか、自分でもわからない。
野球でピッチャーやっているときもボークばかり。ボークの理由がADHDというのは、今だからわかるんですけど。
振りかぶって、空が見えたら、空がきれいだから、見上げてしまう。腕が帽子のつばにあたってコツンと音がしたら、音が気になってもう1回、帽子を触ってしまう。
審判にボークって言われたときに、みんなの頭の中にハテナマークが出ちゃう。監督はワナワナ怒っている。「お前、何やってんだ」って。ぼくもわからない。今ならADHDだってわかるけど、当時はそんな言葉、誰も知りません。
年賀状の仕分けバイトを15分でクビ
――書道はいつから始めたんですか。
母が書道教室をやっていて、物心ついたころから習っていました。進学するにつれ、習字をすることもだんだん減っていきましたが、友達とうまくいかない期間には字を書いていました。
とにかく手書き文字というものに、すごくひかれますね。街で歩いていても、看板の文字とか、目に入ってきます。
大学生の時には、郵便局の年賀状仕分けのバイトを15分でクビになりました。年賀状の文字って、個性が出るじゃないですか。それぞれの年賀状の手書きの癖にずっと見ほれていたら、クビになりました。
ADHDの特徴として、興味の持ち方が極端なんですね。興味のないものには、まったく興味がない。普通なら、もうちょっと興味を持たなければいけないものも頭に入ってこない。
――自分でもそういう傾向に困ったなというのはあったのですか。
落ち込みはしますよ。でも、どうしていいのかわからない。反省の仕方がわからなかったですね。何かポカーンとしている感じで。怒っている方にしてみたら、のれんに腕押しですよね。
――人と違うなという感じはあったんですか。
友達と遊んでいても、いつも置いてけぼりになるんです。ぼくだけ行方不明。ぼくの側から見ると、まわりが何を考えているのか、わからないんですよね。みんなが何を見ているのか。ついていけない。
アーティストとしてはいいですよね。常識的じゃないことやるから。新しいことをするとか、突拍子もないことをするとかは得意ですね。ただ、意味のある行為、利益につながるような戦略、戦術に関しては何もわからない。
文字を書いて人を感動させた
――書道家になったのは、どういういきさつですか。
大学を卒業して会社に勤めていたときも、ぼくが覚えているだけでも、いっぱい、やらかしています。まわりからすると、意味のわからない行動がたくさんあったと思うんですよ。
その時に、独身寮にいて、やることがないから、もう一回書道を始めました。ミニサイズの書道セットを買って、会社でも電話のメモを毛筆で書いていたんですね。電話を受けながら、すずりで墨をすって。
まわりからは何の反応もなかった。みんな忙しいでしょう。でも、そのうち、近くの部署の女性たちから「ちょっと面白い」といううわさが広まりだして、ある女性が自分の名前を書いてほしいって言ってきました。そして、ぼくの書いた文字に泣いてくれたんです。「自分の名前が嫌いだったんです」「でも、こんなにいい名前だったんだ」と。
それまで、ずっとうまくいってないわけですよ。怒られることはあっても、ほめられることはない。人を感動させることができるなんて想像もしていないから、びっくりしちゃって。興奮しちゃって会社を辞めることに決めたんです。 テレビでこの人すごい人です今から筆で字を書きますって紹介されていつの間にか有名人枠にいるけど
お前らこいつをすごいとは思ってないだろ この手の人って読みにくそうな字書いてるだけやろ ADHDでも問題ないやん 衝動性も
モノアミン仮説であったが
今年完全に否定された https://www.nature.com/articles/s41380-022-01661-0
原因はやはりACEスコアであるという
結論として発達障害はACE・虐待に当たる有害なデマということになる とくに暗記教科ができなかった。感覚的に解ける数学の方がましでしたね。仕組みがわかれば解ける方がまし。覚えなければいけない教科は苦手でしたね。
これめっちゃわかるんやけど
おれもそうなのか 多動のウザさは身近にいる人間にしかわからん
言語で抑制できないからな
ヤメロって言うても何の意味ない
意味意思疎通できないからね
自然と距離取るしかなくなる 先生が書く「た」に惹かれて
クラス全員に自分ノートに「た」を書いてもらって集めたってエピソードあったけど、そういう事だったんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています