今川義元「ギャー!織田信長が奇襲してきた-!」ウソだった。普通に負けただけだった。 [584964303]
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「織田信長は奇襲で今川義元を破った」はもう古い…「桶狭間の戦い」の最新研究で論じられていること
奇襲ではなく、むしろ正面からの突撃だった
これまで「桶狭間の戦い」は、兵力に劣る織田信長が今川義元を奇襲で倒したとされてきた。
ところが、これは最新研究では覆されている。
歴史学者の渡邊大門さんは「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」という。
https://president.jp/articles/-/64042 >>1
> 最近の研究では『信長公記』を根拠史料として、
> 次のように指摘された。
>
> 千秋四郎らが敗北したことを知った信長は、
> 家臣たちの制止を振り切り、中島砦を経て今川軍の正面へ
> と軍勢を進めた。当初、大雨が降っていたが、止んだ時点で
> 信長は攻撃命令を発し、正面から今川軍に立ち向かった。
>
> 今川軍を撃破した信長軍は、そのまま義元の本陣に突撃。
> 義元はわずかな兵に守られ退却したが、最後は信長軍の
> 兵に討ち取られたという。これが「正面攻撃説」である
「雨が止んだぞこの機を逃がすな」という奇襲ですね 今川は陣を構えていた
そこを数が劣る織田勢が急襲し撃破した
これでいいんじゃないの >>316
石高なんかは天下が安定した秀吉や家康の時代にようやく割り出されたもんだし
尾張半国の領主と三遠駿の太守の対決って構図は織田方にとって絶望感あっただろうなとは思う >>327>>330
これ書いたのは渡邊大門と言ってヤフーニュースで釣りタイトルでクソ記事を連発してるワイの中では有名な人
話だか本だかで渡邉自体は頭良いと思った記憶あるから、さらに悪質で小銭稼ぎのために、わざとこういう記事書いてる どうやって勝ったか?なんて動画撮影されていても
数十台のカメラと信長と義元には兜にGoProつけてもらわないと
正しい分析なんてできない
残っている資料だけで安土桃山時代の戦いの戦況分析なんて
どれも信用ならんな 未だに大河ドラマのバカ殿像をまに受けてるやつなんなん
尾田に敗れはしたけど地元じゃ今川家は畏怖されてんだよ 強襲か奇襲かはともかく
まともに当たれば今川本陣に着く前に織田軍は負けるはずだから
どうにかして今川軍の防衛ラインをスルーしたのは間違い無いだろう
そして、資料からは天候が味方したことが分かる >>341
そもそも大河ドラマで義元を馬鹿殿みたいに描いた作品ってあんまないだろ
少なくとも近年では見ない 信長もそんなに変人では無かったみたいだな
正攻法で攻めて天下取りを狙ってた >>344
めちゃくちゃ変人だぞ
あんだけピンチの連続だった武士はいないだろうし、あんだけ命の危険があったのに行動変えないのは完全に変人 >>344
チンポの湯帷子着たり、短い刀が嫌だからって鞘に車輪付けなきゃ行けないほど長くしたり、女装を趣味にしてたりする変人だぞ >>100
リニア工場がまさにそれだけど今のところ静岡が押してないか? しょっちゅう反乱起こされてるのに起きるたびに何で?と思うくらいの変人 今川2万ってのがそもそも異質だよな
兵が多すぎる... >>351
駿遠三に同盟の武田、北条の援軍いれたらそんなもんだろ 小説のシーンとかでは無くてリアル学説として織田信長が今川義元に勝ったのは奇襲のお陰ってのが定説だったの? 河越夜戦で八万も集まってるし
上杉謙信の関東進攻でも10万集まってる >>353
ジャップの歴史学者は江戸時代に書かれたネタを史実だと信じ込んでいるアホばかりだからな >>69
父ちゃん倒されたのになんだかんだ生き延びたし三国同盟で結婚した三組のうち唯一正室と添い遂げてるんだっけ?氏真すごいよな
運がすごい良かったのと人徳とかあったのかね >>5
30年ぐらい前に論文みたいなのがボードゲームの雑誌タクティクスに載ってたわ
場面ごとの戦力比で勝敗になるというのがゲームやってる人の方が
理解出来ると言うので投稿したとか >>358
なんだかんだじゃないぞ
氏真自体に価値があったんだよ
北条は氏直を氏真の養子にして今川家の家督を継がせて駿河奪取の名目にした
徳川織田も駿河への氏真保護を名目に駿河を統治できる
戦国時代っていっても名目やお題目が必要 この説って昔流行ったけどやっぱ違ったってならんかったか?
緒形直人が信長やった大河がこの正面からの戦い説でやってたけど 大将のいるホンジンだけピンポイントで襲うのは奇襲だろうが
実はこうだったとかのインチキ歴史改竄シネ >>5
江戸時代に荻生徂徠か頼山陽が家康の次に強い戦国武将は誰かと評したときに
信玄謙信元就は当然信長と秀吉に及ばないが信長と秀吉が戦ったら100回中99回信長が勝つと言ってるな
なぜなら秀吉の神速の行軍をもってしても信長の電撃的な奇襲にはかなわんからと
なんで江戸時代から桶狭間は奇襲の代名詞になっていた この頃でも傭兵雇ってたんでしょ。尾張の財力がチートすぎる 今川側からすれば大名行列で京都まで向かう予定だったから
兵站その他を担う非戦闘員の方が多かった
実際の戦闘員は織田よりちょっと多いだけだったって何かの本で読んだ
これでも10年以上前だと思うから最近だろともっと具体的な数字とか出てきてもおかしくないはず 桶狭間山に居たってのが大事
義元は山の上に居て信長は山を登ってきた 本陣を一気に攻めたんやろな
大将首取れば勝ちやから 信長公記にはそう書かれているみたいだけど、でもそれが真実とは限らない可能性もありそう。
戦国時代に造られた鎧に、人体を模した裸に見える鎧なんてのがあって、
ヤバい戦場に、あろうことか鎧を着けずに裸一貫で現れたかのように思わせて、勇敢で粋な様を見せつけようとしたり、そういう事で驚嘆したり賞賛したりするような文化があった。
だから記録でも、奇襲で勝ったなんて書いたら、それじゃ、ただの卑怯者でダサいと思われてしまうから、正面から堂々と攻撃して勝ったと書いた方がカッコよく思われるし、
ましてや、自軍は疲労していて、相手は新手で全然元気だったのに、そんな不利な状況で正々堂々と戦って勝てば、織田軍は凄いと思って貰えるから、現実は違ったにも関わらず、そのような風に記録したのかも。 信長の記録は江戸時代にかなり焚書されたり改竄されたみたいだから正確なところはもう誰にも分からん
ノブの有能さが広まると幕府にとって不都合が出るくらいノブの影響力はデカかった >>368
上洛説はほぼ否定されてる
通り道の美濃の斎藤、近江の六角浅井に話を通してた形跡がない 今後はもう恥ずかしくて海道一の弓取りとか言えないね
弓取り(笑)なら許すよ 歴史学者
歴史研究者
この手の肩書は自称で
いくらでも名乗れるから話半分に聞いとけ >>378
他の肩書もヤバいぞ
中野信子は脳科学者を自称しててメディアは脳科学者で紹介してる
「科学者」だぞ
この人は心理学や占いみたいな言葉しか使わないのにさ
前なんかNHKで「日本人には先送りする遺伝子がある」と発言してたんだぞ
性格を決める遺伝子が発見されたなんて聞いたことないのに >>86
その元ネタ今川の楽市何ですよ
後東日本最初の衆法とかも今川で織田は後追いなんす 他の部隊に気付かれずに敵本陣まで行ってる時点で奇襲だろ・・ >>78
この人、書く内容自体はおかしくなくて、妙に商売っ気ある執筆活動してるのが目に付くくらい
TVにもよく出る某東大教授よりかはよっぽどマシ この件を持って「今川が雑魚ってことじゃん」
って解釈するケンモメン多いのがよく分からない
むしろ創作された物語より実際は信長は強かったってことだろ?
ならばそれと正面で戦った今川は別に慢心とかで負けた訳ではなく
実力で負けたんだからむしろ今まで言われてた「戦力では圧倒的な差があったのに慢心から負けた雑魚」ってイメージこそ覆ると思うんだけど。
でもケンモメンはなぜか「それって今川が雑魚ってことじゃんw」って解釈する人間が多くて不思議。文盲ってことよな? >>384
兵力が勝ってるのに散らしすぎて本陣突かれるのは
間抜けなのは否定できない
その一事により義元の有能さを否定するのは間違いだが
君もあんま読めてないな 前哨戦で織田はボロ負けして有力な家臣も殺されてたってのも事実なんだろ
風の槍ってマンガでしか知らんけど
正面というかやっぱり奇襲だったんじゃないか? 現代研究者は聖徳太子や仁徳天皇陵の名前を変えようとするから信用ならない ケンモメンって本当文盲多いって実感するな
ツイッターとかマッチングアプリに比べたらまだマシと思ってたけど
明らかに読解力が著しく低い人間が多いわ
いいか?
今川氏は今まで「戦力では圧倒していたのに慢心、環境の違いで油断して超格下に負けた恥ずかしいやつ」
って評価
これが実は真っ赤な嘘だったってこと
今川氏を貶め、信長の価値を上げるための脚色だったってことだ
つまりこの新事実からは「今川氏は雑魚じゃなかった」と導くのが正しいわけ
マジでケンモメンって頭悪くて困惑するわ 次の大河でもやると思うけど
有名な大高城兵糧入れ、が成功してしまったから義元は命を落とすことになった
家康がここで失敗して死んでれば義元は生き延びてその後の歴史も大きく変わっただろうな >>356
名門守護大名や関東管領わやっぱ違うよね権威が 今川って東海の昔でいうところの3国くらい収めてて
兵力も3~4倍くらいあるんじゃないの?
ふつうに勝負したら勝てないよ 夏の陣の真田とかもそうだけど
急激な突撃かましたら本陣まで行けたって話はたまにあるから
それが上手くハマったのが桶狭間 >>392
義元が生き残る云々以前に
家康が死んでりゃ、そら歴史は大きく変わってたわな >>398
だよね
完全に奇襲
今川義元わ兵力分散させた無能 普通に兵力差があって移動中とかじゃないと本陣まで兵士と戦ったら弱い方がやられるから
やっぱり山を移動中に大将狙ったんじゃないの? 本隊が奇襲受けて大将討ち死にするくらい前に出すぎてたんじゃね?? なんか大河の内容の大半が嘘ってくらいコロコロ変わるな >>406
初めて見た
これを叩き台にいろいろ語れるな
清州城を出た信長の動きは中島砦までは記述にあり、次の瞬間には桶狭間にいる
このとき「敵から信長の寡兵が丸見えだ」と書かれてたことから密行(迂回)が否定されたわけだが
ところで松井宗信がこの高根山に陣取っていたというのはたぶん信頼できる史料には無いはず
高根山に兵がいたんだとしたらそいつらはなんで信長の部隊が本陣に行くのを座して見守っていたのか
仮に中島砦から桶狭間に行く間を密行してた(だから高根山の兵が気づかなかった)んなら迂回(密行)奇襲説は残ることになる 海道一の弓取り(かいどういちのゆみとり)は、以下の戦国武将の異名。海道とは東海道を指す。弓取りとは弓矢で戦うものから「武士」、転じて「国持大名」を指す。通常、以下の、東海道の国に拠点を置いた戦国大名を指す。
年齢順
今川義元:駿河国、遠江国を支配し、三河国の松平氏(のちの徳川氏)を服属下においた。
徳川家康:三河国、遠江国を支配した。のちに駿河国、甲斐国も支配下に置いた(東海道以外では信濃国も支配下に置いたこともある)
また、戦国時代以前には、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将宇都宮公綱が、好敵手の楠木正成から坂東一の弓取りの異名で称賛されている。 緒形直人のKING OF ZIPANGが正面突破でやってて当時そこそこ批判されてたけどやっとまともな考証された大河が出て来た!って思ったよね
熱田の港の利権を弟に分けてあげて、って土田御前から頼まれてブチ切れたり、ホント良くできた大河だった >>344
桶狭間戦後に東方への領土拡大に全く興味を示さないとか間違いなく変人
挙げ句の果てに東側を直轄にせず別の勢力(家康)を立てるし >>414
尾張織田家がガタガタでそれどころやない
尾張統一するの桶狭間の5年後にようやくやし 戦国の逸話の多くは江戸時代に創作されたもの
今はその資料がいつ書かれたものなのかを精査する研究が進んで
たくさんの歴史の常識が覆っていってる >>390
不意遭遇だから奇襲じゃないし
ここでいう奇襲って細く伸びていた今川方の側面をついたって話だぞ >>407
コラーゲンとコーヒーは定期的に効果が正反対の説が出てくるな
この新説が確かなら今川は普通に実力負けしただけやな
「小が大を倒す」ってドラマチックな肉付けをしたいがために信長勢は極端に弱く描かれたってかんじか
実際は慢心や油断で負けたわけじゃなく
正面衝突で負けただけだから 今川の無能イメージ(ほぼゲームとかの印象が多いだろうな…)
も段々払拭されていくだろう 海道一の弓取りとは家康のことで
今川義元がそう言われたことはなかった説がある >>407
緒形直人の信長は雨は降っていたけど、正攻法で押しているうちにって描きかたじゃなかった? >>220
当時の信長さんは尾張の半分も支配してなかった気がするんだが >>395
もっと兵力差有るぞ、ゲームの影響でこの時点で信長は尾張一国持ってるイメージだけど
実際は尾張1/4程度 >>423
尾張の織田とか三河の松平みたいなイメージだけど
実際の所領はその一部で一国の統一ができたのは30近くになってからなんだよな
一国を統一するってのも意外と大変で近隣の大名相手だけじゃなく家督争いや一族での序列争いもしながら二、三代かけて伸張を繰り返しながらそれを成し遂げて
そこからまた十年くらいかけて二ヵ国くらい領有出来るようになると大大名の仲間入り出来るイメージがある >>424
お歯黒とか輿に乗って采配してたとか、公家かぶれのネガティブな方向で表現されがちなんだけど、それらは今川家の家格の高さを現すもので将軍家との特別な関係(足利将軍家と親戚関係で、征夷大将軍着任の権利ももつ)の証なんだけどね >>414
桶狭間で義元が死んでも、今川の家臣たちが易々と信長を君主として受け入れることはないし
苦労して支配しても武田や北条とぶつかる地獄
尾張の統一したらお家騒動でグダってる美濃に、道三の娘婿として乗り込む方がやりやすいし大義名分も立つだろ 戦後の小説家や歴史家なんかがノブを戦に強い武将として描きたくなかったとしか思えんな
奇襲説や今川義元オハグロ惰弱説は >>212
誰か奈倉が戦国時代に転生したなろう小説書かないかな? 吉本討死後に今川家は一代で没落だからな
栄枯盛衰が激しい時代とはいえ討死は最悪な死に方なんだよな >>430
没落っても
氏真を経て江戸時代は高家旗本として明治維新まで生き残ったんだけどね
なにせ家柄は良いから >>430
「大名」としてはね
幕末には朝廷との交渉で奔走したり、結構活躍してる
明治維新後に本家は途絶えてしまったけど 今川よりも家格の高い甲斐源氏の武田が完全に滅亡したの見ると
信長を敵に回す末路は恐ろしいと氏真も理解したんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています