今川義元「ギャー!織田信長が奇襲してきた-!」ウソだった。普通に負けただけだった。 [584964303]
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「織田信長は奇襲で今川義元を破った」はもう古い…「桶狭間の戦い」の最新研究で論じられていること
奇襲ではなく、むしろ正面からの突撃だった
これまで「桶狭間の戦い」は、兵力に劣る織田信長が今川義元を奇襲で倒したとされてきた。
ところが、これは最新研究では覆されている。
歴史学者の渡邊大門さんは「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」という。
https://president.jp/articles/-/64042 今川氏真って家康の客分として江戸で暮らしたからな
父親の義元もめっちゃ強いことにしておいたほうが無難だろ 大雨で視界がさえぎられて今川本陣に接近でき
雨が上がった直後の織田軍の攻撃が奇襲になったのは正面攻撃論でも変わらんよ
織田側でも今川(松平)側の記録でも、普通ではない負け方だって結論 >>124
義元自ら偵察隊狩りに出て討ち死にしたとしたら、新田義貞みたいな死に方だな
>>129
兵士の統率がそこまで低いとしたら、信長に討たれなくてもそのうち行き詰まってただろうな
ってか、乱取りに夢中の敵部隊の横をすり抜けたならほぼ奇襲だな 昔「寡兵で多兵の義元を討った、つまり狭い道に誘き寄せての奇策だった!」
最近「義元は丘の上から動かなかった、雨に紛れての予想外の奇襲だった!」
今「策や奇襲の証拠が無いから正面突撃だった!」
こいつら何?遊んでんの? >>149
そりゃあ、家康の親友だから
もし義元の計画通りにことが進んでも、主従が逆転するだけで氏真と家康は仲良く晩年を過ごしただろう >>125
おまえらが学生時代の同級生・先生・パパ・ママをいまだに許せない理由すべてこれなんよ
他人は自分に対して「正しいもの」を提供し「正しい対応」をしなければならない「義務」がある
(自分を虐めた同級生、きちんと対応しない先生・がり勉させたパパママはいじめで虐待で親ガチャだ)
でもその「義務」はあくまで他人「だけ」が負うものであり、自分にはそんな「義務」はない
だから年相応に働いたり結婚したりする「義務」は存在せず、いい年してマンガやらアニメ・ゲームで自堕落に暮らしていても何ら問題ない 「なんかあそこ本陣なのに手薄じゃね?
よっしゃ!突っ込んだろ!」
↓
今川「ギャーーーーッ!!(死)」 >>153
そのあたりは実際の義元がどこに布陣してたかの解釈の違いによるんだと思うよ
あのあたりって確かに山というか丘みたいな場所もあるし
街道もあるしって場所だから >>142
福島正則は尾張半国以下で関ケ原で6000人動員したぞ? 歴史学者はこんな話より天皇が何回途切れてるか数えてほしいわ
あと古墳の調査 〇500年後の学者
「安倍晋三は義賊の奇襲によって殺害されたというのが定説だがこれはウソ
安倍晋三はテロリストから国民を守り、凶弾に倒れたのだ・・・」 >>153
上 奇襲という、軍略の巧拙に持ち込みたい参謀本部
中 史料の検討による「妥当な」結論
下 売らんかなで書いてるインパクトありきの売文
主張者の立場が違う >>149
自分が負けた相手だからそりゃ持ち上げるよ
信玄もそう
氏真は幼馴染みたいなもんだし義理の兄弟でもあったのもある ジャップといえば奇襲だろうが
リメンバーパールハーバー 最近NHKがこれやってるよな
最初に当たり前のこと言って説得力持たせる
次に滅茶苦茶な仮説を言い始める
仮説を検証せずに番組終了
海外からの買付以外はこんなドキュメンタリーばっかやってる 今川が大軍扱いされてるけど尾張の国力考えたら正面衝突でも普通に勝てるんだよな
信長の親父とかまさにそれ しょせん定義や解釈の問題だろ
新説唱えて注目を浴びようとするのが特に歴史分野には多い >>174
ディスカバリーチャンネルで「元寇は日本の半分を制圧した」とか言ってたから
最近の歴史番組業界自体ヤバそう >>172
ちょっと前は今川なんて御公家様と馬鹿にされてたじゃん
義元なんて麻呂眉の蹴鞠野郎扱い >>176
親父の代は尾張を掌握してて三河にも進出してたけど桶狭間の時の信長は裏切り者続出で3分の1しか掌握してなかったんだよ 信長公記に具体的なことがないから
ではどうやってという記録がないんだよな
寡兵の織田軍が今川を討ち取ったて事実から推測するしかないから
新しい資料が出てこないと謎のままだろうね >>139
むしろノッブが幸村みたいなもんなんやろ 子供のころ読んだ児童漫画で崖から降りて奇襲したって見たけどさすがにそうはならんやろって思ってた 未明からの砦攻略で疲労した兵を本陣に収容して本陣の兵を占領した砦の守りにあたらせてたら本陣の方をやられたんだろ >>177
それはあるね
戦国ではないが、幕末だと少し前にあった坂本龍馬の軽視の方向はやり過ぎでは?って感じがするし
龍馬に比べて今まであまり重要視されてなかった中岡慎太郎の評価が上がるのはいいんだけど
その為に今度は龍馬の評価を過度に下げてる感がある 桶狭間の銅像の有るところに寂れたホームセンターあるよね。 せっかく再評価されてきたのにまた今川義元の顔グラがバカ殿に戻っちゃうのか >>184
そもそも、あのへんそんなに高低差なくね >>180
蹴鞠は氏真のイメージとごっちゃになってないか?
義元は輿に乗ってたとか、京の都から招いた貴族との交流があったとかの記録はあったけど 中京競馬場そば辺りでしょ?
狙いすました奇襲って言うより劣勢な敵勢力に正面突破カマして蹂躙したら義元が居たってのが正しそうな気がする 信長の野望では三好今川朝倉の昔強かったけど没落していったって大名でプレイするわ >>181
信長の主筋である織田大和守家を滅ぼしたのは誰でいつ?
織田家の本家である織田伊勢守家を追放したのは誰でいつ?
尾張守護である斯波氏が頼ったのは誰で裏切って最終的に斯波氏を追放した誰でいつ? >>184
そのあたりは義経の一ノ谷での鵯越とイメージを被らせてるんだと思う
そういうのは英雄譚としてはわりとありがち ノッブと龍馬と孔明はこの先も評価が急激に変動するんやろな まあこの辺の歴史なんておもちゃでいいんだよ
バトル漫画強さ格付けスレとかと本質は変わらんだろ 太原雪斎のいない今川とかクソザコだからな
さもありなん 長篠の戦の鉄砲3千丁も今じゃ盛り過ぎだって否定されてるんだっけ? >>165
そら一万石相当で200から300程度動員できると見なされてるからな キングオブジパングの桶狭間ってあんま奇襲感ないよな >>188
正面決戦説でてから
30年くらい経ってるしいまさら >>1
イッチ、けっこう歴史スレ立ててくれてる良い人だよね?
けど渡邉が好きなんだなw あと、楽市楽座も別に信長が始めたわけじゃなかった説 渡邉の記事嫌いだわ
奇襲は予想してなかった攻撃のことでしょ
正面攻撃であっても奇襲と矛盾しないよ
だから「奇襲で正面攻撃をかけた」って文章も成立する
今川軍が信長軍の接近を確認・予測できずに攻撃を受けたのはほぼ事実でしょ >>190
昔読んだ武田信玄主役の小説だと、元々今川義元に仕えていた山本勘助が公家趣味にハマって軟弱になった義元に落胆する回想があった >>148
今川も遠江の守護大名だよ
安定した領国経営が出来るようになったのは戦国以降だけど >>169
最近は下のゴミとコネ無能二世のゴミが多過ぎだよね > 「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」
こう言っているけど正面攻撃の根拠となる資料に信憑性はあるんか?
江戸時代以前の記録って信憑性が薄くて新説を作りたがる奴が群がってるだろ >>207
義元が既に始めてて
信長がそれを学んだ説もあるね
信長は義元の首も礼節を持って今川に送り届けてるし
これも諸説ある、浅井朝倉あたりの首の扱いで信長がめちゃくちゃやる武将だと思われてるけど
かつての天皇軽視、日本王になろうとしてたってイメージも
安土でも天皇の行幸を仰ぐ予定があったとか後に変わるし >>176
個別具体的な戦闘に国力とか石高とか
極めて不確定で抽象的な物を持出す馬鹿わ無知な上に低知能 織田家の古参達の話は残ってないの?
柴田、丹羽とか参加してないの? >>199
同時期の西国勢わ普通に鉄砲数千挺投入してる大名居たし
東国でも武田とか北条は数千挺保有してたから
誇張は無いでしょ >>5
小瀬甫庵という当時の医者が一次資料である信長公記を面白おかしく脚色&改悪して信長記を出したせい
つまり尾張一国の信長が3カ国の大大名今川義元に勝ったのは奇襲に違いないという素人の思い込みよ
実際には山がちな3カ国(70万石)の義元と領土がほぼ平野の尾張(57万石)の信長じゃそれほど差が無かったんで、
兵力差も差が少なかったってのが最近の説
尾張は商業や海運でも今川3カ国より発展してただろうってのもある 兵力でいれば尾張って割と豊かな土地だからまあまあ集められそうだが当時の今川の国力には敵わないから劣勢ではあったんだろ
それプラス遠征疲れと悪天候→これは多分事実 でグダグダになった可能性は高い 例えば今川が2万の軍なら、2万が一箇所にいるわけじゃない
前軍と本軍などに大きく分けてるし、さらに前軍は鷲津砦や丸山砦を攻めたり、家康みたく補給で大高城に入った部隊もいる
今川義元いる本軍も一箇所に固まってるわけではなく、各前線に援軍できるように前に出てる部隊もいる
で、桶狭間はそういった今川の散らばってる部隊に察知されることなく織田軍が今川の本陣に攻撃をかけることができた
そういった意味で奇襲攻撃
しかし、当然今川軍も休憩してるといっても、丘に陣取って、万が一の攻撃に備えて防御の陣形を取ってる
そういう状況では織田軍は今川義元本隊に正面から攻撃する形になる
渡邉の記事はこういい小銭稼ぎ・閲覧稼ぎの詭弁が多いから嫌い >>212
信玄「ギャー!奇襲したつもりが奇襲されてイクッイクッ」 >>207
撰銭令も楽市も楽座も大内家とか三好家が何十年も前にやってるもんな 新九郎奔るにも出てきたが
今川義元のお爺さんもわりとつまらない仕方で討死してるよな
今川家の伝統か? >>215
抑々根拠無いよ
直前に大高城やら各所に兵力分散させてるし
奇襲というか今川義元無能 >>227
名門で領国も安定してたから緊張感薄いんでしょ
能力有っても油断して致命的なミスやらかす奴 この手の歴史スレが立つと的外れ逆張り軍師が湧くのも嫌儲の風物詩だな >>228
今川自身はまあまあ戦強いのに一回負けて無能呼ばわりは正直馬食さん感がありなんかなあ みんなが何となく持ってる桶狭間の戦いのイメージは明治時代に陸軍が研究した結果のやつ
とはいえ映画やドラマで仰々しく描かれるほど義元軍はアホっぷりを晒していたわけではなく
当日の天候(急激な大雨)に紛れて側面を信長軍が上手く突いたいわゆる奇襲だったというのは間違いないと言われている 結局は、
「徳川家康と称する男はどっから出て来たのか」
に来着する。 御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐってあるけど
吉良は分かるが渋川、石橋以下の今川はないだろ
まだ斯波家の方がわかるわ >>228
兵力分散ではないと思うけどなあ
なんで兵力分散と思うのか教えて欲しい >>239
兵力を分散させたから
おそらく兵力分散 >>236
そもそも御一家は義教が将軍後継候補から斯波を外すために作っただけで実際に将軍になる可能性はほぼ無かっただろ? >>241
当時の一般的な行軍の仕方と攻め方だと思う 信長記のデタラメ信じてるジャップとか北朝鮮の百戦百勝の鋼鉄の霊将伝説笑えんだろ 信長も過大評価が過ぎるようだし
来年の大河も信長を意外としょうもない奴だったとして描いてみてはどうかね 信長公記の1番のポイントは信長の家臣が書いたもんだし1番信長の記録としては古いって事だろ
資料としてはかなり正確だと思うが 堺屋太一が「信長といえば奇襲攻撃のイメージガあるが、実際には最初の桶狭間以外は全部正攻法で勝ってた」ってテレビの対談で言ってたが、桶狭間も奇襲じゃなかったんだ >>243
舐めプし過ぎだよね
別働隊分ける位なら解るけど
複数分散とか戦勝が確定した後に執る行動
敵の主力が万全な状態でやるのわ油断 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています