今川義元「ギャー!織田信長が奇襲してきた-!」ウソだった。普通に負けただけだった。 [584964303]
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「織田信長は奇襲で今川義元を破った」はもう古い…「桶狭間の戦い」の最新研究で論じられていること
奇襲ではなく、むしろ正面からの突撃だった
これまで「桶狭間の戦い」は、兵力に劣る織田信長が今川義元を奇襲で倒したとされてきた。
ところが、これは最新研究では覆されている。
歴史学者の渡邊大門さんは「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」という。
https://president.jp/articles/-/64042 >>289
そうでもなくね?
前に見た歴史番組の情報だと今川方は寄り親と子って関係が他の武将よりしっかりしてたって話だった >>287
マキシム砲で皆殺しになったアフリカの部族となんも変わらんレベルだよな
呪術師の聖水で呪弾は防げるとか言って全滅 >>264
そりゃあ初めての近代的な戦史研究だったから
今やお馴染みの白と黒の駒の布陣図だって日本では参謀本部が初めて作成した >>280
相州兵乱記わ16世紀の成立なのに何言ってんの?
史料がそれしか無くてそこに敗死と書かれてるんだから
他に判断材料が無ければ敗死 >>125
25年程前に小林よしのりによって生み出された純粋まっすぐ君とかいうワードを恥ずかしげもなく使い、しかも使い続けていることを公言した上でそれを論拠とする持論こそが正しいと思い込み続けている狂人がこんなところにいるとは >>293
>相州兵乱記わ16世紀の成立なのに
それを証明するソースある? 織田の本陣をうまく探り当ててそこに全兵力ぶち込んだんだってな
まぁ見方的には奇襲と見えなくもない
実際今川の本陣は雨で休んでて臨戦体制じゃなかったし >>11
実は戦力差はそれほどない
言われている戦力差は別の場所で城攻めしている兵数や補給のための人数も含まれている
そして今川方は城を出たばかりで隊列が整っていないところで織田方と不意に遭遇した >>296
歴史ってのは残ってる資料から想像を駆使して推論を導く学問なので
新しい資料や根拠が発見されてこれまでの推論が変わったりするのは世界中で当たり前にあります >>153
下2つは同じ
正面から攻撃を受けたが不意遭遇戦 >>296
日本は「記録官」を採用しておらず軍事記録が少ないからね
戦術面なんてわからない事だらけ 人数が少ないなら正面から襲いかかってもまず殺されるだろから奇襲したんだろう >>302
報償の為に個人の戦績を記録、監察する役職はいたけどね
そこらの記録を丁寧に分析すれば、戦術とかもわかるような気もするけど >>295
抑々軍記物も記録や記憶を元に書いてるんだから
否定する材料が無いなら史実の可能性が高い
昭和の頃わ何でも否定してたけどな頭のおかしい学者が 江戸時代
戦記物が好き勝手創作する
明治以後
歴史学者は戦史に興味がなく研究しない
資料批判を知らない参謀本部が我が国固有の戦史を求め戦記物を鵜呑みにする→これが世間に流布される >>300
それと日本の歴史が変わってばかりなのはなにか関係あるの? どっちにしろ本陣に仕掛けて首取ったんだから
それが全て 人数が少ないのに正面から信長だぞーとか言って襲いかかっても簡単に殺される。だから正面とかありえないんだよね >>304
現状戦術どころか編成すらまともに判らない
当時からそういう部分は機密だったんだろが今のところ輜重などから推測してる域を出ない >>307
世界の歴史も変わってばかりよ
権威ある学者の根拠がデタラメだったなんて話は他の国でもあるし
むしろ、ずーっと歴史が変わらないなんて方がおかしい
新しい資料なんてのはいつでも見つかる可能性があるんだし >>74
太原雪齊の存在も大きいな
自分以外に全てを任せる事ができるNO.2がいる 奇襲説と強襲説が出て、強襲説のほうが説得力あったなと思った >>142
尾張半国有れば27万国だろ
70万国の遠征軍なら迎え撃つことはできるんじゃね? 松永弾正爆死も小説の創作に過ぎないのに何故か史実扱いされて一人歩きしてるよな
実際は腹切って死んだのに、小説でウケを狙った結果「ボンバーマン」と呼ばれる それじゃあ義元ただの馬鹿だし
戦は少数で本陣強襲した方が有利っていう珍妙な結論になってしまう >>1
あの戦いで織田勢力が急拡大したってのに今川弱すぎってだけかよ織田ほんと運良いっすね 日本の歴史学なんてやりたい放題のだったらいいな史が多いと思うけどな どっちにしろ基地外の博打が大成功したって点では同じだし
そんなに訂正する程のことか?と思う >>316
単純化して兵力比四割だと
有効な防御戦闘を野戦で行うのは難易度高いな >>324
織田のが全軍出せないと思う
尾張国内に敵かかえてるのに >>1
これおかしくない?
奇襲戦法は別に正面突破でも
どこからともなく突如現れて突っ込んだら奇襲だぞ?
昼飯時を狙って正面攻撃でも
寝込みを狙って正面攻撃でも
宴会しているのを見て正面攻撃でも
ウンコしているときに正面攻撃でも
「奇襲」 >>1
> 一方の義元は、桶狭間山で休息を取っていた
休息していたトコを正面から攻撃したら「奇襲」は成立するじゃんか
なんだこれ? >>1
> 5月19日の午後になると、にわかに視界を妨げるような
> 豪雨に見舞われた。雨には雹ひょうが含まれており、
> 今川軍の将兵の顔を激しく打ち付けた。すると、
> 沓掛峠の楠の大木がにわかに倒れたので、織田軍の
> 将兵は熱田大明神の神意ではないかと思ったという。
> 織田方はこの悪天候を活用し、やがて晴れ間がのぞくと
> 義元の本陣に突撃した
天候を利用した奇襲じゃんかw >>327
戦闘準備固めてても思わぬ方向やタイミングで攻撃されたら奇襲になるし これでは「迂回奇襲説」ではなく「正面からの奇襲」だったってはなしだろ>>1 >>1
> 最近の研究では『信長公記』を根拠史料として、
> 次のように指摘された。
>
> 千秋四郎らが敗北したことを知った信長は、
> 家臣たちの制止を振り切り、中島砦を経て今川軍の正面へ
> と軍勢を進めた。当初、大雨が降っていたが、止んだ時点で
> 信長は攻撃命令を発し、正面から今川軍に立ち向かった。
>
> 今川軍を撃破した信長軍は、そのまま義元の本陣に突撃。
> 義元はわずかな兵に守られ退却したが、最後は信長軍の
> 兵に討ち取られたという。これが「正面攻撃説」である
「雨が止んだぞこの機を逃がすな」という奇襲ですね 今川は陣を構えていた
そこを数が劣る織田勢が急襲し撃破した
これでいいんじゃないの >>316
石高なんかは天下が安定した秀吉や家康の時代にようやく割り出されたもんだし
尾張半国の領主と三遠駿の太守の対決って構図は織田方にとって絶望感あっただろうなとは思う >>327>>330
これ書いたのは渡邊大門と言ってヤフーニュースで釣りタイトルでクソ記事を連発してるワイの中では有名な人
話だか本だかで渡邉自体は頭良いと思った記憶あるから、さらに悪質で小銭稼ぎのために、わざとこういう記事書いてる どうやって勝ったか?なんて動画撮影されていても
数十台のカメラと信長と義元には兜にGoProつけてもらわないと
正しい分析なんてできない
残っている資料だけで安土桃山時代の戦いの戦況分析なんて
どれも信用ならんな 未だに大河ドラマのバカ殿像をまに受けてるやつなんなん
尾田に敗れはしたけど地元じゃ今川家は畏怖されてんだよ 強襲か奇襲かはともかく
まともに当たれば今川本陣に着く前に織田軍は負けるはずだから
どうにかして今川軍の防衛ラインをスルーしたのは間違い無いだろう
そして、資料からは天候が味方したことが分かる >>341
そもそも大河ドラマで義元を馬鹿殿みたいに描いた作品ってあんまないだろ
少なくとも近年では見ない 信長もそんなに変人では無かったみたいだな
正攻法で攻めて天下取りを狙ってた >>344
めちゃくちゃ変人だぞ
あんだけピンチの連続だった武士はいないだろうし、あんだけ命の危険があったのに行動変えないのは完全に変人 >>344
チンポの湯帷子着たり、短い刀が嫌だからって鞘に車輪付けなきゃ行けないほど長くしたり、女装を趣味にしてたりする変人だぞ >>100
リニア工場がまさにそれだけど今のところ静岡が押してないか? しょっちゅう反乱起こされてるのに起きるたびに何で?と思うくらいの変人 今川2万ってのがそもそも異質だよな
兵が多すぎる... >>351
駿遠三に同盟の武田、北条の援軍いれたらそんなもんだろ 小説のシーンとかでは無くてリアル学説として織田信長が今川義元に勝ったのは奇襲のお陰ってのが定説だったの? 河越夜戦で八万も集まってるし
上杉謙信の関東進攻でも10万集まってる >>353
ジャップの歴史学者は江戸時代に書かれたネタを史実だと信じ込んでいるアホばかりだからな >>69
父ちゃん倒されたのになんだかんだ生き延びたし三国同盟で結婚した三組のうち唯一正室と添い遂げてるんだっけ?氏真すごいよな
運がすごい良かったのと人徳とかあったのかね >>5
30年ぐらい前に論文みたいなのがボードゲームの雑誌タクティクスに載ってたわ
場面ごとの戦力比で勝敗になるというのがゲームやってる人の方が
理解出来ると言うので投稿したとか >>358
なんだかんだじゃないぞ
氏真自体に価値があったんだよ
北条は氏直を氏真の養子にして今川家の家督を継がせて駿河奪取の名目にした
徳川織田も駿河への氏真保護を名目に駿河を統治できる
戦国時代っていっても名目やお題目が必要 この説って昔流行ったけどやっぱ違ったってならんかったか?
緒形直人が信長やった大河がこの正面からの戦い説でやってたけど 大将のいるホンジンだけピンポイントで襲うのは奇襲だろうが
実はこうだったとかのインチキ歴史改竄シネ >>5
江戸時代に荻生徂徠か頼山陽が家康の次に強い戦国武将は誰かと評したときに
信玄謙信元就は当然信長と秀吉に及ばないが信長と秀吉が戦ったら100回中99回信長が勝つと言ってるな
なぜなら秀吉の神速の行軍をもってしても信長の電撃的な奇襲にはかなわんからと
なんで江戸時代から桶狭間は奇襲の代名詞になっていた この頃でも傭兵雇ってたんでしょ。尾張の財力がチートすぎる 今川側からすれば大名行列で京都まで向かう予定だったから
兵站その他を担う非戦闘員の方が多かった
実際の戦闘員は織田よりちょっと多いだけだったって何かの本で読んだ
これでも10年以上前だと思うから最近だろともっと具体的な数字とか出てきてもおかしくないはず 桶狭間山に居たってのが大事
義元は山の上に居て信長は山を登ってきた 本陣を一気に攻めたんやろな
大将首取れば勝ちやから 信長公記にはそう書かれているみたいだけど、でもそれが真実とは限らない可能性もありそう。
戦国時代に造られた鎧に、人体を模した裸に見える鎧なんてのがあって、
ヤバい戦場に、あろうことか鎧を着けずに裸一貫で現れたかのように思わせて、勇敢で粋な様を見せつけようとしたり、そういう事で驚嘆したり賞賛したりするような文化があった。
だから記録でも、奇襲で勝ったなんて書いたら、それじゃ、ただの卑怯者でダサいと思われてしまうから、正面から堂々と攻撃して勝ったと書いた方がカッコよく思われるし、
ましてや、自軍は疲労していて、相手は新手で全然元気だったのに、そんな不利な状況で正々堂々と戦って勝てば、織田軍は凄いと思って貰えるから、現実は違ったにも関わらず、そのような風に記録したのかも。 信長の記録は江戸時代にかなり焚書されたり改竄されたみたいだから正確なところはもう誰にも分からん
ノブの有能さが広まると幕府にとって不都合が出るくらいノブの影響力はデカかった >>368
上洛説はほぼ否定されてる
通り道の美濃の斎藤、近江の六角浅井に話を通してた形跡がない 今後はもう恥ずかしくて海道一の弓取りとか言えないね
弓取り(笑)なら許すよ 歴史学者
歴史研究者
この手の肩書は自称で
いくらでも名乗れるから話半分に聞いとけ >>378
他の肩書もヤバいぞ
中野信子は脳科学者を自称しててメディアは脳科学者で紹介してる
「科学者」だぞ
この人は心理学や占いみたいな言葉しか使わないのにさ
前なんかNHKで「日本人には先送りする遺伝子がある」と発言してたんだぞ
性格を決める遺伝子が発見されたなんて聞いたことないのに >>86
その元ネタ今川の楽市何ですよ
後東日本最初の衆法とかも今川で織田は後追いなんす 他の部隊に気付かれずに敵本陣まで行ってる時点で奇襲だろ・・ >>78
この人、書く内容自体はおかしくなくて、妙に商売っ気ある執筆活動してるのが目に付くくらい
TVにもよく出る某東大教授よりかはよっぽどマシ この件を持って「今川が雑魚ってことじゃん」
って解釈するケンモメン多いのがよく分からない
むしろ創作された物語より実際は信長は強かったってことだろ?
ならばそれと正面で戦った今川は別に慢心とかで負けた訳ではなく
実力で負けたんだからむしろ今まで言われてた「戦力では圧倒的な差があったのに慢心から負けた雑魚」ってイメージこそ覆ると思うんだけど。
でもケンモメンはなぜか「それって今川が雑魚ってことじゃんw」って解釈する人間が多くて不思議。文盲ってことよな? >>384
兵力が勝ってるのに散らしすぎて本陣突かれるのは
間抜けなのは否定できない
その一事により義元の有能さを否定するのは間違いだが
君もあんま読めてないな 前哨戦で織田はボロ負けして有力な家臣も殺されてたってのも事実なんだろ
風の槍ってマンガでしか知らんけど
正面というかやっぱり奇襲だったんじゃないか? 現代研究者は聖徳太子や仁徳天皇陵の名前を変えようとするから信用ならない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています