今川義元「ギャー!織田信長が奇襲してきた-!」ウソだった。普通に負けただけだった。 [584964303]
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「織田信長は奇襲で今川義元を破った」はもう古い…「桶狭間の戦い」の最新研究で論じられていること
奇襲ではなく、むしろ正面からの突撃だった
これまで「桶狭間の戦い」は、兵力に劣る織田信長が今川義元を奇襲で倒したとされてきた。
ところが、これは最新研究では覆されている。
歴史学者の渡邊大門さんは「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」という。
https://president.jp/articles/-/64042 それじゃまるで義元公がとんでもなく戦下手の無能みたいじゃん 30年ぐらい前にようやく分かったこと
逆になんでああいう奇襲的なストーリーが定着したんやろ
多分江戸時代からああいう話だよな >>5
信長公記のせいじゃね
信長の資料ってそれくらいしかない 少ない兵力の正面突撃で大軍撃ち破ったの?
織田って兵士弱かったんじゃないの? ちょっと前までは実は今川有能説が幅を利かせてなかった?🤔 兵力差的に正面突破は無理だろ
正々堂々と正面から行って敵の本陣だけを叩いたなんてこともあるわけがない
奇襲じゃないなら上手く陽動をかけて敵の前衛や中衛を本隊から引き剥がしたか? 今川義元を無能にすれば裏切った松平元康を悪者にしなくて良くなるからな >>1
いい国造ろう鎌倉幕府もそうだが
あらゆる説があるのはいいが歴史を混乱させてどうすんだよ
ってそれが目的か
日本の歴史を壊そうということだろう 相変わらずこの人の書く文章つまらないな
いつもタイトルと中身違うし 桶狭間の奇襲の話を間に受けたジャップ帝国軍は
連合軍に対してワンパターンの奇襲を繰り返して
その度に蜂の巣にされてたらしいな 桶狭間は崖を下って奇襲した
桶狭間は山を登って奇襲した
桶狭間は狭路に入った所をを奇襲した
桶狭間は正面から奇襲した←new >>11
桶狭間は狭いんだと思う
5000人くらいでやりあう戦場に10万人連れてっても意味が無い 正面から行ったのなら兵力差的に厳しいから奇襲だったんじゃねえのってなったんじゃないのか? えっ、桶狭間の戦いの前に信長は敦盛を舞ってなかったんですか!? 改ざんが伝統芸の国で資料をもとに考察しても無意味やろ >>21
まあ1560年に桶狭間で織田が勝って今川義元がおっちんだのは動いてないんだから
戦いの詳細がどうだったかなんてマニアの妄想レベルの話じゃね 2000年代以降の若い史学屋って無能で不誠実な糞ゴミだらけだし
况て表に出て来るのわゲロ糞ゴミ汚物のみ
正面戦闘説とか論外 まぐれとしか思えんというか…
ただこの後も信長は少数の兵を率いて戦果を上げるて事何度かやってんだよね 戦史上でも、大部隊に接近されても気付かないケースは、ポツポツある >>8
奇襲だと記されたのは信長公記ではなく
土佐と長州出身の役人達が軒を連ねた明治の参謀本部がお墨付きを与えた信長記 >>11
津島商業圏で育った1000人の馬回りは商売で賢く育ってて強いから
適当突撃で分厚い吉本本陣抜いたってセンゴクが 名前が似てるからザマの戦いと混同してしまったんだろう >>18
まだ尾張の統一も済んでないころの信長にそんな兵力が用意できたとはあまり思えないな >>36
たとえばどの戦?
織田軍は兵力で圧殺するイメージだけど 今川義元ならどんなネタキャラにしても許されるみたいな風潮あるよな
そんなやつが東海一の弓取りとか言われるわけないだろ 夜間行軍のなか鷲津砦を攻撃したばかりの疲れているであろう今川の先遣隊に攻撃を仕掛けてみたら
間違えて偶然にも沓掛城から出てきたばかりの義元の本隊だった
ラッキーパンチが致命傷だったみたいな 奇襲でもしないとさすがに大将の首級までは取れないだろw
正面からじゃ負けても逃げられる >>43
熱田神宮と津島神社の海上貿易を抑えてるから金はめっちゃある >>44
だよな
信長を持ち上げたいならむしろこっちだわ 津島の隠密から得た情報で相手の数が少ないことがわかったので
突撃したんだよな
今川の首を取ったのは平野だが、あまり優遇されず
情報を持ってきたやつに大きく褒美を与えたという
擦り倒された逸話 >>46
これな
織田が和議を申し込む→義元出向く→和議の場で不意打ち説すらあると言うのに なんだかんだ後を継いでから割といいペースで国内の反対勢力潰してたのに
今川をカウンターKOするまで尾張のうつけ扱いだったのは本当なのか? 戦国乙女レジェンドバトル本当につまんなかったな
もう1円に1台しかない >>46
でもやっぱり麿が蹴鞠してるイメージだよね今川義元って >>34
だがその通説には疑問が残る
織田信長がうつけから急に有能になったこと、そして今川義元有能説、これらから導き出される答え、それは桶狭間の戦いの際に織田信長が今川義元が入れ替わったと考えるのが自然ではないだろうか
つまりこの時おっちんだのは今川義元ではなく織田信長だったという可能性はないだろうか >>14
全盛期の信玄が北に居るし同盟を結んでたとはいえ無能だったら信玄に食われてる 奇襲説の根拠が薄いだけで正面説も根拠薄いのでは?
なにか最新の正面説を裏付ける資料でも出てきたん? 桶狭間戦記の義元のかっこよさは異常
太原雪斎もいい これ迂回奇襲じゃなくて天候を利用した正面奇襲ってだけじゃねーの
奇襲は奇襲のような 今川はそれはそれで革新的なやつだったが、
その情報を抜き取って鉄砲を配備するあたり
津島商人の優秀さよ
信長を斎藤道三の娘と結婚させて、
後に評価される経済システム作ったのも奴らだし >>55
その当時は織田の血族内で戦争しまくってたわけで
そういう状況では敵対する血族からは有能でも「あいつはうつけ」と悪口言われるんじゃね 正面撃破だったら信長が凄いというより義元がアホなだけになって誰も得せんだろ
取り消せ >>58
それ氏真
義元は領国経営にも秀でていて名将、名君の類だぞ まあでも戦力差を考えりゃなんらかの奇襲要素か運要素がないと無理だろ
5倍ぐらいの敵を撃破した上大将まで討ち取ってんだからさ >>61
ほかにも桶狭間の戦いに関しては、さまざまな説が提供されている。しかし、史料の拡大解釈や論理の飛躍もあり、定説に至らないのが現状である。 >>60
信玄が近隣国で唯一自分から戦を仕掛けなかった大名だからね >>45
撤退する朝倉義景を奇襲した刀根坂の戦いとか >>23
良くないよな
他の研究者はどう思ってるんだろか ノッブは革新者じゃなかった!普通のことしかしてない!って逆張りすればお手軽に注目集められるからな
この手の輩に傾聴する価値はない >>67
>>77
それ全体の戦局では織田方が圧倒的に多いのに
一部戦況だけ切り抜くと織田方が少ない瞬間だったってだけの話でしょ
朝倉とか小谷城陥落して救援失敗だ~逃げろ~って状況なんだからあまりにもシチュエーションが違う そもそも圧倒的兵力差があったという点も眉唾
今川の所領なんか地図見りゃ分かるけど平野部が猫の額程度にしかなく稲作には不向き
石高がそのまま国力だった時代には致命的な立地
多分動員兵力だけで比較したら尾張半国とはいえ肥沃な濃尾平野を握ってた織田と大差無かったのでは そもそも織田家は貿易と農業で潤ってたからな
今川より軍備に金かけてたまである その内戦国時代なんてほんとは無かったとか新説出さないと食べていけない糞歴史学者が言い出すやろ 結局、親父が勝幡城に呼んで関係作って
反対にお呼ばれしたときに
だまし討ちして那古野城を奪う
このときの恨みがあったから
信長が伊賀忍者とバトルしてそいつらが長島城を陣地にしてきたから戦って、その応援に今川が加勢しようとしたからガチコンやってやったのが桶狭間なんだよな >>82
室町末期~織豊時代の日本史なんて特に江戸時代の講談で脚色されたものがそのまま史実として流布したようなものがゴマンとあるし…
歴史物語としてならそれでもいいけど学術的な見地から一次資料をベースに見直すのも大事なことよ >>83
多少知ってるくせに「たとえばどの戦?」でしらを切るの意地汚いなw 桶狭間に限らないが参謀本部が史料批判しないで軍記物で面白いから広まった説をそのまま受け入れたから てか駿河の今川が何で勝手に遠江と三河を支配してんの >>84
砦が次々と落とされてたまでは確認されてるから兵力には確かに差があったと思うけどな
それも作戦と言うにはあまりにも合理性がない >>49
無いよ
税金取れて無いし
上納金は大した額じゃ無い お互い戦陣を組んでの開戦とかではないんだろ
仮に正面から突撃したにせよ今川本隊が天候と地の利用を活かした織田本隊に突然襲撃されたならそれは奇襲と言って良いのでは 戦場で敵に首を取られた戦国大名は今川義元と龍造寺隆信だけだっけ? >>2
愛知県が静岡県とガチンコでやったら愛知県が勝つだろ てか何で駿河の今川が勝手に遠江と三河を支配してんの?
んでノコノコと尾張に攻めこんで首だけになって帰っていく >>97
今の歴史学者や歴史クラスタのやり口ってなんか意地悪なんだよな
言葉遊びで一般人のマウントを取り、ミスリードを誘い、ニヤニヤしている >>99
長良川の戦い(斎藤道三)とかもうちょいいるんじゃないの >>102
本拠地の周辺を併合するのは普通だろ
織田だって強くなるたびに国を併合してる >>104
一応そのときの道三はもう大名ではなく隠居だったという定義らしい 歴史学者にとって歴史が固まる=食い扶持が減るだからな
新説は話半分で聞いとけよ >>99
河越夜戦で扇谷上杉の当主死んでたでしょ
あと陶隆房とか >>107
これ
日本史と近代以降の中国史わゴミ過ぎて酷い >>105
武田北条今川が好き勝手に領土を広げていたから幕府は上杉謙信を関東管領に任命した 尾張だけで結構な石高あったんだろ?
それなりに人口いたはずなのに寡兵で迎え撃つ訳がない >ところが、これは最新研究では覆されている。
じゃあさらに「未来の」最新研究では覆されるってことをどうして考えないんだ?あくまで「現時点」ではそういわれただけのこと
こういうことがわからないから、お前らはTV・新聞で「今までの政策・説は間違っていた。これが正しい・真実」っていわれるとすぐ信じるわけよ
これまでの通説を否定した新説が出た・・・ってことは「未来には」この新説も否定されることがくるだろうだろう
っておまえらはそういう連想ができない・発想力がない
こんな馬鹿連中が軍師になれるかよ、死ね >>5
田楽狭間って地名も関係あるんじゃないかな
地名からいかにも狭い場所で、大軍だと進軍し辛く奇襲を受け易そうだってイメージ受けるから
実際の道はそうでもないって話だけど 大将の首が狩られるって戦国時代でもレア中のレアだからね
よほどおかしな事がおきたとしか思えないんだよな >>112
追記
上杉謙信と織田信長は桶狭間の前年に上洛してんだよ >>114
これはおまえらが 「学問は絶えず進歩している」 ってのを皮膚感覚で知らないから
説が変わるのならそもそも本なんか読んでも無駄
恐竜が死んだ理由・形(羽の生えた恐竜)もどんどん変わっていくから、恐竜の本を読むこと自体無駄
とか言い出すわけよ 旧日本陸軍が打倒アメリカの為に桶狭間を寡兵で大軍を破ったって解釈しただけで実際国力差ほとんど無かったんでしょ?
10対8位だっけ 沖田畷みたいに総大将が陣頭指揮で突っ込んできたわけじゃなくて
一番後方にいる大将の本陣を攻めることができて大将の首を取ることができたのは事実なんだろ
数万の軍を2千近くで正面から壊滅させたってことなんか
だとしたら今川無能すぎやん >>27
狭いところに陣取るなら、周囲に分隊を配置して守備させるだろう
正面突破したとなるとそれらをことごとく打ち破ったというまさに戦国無双な展開になってしまう 織田の偵察隊が義元本陣に見つかって無茶苦茶したら義元討てただけやろ
その時信長本体は見当違いな場所でウロウロしてたからバツ悪かったっていう >>1 のスレタイ
これまでの説は「ウソ」だったの 「ウソ」 に俺は反応してるわけ
「世の中には一つの真実があって、それ以外はウソ」っていう純粋まっすぐくん志向だから、
「自分は発達障害だ。アスペルガーだ」「世の中の”あいまいな部分”を理解できない。ちゃんとマニュアルに書いていたらできるのに見て覚えろっていう」 って感じで自分を追い込まざるを得ないわけよ >>120
勝ち戦に大衆は付くわけで
信玄が上洛するぞってなったら松永は即座に裏切ったでしょ >>94
元々駿河、遠江の守護大名なんだが…
三河は名目上は松平の領国だぞ >>123
今川方の兵は乱取りに熱中して忙しく、本隊の守りは薄かったって説もある ノブが普通に猛将なだけだった……
どうすんの義元はん…… 正面攻撃説、相手の損耗した部隊と思ってに殴りかかったつもりが本陣だったみたいなやつだろ 楽勝の展開なんで昼からパーティーしてたんだよね
急に豪雨になったんでみんなで片付けしてひと段落ついたとこを急襲
って司馬さんが言ってた >>119
学界の定義では、違う
戦国大名というのは「守護大名から脱却(簒奪か朝倉や信玄みたいに中央集権化するか)し、独自の権威を打ち立てたもの」なので
そういった人たちは近世大名とかに属するはず 当時のノッブってまだ斯波家臣で織田本家は別にあって自分はただの分家でさらに兄弟で分裂中だったんやろ
これで3万の今川に勝てとかルナティックモードやん >>5
そりゃ話盛り上げようと思ったら寡兵で大軍に勝つ方がいいに決まってんじゃん もし数的同数で正面突破としても大将の首取られるってアホすぎん?せめて逃げ帰れよw >>117
追記
織田信長の上洛というと足利義昭を奉じて~をイメージするが桶狭間の前年も上洛してんだよ
その同年に上杉謙信も上洛して関東管領に任ぜられた
つまり武田北条今川が勝手に同盟組んで好き勝手やってるから〆ろと上杉織田が幕府に依頼されたわけ >>128
松平も、元々は山賊あがりみたいな輩が徒党なして大きくなり三河実効支配してたというだけで、守護とか守護代とかの血筋とは関係ないんじゃなかった? >>80
斎藤浅井徳川がござるを嫌がってメリポ希望出さない 嫌になるほど未来人が来てるんだからそりゃ何やっても勝つだろ 今川氏真って家康の客分として江戸で暮らしたからな
父親の義元もめっちゃ強いことにしておいたほうが無難だろ 大雨で視界がさえぎられて今川本陣に接近でき
雨が上がった直後の織田軍の攻撃が奇襲になったのは正面攻撃論でも変わらんよ
織田側でも今川(松平)側の記録でも、普通ではない負け方だって結論 >>124
義元自ら偵察隊狩りに出て討ち死にしたとしたら、新田義貞みたいな死に方だな
>>129
兵士の統率がそこまで低いとしたら、信長に討たれなくてもそのうち行き詰まってただろうな
ってか、乱取りに夢中の敵部隊の横をすり抜けたならほぼ奇襲だな 昔「寡兵で多兵の義元を討った、つまり狭い道に誘き寄せての奇策だった!」
最近「義元は丘の上から動かなかった、雨に紛れての予想外の奇襲だった!」
今「策や奇襲の証拠が無いから正面突撃だった!」
こいつら何?遊んでんの? >>149
そりゃあ、家康の親友だから
もし義元の計画通りにことが進んでも、主従が逆転するだけで氏真と家康は仲良く晩年を過ごしただろう >>125
おまえらが学生時代の同級生・先生・パパ・ママをいまだに許せない理由すべてこれなんよ
他人は自分に対して「正しいもの」を提供し「正しい対応」をしなければならない「義務」がある
(自分を虐めた同級生、きちんと対応しない先生・がり勉させたパパママはいじめで虐待で親ガチャだ)
でもその「義務」はあくまで他人「だけ」が負うものであり、自分にはそんな「義務」はない
だから年相応に働いたり結婚したりする「義務」は存在せず、いい年してマンガやらアニメ・ゲームで自堕落に暮らしていても何ら問題ない 「なんかあそこ本陣なのに手薄じゃね?
よっしゃ!突っ込んだろ!」
↓
今川「ギャーーーーッ!!(死)」 >>153
そのあたりは実際の義元がどこに布陣してたかの解釈の違いによるんだと思うよ
あのあたりって確かに山というか丘みたいな場所もあるし
街道もあるしって場所だから >>142
福島正則は尾張半国以下で関ケ原で6000人動員したぞ? 歴史学者はこんな話より天皇が何回途切れてるか数えてほしいわ
あと古墳の調査 〇500年後の学者
「安倍晋三は義賊の奇襲によって殺害されたというのが定説だがこれはウソ
安倍晋三はテロリストから国民を守り、凶弾に倒れたのだ・・・」 >>153
上 奇襲という、軍略の巧拙に持ち込みたい参謀本部
中 史料の検討による「妥当な」結論
下 売らんかなで書いてるインパクトありきの売文
主張者の立場が違う >>149
自分が負けた相手だからそりゃ持ち上げるよ
信玄もそう
氏真は幼馴染みたいなもんだし義理の兄弟でもあったのもある ジャップといえば奇襲だろうが
リメンバーパールハーバー 最近NHKがこれやってるよな
最初に当たり前のこと言って説得力持たせる
次に滅茶苦茶な仮説を言い始める
仮説を検証せずに番組終了
海外からの買付以外はこんなドキュメンタリーばっかやってる 今川が大軍扱いされてるけど尾張の国力考えたら正面衝突でも普通に勝てるんだよな
信長の親父とかまさにそれ しょせん定義や解釈の問題だろ
新説唱えて注目を浴びようとするのが特に歴史分野には多い >>174
ディスカバリーチャンネルで「元寇は日本の半分を制圧した」とか言ってたから
最近の歴史番組業界自体ヤバそう >>172
ちょっと前は今川なんて御公家様と馬鹿にされてたじゃん
義元なんて麻呂眉の蹴鞠野郎扱い >>176
親父の代は尾張を掌握してて三河にも進出してたけど桶狭間の時の信長は裏切り者続出で3分の1しか掌握してなかったんだよ 信長公記に具体的なことがないから
ではどうやってという記録がないんだよな
寡兵の織田軍が今川を討ち取ったて事実から推測するしかないから
新しい資料が出てこないと謎のままだろうね >>139
むしろノッブが幸村みたいなもんなんやろ 子供のころ読んだ児童漫画で崖から降りて奇襲したって見たけどさすがにそうはならんやろって思ってた 未明からの砦攻略で疲労した兵を本陣に収容して本陣の兵を占領した砦の守りにあたらせてたら本陣の方をやられたんだろ >>177
それはあるね
戦国ではないが、幕末だと少し前にあった坂本龍馬の軽視の方向はやり過ぎでは?って感じがするし
龍馬に比べて今まであまり重要視されてなかった中岡慎太郎の評価が上がるのはいいんだけど
その為に今度は龍馬の評価を過度に下げてる感がある 桶狭間の銅像の有るところに寂れたホームセンターあるよね。 せっかく再評価されてきたのにまた今川義元の顔グラがバカ殿に戻っちゃうのか >>184
そもそも、あのへんそんなに高低差なくね >>180
蹴鞠は氏真のイメージとごっちゃになってないか?
義元は輿に乗ってたとか、京の都から招いた貴族との交流があったとかの記録はあったけど 中京競馬場そば辺りでしょ?
狙いすました奇襲って言うより劣勢な敵勢力に正面突破カマして蹂躙したら義元が居たってのが正しそうな気がする 信長の野望では三好今川朝倉の昔強かったけど没落していったって大名でプレイするわ >>181
信長の主筋である織田大和守家を滅ぼしたのは誰でいつ?
織田家の本家である織田伊勢守家を追放したのは誰でいつ?
尾張守護である斯波氏が頼ったのは誰で裏切って最終的に斯波氏を追放した誰でいつ? >>184
そのあたりは義経の一ノ谷での鵯越とイメージを被らせてるんだと思う
そういうのは英雄譚としてはわりとありがち ノッブと龍馬と孔明はこの先も評価が急激に変動するんやろな まあこの辺の歴史なんておもちゃでいいんだよ
バトル漫画強さ格付けスレとかと本質は変わらんだろ 太原雪斎のいない今川とかクソザコだからな
さもありなん 長篠の戦の鉄砲3千丁も今じゃ盛り過ぎだって否定されてるんだっけ? >>165
そら一万石相当で200から300程度動員できると見なされてるからな キングオブジパングの桶狭間ってあんま奇襲感ないよな >>188
正面決戦説でてから
30年くらい経ってるしいまさら >>1
イッチ、けっこう歴史スレ立ててくれてる良い人だよね?
けど渡邉が好きなんだなw あと、楽市楽座も別に信長が始めたわけじゃなかった説 渡邉の記事嫌いだわ
奇襲は予想してなかった攻撃のことでしょ
正面攻撃であっても奇襲と矛盾しないよ
だから「奇襲で正面攻撃をかけた」って文章も成立する
今川軍が信長軍の接近を確認・予測できずに攻撃を受けたのはほぼ事実でしょ >>190
昔読んだ武田信玄主役の小説だと、元々今川義元に仕えていた山本勘助が公家趣味にハマって軟弱になった義元に落胆する回想があった >>148
今川も遠江の守護大名だよ
安定した領国経営が出来るようになったのは戦国以降だけど >>169
最近は下のゴミとコネ無能二世のゴミが多過ぎだよね > 「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」
こう言っているけど正面攻撃の根拠となる資料に信憑性はあるんか?
江戸時代以前の記録って信憑性が薄くて新説を作りたがる奴が群がってるだろ >>207
義元が既に始めてて
信長がそれを学んだ説もあるね
信長は義元の首も礼節を持って今川に送り届けてるし
これも諸説ある、浅井朝倉あたりの首の扱いで信長がめちゃくちゃやる武将だと思われてるけど
かつての天皇軽視、日本王になろうとしてたってイメージも
安土でも天皇の行幸を仰ぐ予定があったとか後に変わるし >>176
個別具体的な戦闘に国力とか石高とか
極めて不確定で抽象的な物を持出す馬鹿わ無知な上に低知能 織田家の古参達の話は残ってないの?
柴田、丹羽とか参加してないの? >>199
同時期の西国勢わ普通に鉄砲数千挺投入してる大名居たし
東国でも武田とか北条は数千挺保有してたから
誇張は無いでしょ >>5
小瀬甫庵という当時の医者が一次資料である信長公記を面白おかしく脚色&改悪して信長記を出したせい
つまり尾張一国の信長が3カ国の大大名今川義元に勝ったのは奇襲に違いないという素人の思い込みよ
実際には山がちな3カ国(70万石)の義元と領土がほぼ平野の尾張(57万石)の信長じゃそれほど差が無かったんで、
兵力差も差が少なかったってのが最近の説
尾張は商業や海運でも今川3カ国より発展してただろうってのもある 兵力でいれば尾張って割と豊かな土地だからまあまあ集められそうだが当時の今川の国力には敵わないから劣勢ではあったんだろ
それプラス遠征疲れと悪天候→これは多分事実 でグダグダになった可能性は高い 例えば今川が2万の軍なら、2万が一箇所にいるわけじゃない
前軍と本軍などに大きく分けてるし、さらに前軍は鷲津砦や丸山砦を攻めたり、家康みたく補給で大高城に入った部隊もいる
今川義元いる本軍も一箇所に固まってるわけではなく、各前線に援軍できるように前に出てる部隊もいる
で、桶狭間はそういった今川の散らばってる部隊に察知されることなく織田軍が今川の本陣に攻撃をかけることができた
そういった意味で奇襲攻撃
しかし、当然今川軍も休憩してるといっても、丘に陣取って、万が一の攻撃に備えて防御の陣形を取ってる
そういう状況では織田軍は今川義元本隊に正面から攻撃する形になる
渡邉の記事はこういい小銭稼ぎ・閲覧稼ぎの詭弁が多いから嫌い >>212
信玄「ギャー!奇襲したつもりが奇襲されてイクッイクッ」 >>207
撰銭令も楽市も楽座も大内家とか三好家が何十年も前にやってるもんな 新九郎奔るにも出てきたが
今川義元のお爺さんもわりとつまらない仕方で討死してるよな
今川家の伝統か? >>215
抑々根拠無いよ
直前に大高城やら各所に兵力分散させてるし
奇襲というか今川義元無能 >>227
名門で領国も安定してたから緊張感薄いんでしょ
能力有っても油断して致命的なミスやらかす奴 この手の歴史スレが立つと的外れ逆張り軍師が湧くのも嫌儲の風物詩だな >>228
今川自身はまあまあ戦強いのに一回負けて無能呼ばわりは正直馬食さん感がありなんかなあ みんなが何となく持ってる桶狭間の戦いのイメージは明治時代に陸軍が研究した結果のやつ
とはいえ映画やドラマで仰々しく描かれるほど義元軍はアホっぷりを晒していたわけではなく
当日の天候(急激な大雨)に紛れて側面を信長軍が上手く突いたいわゆる奇襲だったというのは間違いないと言われている 結局は、
「徳川家康と称する男はどっから出て来たのか」
に来着する。 御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐってあるけど
吉良は分かるが渋川、石橋以下の今川はないだろ
まだ斯波家の方がわかるわ >>228
兵力分散ではないと思うけどなあ
なんで兵力分散と思うのか教えて欲しい >>239
兵力を分散させたから
おそらく兵力分散 >>236
そもそも御一家は義教が将軍後継候補から斯波を外すために作っただけで実際に将軍になる可能性はほぼ無かっただろ? >>241
当時の一般的な行軍の仕方と攻め方だと思う 信長記のデタラメ信じてるジャップとか北朝鮮の百戦百勝の鋼鉄の霊将伝説笑えんだろ 信長も過大評価が過ぎるようだし
来年の大河も信長を意外としょうもない奴だったとして描いてみてはどうかね 信長公記の1番のポイントは信長の家臣が書いたもんだし1番信長の記録としては古いって事だろ
資料としてはかなり正確だと思うが 堺屋太一が「信長といえば奇襲攻撃のイメージガあるが、実際には最初の桶狭間以外は全部正攻法で勝ってた」ってテレビの対談で言ってたが、桶狭間も奇襲じゃなかったんだ >>243
舐めプし過ぎだよね
別働隊分ける位なら解るけど
複数分散とか戦勝が確定した後に執る行動
敵の主力が万全な状態でやるのわ油断 >>232
軍隊の研究の結果、講談本的なイメージができたっておかしくない?なんでそうなったの
じゃあ明治時代までは奇襲攻撃だと思われてなかったんだ >>250
いや思われてたよ
ややこやしいが
信長公記と信長記ってあって信長記の方が読まれてたって話 今川軍が略奪が忙しくて本陣が手薄になってたんじゃね? インターネットとデジタルデータベース化で歴史研究がメチャクチャスピーディになって
今までの定説バンバン覆ってるよね ちょっと待てよでも信長軍が遥かに少なかったのは事実やろ?どんなけ強いんだよ信長軍キングダムとか戦国無双キャラみたいな奴がゴロゴロ居たんか? >>5
下剋上な話や少数が多数に勝つ話や油断してた強者に一発かまして首獲ったみたいな話のほうがゴミどもにウケる 今川が昼寝してるところに少数で攻撃したようなのしか奇襲と認めないやつじゃないのこれ
相手が圧倒的兵力差を活かしてるところに正面同士から当たったらまず今川までたどり着けない >>246
ところが信長公記の「首巻」に関しては太田牛一が書いていない『偽書説』が最近出ている
確かにそういう目で歴史学者の首巻の説明を読むとどれも歯切れが悪い
となるとこの桶狭間のはなし全部意味ないことになるっていう >>247
正攻法と言うには違和感あるな
親父の死後から尾張国支配まではほとんど敵軍より数が少なかったわけだし 侵攻軍の不利
大高、鳴海、沓掛と各拠点に戦力を配置した今川に対し本隊に戦力を集中した織田
雨による索敵能力の低下
地形や天候による制約で今川本陣と今川本隊との連携が不十分だった可能性
バチっと奇襲決めたとでもしないと戦勝の背景が理解できないのはある意味常識的判断かと >>93
なんで参謀本部が採った説が学者含めた通説になったの >>14
言うて北条家から駿河8年守って、その後三国同盟結んで、公家ネットワーク氏家に継いで、江戸幕府の重鎮として明治まで家残す位には
軍事は先生で盟友の雪斎死んたから、生き急いだ感は有る そもそも正攻法なんてないでしょ
奇襲だって戦略の一つ
「やあやあ我こそは~」て口上を述べる時代ならともかく 奇襲とか言ってる間抜けは30年ぐらい前に絶滅したと思ってたが >>251
戦場で敵に首取られてるよ
>>249
いや普通に討死してるよね >>266
記事書いた渡邉は小銭稼ぐためなのか、クソ記事連発してる人 今となってはいろいろファンタジーなんだろうけど
武田信玄の大河で勘九郎が演じた今川義元の討ち取られ方は秀逸だった >>269
いや陶晴賢は自害だろ辞世の句があるぞw >>272
信長の場合は良い方にも悪い方にも色んな脚色がされてそうだからねえ >>274
うん 見たが討死ではないしクビは戦後取られてないか? 正しい歴史ってのを知るにはやっぱり長い年月かかるんだよ
南京大虐殺はなかったってわかってきたのも最近だし >>276
言い訳しなくて善いから>>269に無意味なレス付けた事を反省しような >>269
河越夜戦は一次資料が残ってない
扇谷上杉当主という超大物を戦場で討ち取ったという出来事があったら
討ち取った人間の名前や感状などなにかしら残っているもんだけどそれがまったく無い
1700年頃に書かれた関八州古戦録から「上杉朝定は討ち取られた」って事にしただけ
で今は裏付けが足りないので討死は無理があるんじゃね?って思われてる 今川本隊は地元民から提供された酒を飲んで休んでた(酒は乱取り禁止の返礼)
ゲリラ豪雨が降ったので信長様には神仏の加護ありと織田軍の士気は上がりまくった
騒がしいのは最初軍内で喧嘩がはじまったと今川側は思ったらしい(実は織田軍の攻撃)
信長が勲功第一にしたのは今川本隊を見つけた人物
自分が読んだ本ではこんな感じだな >>281
でも、今川の兵は乱取りに励んでたって説もある >>247
策略使って相手を寝返らせてる
兵力をいかに消耗させないで勝つかにこだわっている点で
天下平定という大きな目標があった 信長は平和に暮らしてた人々を殺しまくったクズだけどそんなやつを持ち上げるとか鬼畜だな この伝説のせいで帝国陸軍は奇襲を連発して
アメリカ軍に返り討ちにあった >>279
間違えて無いけど
>>273の書込みわ意味不明だよね >>285
未だに軍事的な戦略戦術論の話で一生懸命説明しても
「桶狭間の例もあるから結局戦はやってみるまで判らない」と意味不明な事言われてガクってなる >>286
まあ、辞世の句なんてのは
武士ならあらかじめ用意しておくのが当たり前だからね >>289
そうでもなくね?
前に見た歴史番組の情報だと今川方は寄り親と子って関係が他の武将よりしっかりしてたって話だった >>287
マキシム砲で皆殺しになったアフリカの部族となんも変わらんレベルだよな
呪術師の聖水で呪弾は防げるとか言って全滅 >>264
そりゃあ初めての近代的な戦史研究だったから
今やお馴染みの白と黒の駒の布陣図だって日本では参謀本部が初めて作成した >>280
相州兵乱記わ16世紀の成立なのに何言ってんの?
史料がそれしか無くてそこに敗死と書かれてるんだから
他に判断材料が無ければ敗死 >>125
25年程前に小林よしのりによって生み出された純粋まっすぐ君とかいうワードを恥ずかしげもなく使い、しかも使い続けていることを公言した上でそれを論拠とする持論こそが正しいと思い込み続けている狂人がこんなところにいるとは >>293
>相州兵乱記わ16世紀の成立なのに
それを証明するソースある? 織田の本陣をうまく探り当ててそこに全兵力ぶち込んだんだってな
まぁ見方的には奇襲と見えなくもない
実際今川の本陣は雨で休んでて臨戦体制じゃなかったし >>11
実は戦力差はそれほどない
言われている戦力差は別の場所で城攻めしている兵数や補給のための人数も含まれている
そして今川方は城を出たばかりで隊列が整っていないところで織田方と不意に遭遇した >>296
歴史ってのは残ってる資料から想像を駆使して推論を導く学問なので
新しい資料や根拠が発見されてこれまでの推論が変わったりするのは世界中で当たり前にあります >>153
下2つは同じ
正面から攻撃を受けたが不意遭遇戦 >>296
日本は「記録官」を採用しておらず軍事記録が少ないからね
戦術面なんてわからない事だらけ 人数が少ないなら正面から襲いかかってもまず殺されるだろから奇襲したんだろう >>302
報償の為に個人の戦績を記録、監察する役職はいたけどね
そこらの記録を丁寧に分析すれば、戦術とかもわかるような気もするけど >>295
抑々軍記物も記録や記憶を元に書いてるんだから
否定する材料が無いなら史実の可能性が高い
昭和の頃わ何でも否定してたけどな頭のおかしい学者が 江戸時代
戦記物が好き勝手創作する
明治以後
歴史学者は戦史に興味がなく研究しない
資料批判を知らない参謀本部が我が国固有の戦史を求め戦記物を鵜呑みにする→これが世間に流布される >>300
それと日本の歴史が変わってばかりなのはなにか関係あるの? どっちにしろ本陣に仕掛けて首取ったんだから
それが全て 人数が少ないのに正面から信長だぞーとか言って襲いかかっても簡単に殺される。だから正面とかありえないんだよね >>304
現状戦術どころか編成すらまともに判らない
当時からそういう部分は機密だったんだろが今のところ輜重などから推測してる域を出ない >>307
世界の歴史も変わってばかりよ
権威ある学者の根拠がデタラメだったなんて話は他の国でもあるし
むしろ、ずーっと歴史が変わらないなんて方がおかしい
新しい資料なんてのはいつでも見つかる可能性があるんだし >>74
太原雪齊の存在も大きいな
自分以外に全てを任せる事ができるNO.2がいる 奇襲説と強襲説が出て、強襲説のほうが説得力あったなと思った >>142
尾張半国有れば27万国だろ
70万国の遠征軍なら迎え撃つことはできるんじゃね? 松永弾正爆死も小説の創作に過ぎないのに何故か史実扱いされて一人歩きしてるよな
実際は腹切って死んだのに、小説でウケを狙った結果「ボンバーマン」と呼ばれる それじゃあ義元ただの馬鹿だし
戦は少数で本陣強襲した方が有利っていう珍妙な結論になってしまう >>1
あの戦いで織田勢力が急拡大したってのに今川弱すぎってだけかよ織田ほんと運良いっすね 日本の歴史学なんてやりたい放題のだったらいいな史が多いと思うけどな どっちにしろ基地外の博打が大成功したって点では同じだし
そんなに訂正する程のことか?と思う >>316
単純化して兵力比四割だと
有効な防御戦闘を野戦で行うのは難易度高いな >>324
織田のが全軍出せないと思う
尾張国内に敵かかえてるのに >>1
これおかしくない?
奇襲戦法は別に正面突破でも
どこからともなく突如現れて突っ込んだら奇襲だぞ?
昼飯時を狙って正面攻撃でも
寝込みを狙って正面攻撃でも
宴会しているのを見て正面攻撃でも
ウンコしているときに正面攻撃でも
「奇襲」 >>1
> 一方の義元は、桶狭間山で休息を取っていた
休息していたトコを正面から攻撃したら「奇襲」は成立するじゃんか
なんだこれ? >>1
> 5月19日の午後になると、にわかに視界を妨げるような
> 豪雨に見舞われた。雨には雹ひょうが含まれており、
> 今川軍の将兵の顔を激しく打ち付けた。すると、
> 沓掛峠の楠の大木がにわかに倒れたので、織田軍の
> 将兵は熱田大明神の神意ではないかと思ったという。
> 織田方はこの悪天候を活用し、やがて晴れ間がのぞくと
> 義元の本陣に突撃した
天候を利用した奇襲じゃんかw >>327
戦闘準備固めてても思わぬ方向やタイミングで攻撃されたら奇襲になるし これでは「迂回奇襲説」ではなく「正面からの奇襲」だったってはなしだろ>>1 >>1
> 最近の研究では『信長公記』を根拠史料として、
> 次のように指摘された。
>
> 千秋四郎らが敗北したことを知った信長は、
> 家臣たちの制止を振り切り、中島砦を経て今川軍の正面へ
> と軍勢を進めた。当初、大雨が降っていたが、止んだ時点で
> 信長は攻撃命令を発し、正面から今川軍に立ち向かった。
>
> 今川軍を撃破した信長軍は、そのまま義元の本陣に突撃。
> 義元はわずかな兵に守られ退却したが、最後は信長軍の
> 兵に討ち取られたという。これが「正面攻撃説」である
「雨が止んだぞこの機を逃がすな」という奇襲ですね 今川は陣を構えていた
そこを数が劣る織田勢が急襲し撃破した
これでいいんじゃないの >>316
石高なんかは天下が安定した秀吉や家康の時代にようやく割り出されたもんだし
尾張半国の領主と三遠駿の太守の対決って構図は織田方にとって絶望感あっただろうなとは思う >>327>>330
これ書いたのは渡邊大門と言ってヤフーニュースで釣りタイトルでクソ記事を連発してるワイの中では有名な人
話だか本だかで渡邉自体は頭良いと思った記憶あるから、さらに悪質で小銭稼ぎのために、わざとこういう記事書いてる どうやって勝ったか?なんて動画撮影されていても
数十台のカメラと信長と義元には兜にGoProつけてもらわないと
正しい分析なんてできない
残っている資料だけで安土桃山時代の戦いの戦況分析なんて
どれも信用ならんな 未だに大河ドラマのバカ殿像をまに受けてるやつなんなん
尾田に敗れはしたけど地元じゃ今川家は畏怖されてんだよ 強襲か奇襲かはともかく
まともに当たれば今川本陣に着く前に織田軍は負けるはずだから
どうにかして今川軍の防衛ラインをスルーしたのは間違い無いだろう
そして、資料からは天候が味方したことが分かる >>341
そもそも大河ドラマで義元を馬鹿殿みたいに描いた作品ってあんまないだろ
少なくとも近年では見ない 信長もそんなに変人では無かったみたいだな
正攻法で攻めて天下取りを狙ってた >>344
めちゃくちゃ変人だぞ
あんだけピンチの連続だった武士はいないだろうし、あんだけ命の危険があったのに行動変えないのは完全に変人 >>344
チンポの湯帷子着たり、短い刀が嫌だからって鞘に車輪付けなきゃ行けないほど長くしたり、女装を趣味にしてたりする変人だぞ >>100
リニア工場がまさにそれだけど今のところ静岡が押してないか? しょっちゅう反乱起こされてるのに起きるたびに何で?と思うくらいの変人 今川2万ってのがそもそも異質だよな
兵が多すぎる... >>351
駿遠三に同盟の武田、北条の援軍いれたらそんなもんだろ 小説のシーンとかでは無くてリアル学説として織田信長が今川義元に勝ったのは奇襲のお陰ってのが定説だったの? 河越夜戦で八万も集まってるし
上杉謙信の関東進攻でも10万集まってる >>353
ジャップの歴史学者は江戸時代に書かれたネタを史実だと信じ込んでいるアホばかりだからな >>69
父ちゃん倒されたのになんだかんだ生き延びたし三国同盟で結婚した三組のうち唯一正室と添い遂げてるんだっけ?氏真すごいよな
運がすごい良かったのと人徳とかあったのかね >>5
30年ぐらい前に論文みたいなのがボードゲームの雑誌タクティクスに載ってたわ
場面ごとの戦力比で勝敗になるというのがゲームやってる人の方が
理解出来ると言うので投稿したとか >>358
なんだかんだじゃないぞ
氏真自体に価値があったんだよ
北条は氏直を氏真の養子にして今川家の家督を継がせて駿河奪取の名目にした
徳川織田も駿河への氏真保護を名目に駿河を統治できる
戦国時代っていっても名目やお題目が必要 この説って昔流行ったけどやっぱ違ったってならんかったか?
緒形直人が信長やった大河がこの正面からの戦い説でやってたけど 大将のいるホンジンだけピンポイントで襲うのは奇襲だろうが
実はこうだったとかのインチキ歴史改竄シネ >>5
江戸時代に荻生徂徠か頼山陽が家康の次に強い戦国武将は誰かと評したときに
信玄謙信元就は当然信長と秀吉に及ばないが信長と秀吉が戦ったら100回中99回信長が勝つと言ってるな
なぜなら秀吉の神速の行軍をもってしても信長の電撃的な奇襲にはかなわんからと
なんで江戸時代から桶狭間は奇襲の代名詞になっていた この頃でも傭兵雇ってたんでしょ。尾張の財力がチートすぎる 今川側からすれば大名行列で京都まで向かう予定だったから
兵站その他を担う非戦闘員の方が多かった
実際の戦闘員は織田よりちょっと多いだけだったって何かの本で読んだ
これでも10年以上前だと思うから最近だろともっと具体的な数字とか出てきてもおかしくないはず 桶狭間山に居たってのが大事
義元は山の上に居て信長は山を登ってきた 本陣を一気に攻めたんやろな
大将首取れば勝ちやから 信長公記にはそう書かれているみたいだけど、でもそれが真実とは限らない可能性もありそう。
戦国時代に造られた鎧に、人体を模した裸に見える鎧なんてのがあって、
ヤバい戦場に、あろうことか鎧を着けずに裸一貫で現れたかのように思わせて、勇敢で粋な様を見せつけようとしたり、そういう事で驚嘆したり賞賛したりするような文化があった。
だから記録でも、奇襲で勝ったなんて書いたら、それじゃ、ただの卑怯者でダサいと思われてしまうから、正面から堂々と攻撃して勝ったと書いた方がカッコよく思われるし、
ましてや、自軍は疲労していて、相手は新手で全然元気だったのに、そんな不利な状況で正々堂々と戦って勝てば、織田軍は凄いと思って貰えるから、現実は違ったにも関わらず、そのような風に記録したのかも。 信長の記録は江戸時代にかなり焚書されたり改竄されたみたいだから正確なところはもう誰にも分からん
ノブの有能さが広まると幕府にとって不都合が出るくらいノブの影響力はデカかった >>368
上洛説はほぼ否定されてる
通り道の美濃の斎藤、近江の六角浅井に話を通してた形跡がない 今後はもう恥ずかしくて海道一の弓取りとか言えないね
弓取り(笑)なら許すよ 歴史学者
歴史研究者
この手の肩書は自称で
いくらでも名乗れるから話半分に聞いとけ >>378
他の肩書もヤバいぞ
中野信子は脳科学者を自称しててメディアは脳科学者で紹介してる
「科学者」だぞ
この人は心理学や占いみたいな言葉しか使わないのにさ
前なんかNHKで「日本人には先送りする遺伝子がある」と発言してたんだぞ
性格を決める遺伝子が発見されたなんて聞いたことないのに >>86
その元ネタ今川の楽市何ですよ
後東日本最初の衆法とかも今川で織田は後追いなんす 他の部隊に気付かれずに敵本陣まで行ってる時点で奇襲だろ・・ >>78
この人、書く内容自体はおかしくなくて、妙に商売っ気ある執筆活動してるのが目に付くくらい
TVにもよく出る某東大教授よりかはよっぽどマシ この件を持って「今川が雑魚ってことじゃん」
って解釈するケンモメン多いのがよく分からない
むしろ創作された物語より実際は信長は強かったってことだろ?
ならばそれと正面で戦った今川は別に慢心とかで負けた訳ではなく
実力で負けたんだからむしろ今まで言われてた「戦力では圧倒的な差があったのに慢心から負けた雑魚」ってイメージこそ覆ると思うんだけど。
でもケンモメンはなぜか「それって今川が雑魚ってことじゃんw」って解釈する人間が多くて不思議。文盲ってことよな? >>384
兵力が勝ってるのに散らしすぎて本陣突かれるのは
間抜けなのは否定できない
その一事により義元の有能さを否定するのは間違いだが
君もあんま読めてないな 前哨戦で織田はボロ負けして有力な家臣も殺されてたってのも事実なんだろ
風の槍ってマンガでしか知らんけど
正面というかやっぱり奇襲だったんじゃないか? 現代研究者は聖徳太子や仁徳天皇陵の名前を変えようとするから信用ならない ケンモメンって本当文盲多いって実感するな
ツイッターとかマッチングアプリに比べたらまだマシと思ってたけど
明らかに読解力が著しく低い人間が多いわ
いいか?
今川氏は今まで「戦力では圧倒していたのに慢心、環境の違いで油断して超格下に負けた恥ずかしいやつ」
って評価
これが実は真っ赤な嘘だったってこと
今川氏を貶め、信長の価値を上げるための脚色だったってことだ
つまりこの新事実からは「今川氏は雑魚じゃなかった」と導くのが正しいわけ
マジでケンモメンって頭悪くて困惑するわ 次の大河でもやると思うけど
有名な大高城兵糧入れ、が成功してしまったから義元は命を落とすことになった
家康がここで失敗して死んでれば義元は生き延びてその後の歴史も大きく変わっただろうな >>356
名門守護大名や関東管領わやっぱ違うよね権威が 今川って東海の昔でいうところの3国くらい収めてて
兵力も3~4倍くらいあるんじゃないの?
ふつうに勝負したら勝てないよ 夏の陣の真田とかもそうだけど
急激な突撃かましたら本陣まで行けたって話はたまにあるから
それが上手くハマったのが桶狭間 >>392
義元が生き残る云々以前に
家康が死んでりゃ、そら歴史は大きく変わってたわな >>398
だよね
完全に奇襲
今川義元わ兵力分散させた無能 普通に兵力差があって移動中とかじゃないと本陣まで兵士と戦ったら弱い方がやられるから
やっぱり山を移動中に大将狙ったんじゃないの? 本隊が奇襲受けて大将討ち死にするくらい前に出すぎてたんじゃね?? なんか大河の内容の大半が嘘ってくらいコロコロ変わるな >>406
初めて見た
これを叩き台にいろいろ語れるな
清州城を出た信長の動きは中島砦までは記述にあり、次の瞬間には桶狭間にいる
このとき「敵から信長の寡兵が丸見えだ」と書かれてたことから密行(迂回)が否定されたわけだが
ところで松井宗信がこの高根山に陣取っていたというのはたぶん信頼できる史料には無いはず
高根山に兵がいたんだとしたらそいつらはなんで信長の部隊が本陣に行くのを座して見守っていたのか
仮に中島砦から桶狭間に行く間を密行してた(だから高根山の兵が気づかなかった)んなら迂回(密行)奇襲説は残ることになる 海道一の弓取り(かいどういちのゆみとり)は、以下の戦国武将の異名。海道とは東海道を指す。弓取りとは弓矢で戦うものから「武士」、転じて「国持大名」を指す。通常、以下の、東海道の国に拠点を置いた戦国大名を指す。
年齢順
今川義元:駿河国、遠江国を支配し、三河国の松平氏(のちの徳川氏)を服属下においた。
徳川家康:三河国、遠江国を支配した。のちに駿河国、甲斐国も支配下に置いた(東海道以外では信濃国も支配下に置いたこともある)
また、戦国時代以前には、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将宇都宮公綱が、好敵手の楠木正成から坂東一の弓取りの異名で称賛されている。 緒形直人のKING OF ZIPANGが正面突破でやってて当時そこそこ批判されてたけどやっとまともな考証された大河が出て来た!って思ったよね
熱田の港の利権を弟に分けてあげて、って土田御前から頼まれてブチ切れたり、ホント良くできた大河だった >>344
桶狭間戦後に東方への領土拡大に全く興味を示さないとか間違いなく変人
挙げ句の果てに東側を直轄にせず別の勢力(家康)を立てるし >>414
尾張織田家がガタガタでそれどころやない
尾張統一するの桶狭間の5年後にようやくやし 戦国の逸話の多くは江戸時代に創作されたもの
今はその資料がいつ書かれたものなのかを精査する研究が進んで
たくさんの歴史の常識が覆っていってる >>390
不意遭遇だから奇襲じゃないし
ここでいう奇襲って細く伸びていた今川方の側面をついたって話だぞ >>407
コラーゲンとコーヒーは定期的に効果が正反対の説が出てくるな
この新説が確かなら今川は普通に実力負けしただけやな
「小が大を倒す」ってドラマチックな肉付けをしたいがために信長勢は極端に弱く描かれたってかんじか
実際は慢心や油断で負けたわけじゃなく
正面衝突で負けただけだから 今川の無能イメージ(ほぼゲームとかの印象が多いだろうな…)
も段々払拭されていくだろう 海道一の弓取りとは家康のことで
今川義元がそう言われたことはなかった説がある >>407
緒形直人の信長は雨は降っていたけど、正攻法で押しているうちにって描きかたじゃなかった? >>220
当時の信長さんは尾張の半分も支配してなかった気がするんだが >>395
もっと兵力差有るぞ、ゲームの影響でこの時点で信長は尾張一国持ってるイメージだけど
実際は尾張1/4程度 >>423
尾張の織田とか三河の松平みたいなイメージだけど
実際の所領はその一部で一国の統一ができたのは30近くになってからなんだよな
一国を統一するってのも意外と大変で近隣の大名相手だけじゃなく家督争いや一族での序列争いもしながら二、三代かけて伸張を繰り返しながらそれを成し遂げて
そこからまた十年くらいかけて二ヵ国くらい領有出来るようになると大大名の仲間入り出来るイメージがある >>424
お歯黒とか輿に乗って采配してたとか、公家かぶれのネガティブな方向で表現されがちなんだけど、それらは今川家の家格の高さを現すもので将軍家との特別な関係(足利将軍家と親戚関係で、征夷大将軍着任の権利ももつ)の証なんだけどね >>414
桶狭間で義元が死んでも、今川の家臣たちが易々と信長を君主として受け入れることはないし
苦労して支配しても武田や北条とぶつかる地獄
尾張の統一したらお家騒動でグダってる美濃に、道三の娘婿として乗り込む方がやりやすいし大義名分も立つだろ 戦後の小説家や歴史家なんかがノブを戦に強い武将として描きたくなかったとしか思えんな
奇襲説や今川義元オハグロ惰弱説は >>212
誰か奈倉が戦国時代に転生したなろう小説書かないかな? 吉本討死後に今川家は一代で没落だからな
栄枯盛衰が激しい時代とはいえ討死は最悪な死に方なんだよな >>430
没落っても
氏真を経て江戸時代は高家旗本として明治維新まで生き残ったんだけどね
なにせ家柄は良いから >>430
「大名」としてはね
幕末には朝廷との交渉で奔走したり、結構活躍してる
明治維新後に本家は途絶えてしまったけど 今川よりも家格の高い甲斐源氏の武田が完全に滅亡したの見ると
信長を敵に回す末路は恐ろしいと氏真も理解したんだろうな >>433
氏真は京でノブに蹴鞠を披露したりしてるのが不思議だね
家康にも大事にされた >>433
武田も残ってはいるぞ
家柄だけの高家と信玄血脈の家系と両方 >>434
政治がダメでも芸能のセンスが抜群だった 今川は当然敵で斎藤も道三死後は敵だから義元を討ててなかったらどん詰まりだったな 当主が討死したのは予想外だがそれ以上に一門並みに優遇扱いしてた家康が離反したのは痛いだろ >>220
今でいう司馬遼太郎みたいなもんだからな
あれを見て勘違いしたアホが大量いにでた >>442
何か一つ歴史を目の当たりにして良いよって言われたら本能寺の変選ぶわ
あの謎は俺が生きてるうちに解決してほしい >>416
宇喜多直家の爺さんが暗殺された説が
公家が手紙に再利用した和紙の裏面から暗殺がデマだったと判明した話が好きだわ
結果的に宇喜多直家が本当に宇喜多家出身かも分からなくなったのもオモロイ 嫌儲は司馬遼太郎の小説を史実だと思いこんでいた爺さん多いからな >>443
謎っても
過去に戻って当時の本能寺を見に行っても本能寺の変の謎は何もわからんだろ
明智が謀反をおこして本能寺を攻めたって事は既にわかってるんだし >>448
イメージとしては桶狭間って地区の田楽狭間って場所って感じかな
田楽狭間って場所の名前のイメージから、そこは狭い場所で大軍は自由に動けないだろう
だから本陣を奇襲をすれば寡兵でも大将を打ち取れるに違いない→つまり桶狭間の戦いは奇襲だった
みたいな感じで信長の奇襲説が成立していったんじゃないだろうか?
ただ、信長公記には田楽狭間ではなく桶狭間山とあるそうなので
そこあたりからも信長の奇襲説が否定されていったんじゃないかな? >>418
1/4以下の敵に惨敗敗死してんだから
戦に関しちゃ無能の誹りわ免れ無いよ >>51
でも地名残ってるんでしょ
桶狭間小学校あるじゃん >>454
奇襲とか寡兵で大軍に勝つのが大好きなんだよな ほとんどの戦争は始まる前に勝敗が決まっている
勝敗は準備で決まる
これじゃあ生徒のやる気がでないんだろな 桶狭間→単にノブが強かったから勝った
浅井長政の裏切り→朝倉と手を組んだら勝てると思ったから
足利義昭の裏切り→真面目に将軍しろと叱られたから
長篠の戦い→劣勢の武田勢が無謀にも防備を固めている織田徳川勢に攻めかかったから惨敗した(誘い出された)
荒木村重の裏切り→毛利と手を組んだら勝てると思ったから
別所長治の裏切り→毛利と手を組んだら勝てると思ったから
明智光秀の裏切り→ノブ親子さえ倒せば天下取れると思ったから
現実は非常につまらない
あれこれ理由つけてるのは根も葉もない小説ネタだから信用しないように >>452
桶狭間と呼ばれる地区のどの場所で討ち取られたかまでは分からないとかその程度の話なんだろう
捕縛されてどっかの刑場で斬首や磔だったり特定の城や寺に立て籠もって自害したりたわけじゃないしな
桶狭間という土地で行われた合戦の最中の出来事ということまでは確実で桶狭間にある田楽窪という場所も推定地の一つだけどそれは証明しようがない
桶狭間古戦場跡地を散策すると色々と伝承付きの石碑や供養塔みたいなものもあるけど現代で分かるのはそこまでだろう >>449
しかし大将討ち取りってのが普通の戦じゃ考えられんのよね 最後は違ってるぞ、信忠は完全ノーマークで逃げずに少数で城に篭ってだらだらやってたから討たれただけのこと >>391
いや攻め込んでって野戦で大名の首を取られるのは何らかの問題あるぞ >>460
ただね、大阪の陣では幸村の突撃で家康本陣は大混乱
金扇の馬印は倒れて、家康のそばには旗本数騎しかいなくなって家康も切腹を覚悟したなんて話もある
もしかしたら、そこで家康が義元の二の舞になってたかもしれないんだし
全くないって話でもないんじゃね? 大将級で言えば例えば龍造寺隆信や武田元繁だって戦死してるやんけ >>461
ノーマークのわけねえやん
二人が京に集まってるのは知ってて襲ったんだから
明智勢の手際が悪くて逃げるチャンスがあっただけのこと 今川義元がバカっぽいのは無双の白塗りおじゃるのイメージのせい >>459
今川本陣から兵を引き剥がしてるから出れた。それでも信長本隊が劣勢なのは変わりない
信長本隊は義元をうち取れたけど、砦を守ってた織田側も今川軍の猛攻で何千人
(研究者によって変動)と死んで被害は甚大だった >>466
大河ドラマなんかじゃ義元は割とキレ者っぽいイケメンか渋めの壮年が配役されるけど
若い頃の信長を扱った民放の歴史モノの単発ドラマなんかでの義元は昔からの白塗りの公家ぽいキャラが定番だし初出がコーエーの無双からということはないだろう
数話かけてじっくり桶狭間を描く場合は義元を強敵にしておいた方が相対的に信長の株があがるし
短時間でさっくり片付ける場合は義元を京かぶれのおバカキャラにしておいた方が奇襲でアッサリ負けるのに違和感なく片付くとか
それぞれの時間の都合でしかないんじゃないか 義元が移動の時には輿に乗ってたとか、京の公家を招いて保護してたってのは昔の資料にも記載されてるしねえ
それなら公家に合わせた装束にしてたとしても別におかしな話でもないけど
バカ殿みたいな無能のイメージってのは
それこそ志村けんのバカ殿と容姿イメージがかぶってしまったからこその最近のイメージなんだろう 雪斎和尚と母ちゃんの寿桂尼の二人三脚で保ってた今川家 公家風味と一口に言っても今川義元の場合は
一条公麿三位中納言ではなく烏丸少将文麿の方かもしれない 《桶狭間の奇襲とかタンネンベルクの殲滅戦とかいうお伽噺で頭が一杯になっていた参謀の作戦計画は、こっちがナポレオンのような天才的奇襲を仕掛ける間、敵は何もしないでじっとしているだろう、という予想のもとに成り立っていた。こっちがこう出れば、あっちはああ来るかもしれないと想像することが出来なかったのである。》(大岡昇平『レイテ戦記』(上巻)p112) そんなのどっちでもよくね?
こんなアホなことに一円でも税金だすまえに他にするべきことがあるだろ
ジャップランドはもうすぐ最貧国になるんだけど >>473
最貧国舐めてるだろ
そんな簡単に最貧なんかになるかよ >>473
歴史をほったらかしにしてたから反省しない国になって最貧国まっしぐらになったんだが? >>475
戦国時代のくそどうでもいいことばっかり細部まで予算使って歴史オタクがオナニーする前に
近代史のジャップ上級の悪行をちゃんと学ばないからいまがあるんだろw >>220
いやそもそもその頃信長は尾張統一してないし
背後に斎藤家も抱えてるし、武田北条と背後を盤石にして今川家と互角は流石にない シンガポールに抜かれ香港に抜かれ、そして台湾に抜かれ韓国にも抜かれるアジアのお荷物ジャパン
まあ何十年も汚職政治を続けてたから不思議ではないが
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM1021O0Q2A211C2000000/ >>21
従来言われていた通説をよくよく調べて別の説を出しました →歴史を壊すな! って意味不明だろ 戦国以前なんて創作だらけだぞ
中国の故事をパクったりも多いし
長篠の鉄砲とか墨俣の一夜城なんて
今も本当だと思っていたらただの馬鹿だからな
島津の釣り野伏や捨て奸だってかなりぁゃιぃ代物になってきている >>49
国衆を抑えてないから利益そのままなんて夢物語でしょ >>476
戦国時代だけやってると思ってる時点で事実改変してるやん
学べば? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています