今川義元「ギャー!織田信長が奇襲してきた-!」ウソだった。普通に負けただけだった。 [584964303]
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「織田信長は奇襲で今川義元を破った」はもう古い…「桶狭間の戦い」の最新研究で論じられていること
奇襲ではなく、むしろ正面からの突撃だった
これまで「桶狭間の戦い」は、兵力に劣る織田信長が今川義元を奇襲で倒したとされてきた。
ところが、これは最新研究では覆されている。
歴史学者の渡邊大門さんは「奇襲説の根拠となる史料の信憑性が低く、
現在では正面攻撃説を支持する研究者が多い」という。
https://president.jp/articles/-/64042 津島の隠密から得た情報で相手の数が少ないことがわかったので
突撃したんだよな
今川の首を取ったのは平野だが、あまり優遇されず
情報を持ってきたやつに大きく褒美を与えたという
擦り倒された逸話 >>46
これな
織田が和議を申し込む→義元出向く→和議の場で不意打ち説すらあると言うのに なんだかんだ後を継いでから割といいペースで国内の反対勢力潰してたのに
今川をカウンターKOするまで尾張のうつけ扱いだったのは本当なのか? 戦国乙女レジェンドバトル本当につまんなかったな
もう1円に1台しかない >>46
でもやっぱり麿が蹴鞠してるイメージだよね今川義元って >>34
だがその通説には疑問が残る
織田信長がうつけから急に有能になったこと、そして今川義元有能説、これらから導き出される答え、それは桶狭間の戦いの際に織田信長が今川義元が入れ替わったと考えるのが自然ではないだろうか
つまりこの時おっちんだのは今川義元ではなく織田信長だったという可能性はないだろうか >>14
全盛期の信玄が北に居るし同盟を結んでたとはいえ無能だったら信玄に食われてる 奇襲説の根拠が薄いだけで正面説も根拠薄いのでは?
なにか最新の正面説を裏付ける資料でも出てきたん? 桶狭間戦記の義元のかっこよさは異常
太原雪斎もいい これ迂回奇襲じゃなくて天候を利用した正面奇襲ってだけじゃねーの
奇襲は奇襲のような 今川はそれはそれで革新的なやつだったが、
その情報を抜き取って鉄砲を配備するあたり
津島商人の優秀さよ
信長を斎藤道三の娘と結婚させて、
後に評価される経済システム作ったのも奴らだし >>55
その当時は織田の血族内で戦争しまくってたわけで
そういう状況では敵対する血族からは有能でも「あいつはうつけ」と悪口言われるんじゃね 正面撃破だったら信長が凄いというより義元がアホなだけになって誰も得せんだろ
取り消せ >>58
それ氏真
義元は領国経営にも秀でていて名将、名君の類だぞ まあでも戦力差を考えりゃなんらかの奇襲要素か運要素がないと無理だろ
5倍ぐらいの敵を撃破した上大将まで討ち取ってんだからさ >>61
ほかにも桶狭間の戦いに関しては、さまざまな説が提供されている。しかし、史料の拡大解釈や論理の飛躍もあり、定説に至らないのが現状である。 >>60
信玄が近隣国で唯一自分から戦を仕掛けなかった大名だからね >>45
撤退する朝倉義景を奇襲した刀根坂の戦いとか >>23
良くないよな
他の研究者はどう思ってるんだろか ノッブは革新者じゃなかった!普通のことしかしてない!って逆張りすればお手軽に注目集められるからな
この手の輩に傾聴する価値はない >>67
>>77
それ全体の戦局では織田方が圧倒的に多いのに
一部戦況だけ切り抜くと織田方が少ない瞬間だったってだけの話でしょ
朝倉とか小谷城陥落して救援失敗だ~逃げろ~って状況なんだからあまりにもシチュエーションが違う そもそも圧倒的兵力差があったという点も眉唾
今川の所領なんか地図見りゃ分かるけど平野部が猫の額程度にしかなく稲作には不向き
石高がそのまま国力だった時代には致命的な立地
多分動員兵力だけで比較したら尾張半国とはいえ肥沃な濃尾平野を握ってた織田と大差無かったのでは そもそも織田家は貿易と農業で潤ってたからな
今川より軍備に金かけてたまである その内戦国時代なんてほんとは無かったとか新説出さないと食べていけない糞歴史学者が言い出すやろ 結局、親父が勝幡城に呼んで関係作って
反対にお呼ばれしたときに
だまし討ちして那古野城を奪う
このときの恨みがあったから
信長が伊賀忍者とバトルしてそいつらが長島城を陣地にしてきたから戦って、その応援に今川が加勢しようとしたからガチコンやってやったのが桶狭間なんだよな >>82
室町末期~織豊時代の日本史なんて特に江戸時代の講談で脚色されたものがそのまま史実として流布したようなものがゴマンとあるし…
歴史物語としてならそれでもいいけど学術的な見地から一次資料をベースに見直すのも大事なことよ >>83
多少知ってるくせに「たとえばどの戦?」でしらを切るの意地汚いなw 桶狭間に限らないが参謀本部が史料批判しないで軍記物で面白いから広まった説をそのまま受け入れたから てか駿河の今川が何で勝手に遠江と三河を支配してんの >>84
砦が次々と落とされてたまでは確認されてるから兵力には確かに差があったと思うけどな
それも作戦と言うにはあまりにも合理性がない >>49
無いよ
税金取れて無いし
上納金は大した額じゃ無い お互い戦陣を組んでの開戦とかではないんだろ
仮に正面から突撃したにせよ今川本隊が天候と地の利用を活かした織田本隊に突然襲撃されたならそれは奇襲と言って良いのでは 戦場で敵に首を取られた戦国大名は今川義元と龍造寺隆信だけだっけ? >>2
愛知県が静岡県とガチンコでやったら愛知県が勝つだろ てか何で駿河の今川が勝手に遠江と三河を支配してんの?
んでノコノコと尾張に攻めこんで首だけになって帰っていく >>97
今の歴史学者や歴史クラスタのやり口ってなんか意地悪なんだよな
言葉遊びで一般人のマウントを取り、ミスリードを誘い、ニヤニヤしている >>99
長良川の戦い(斎藤道三)とかもうちょいいるんじゃないの >>102
本拠地の周辺を併合するのは普通だろ
織田だって強くなるたびに国を併合してる >>104
一応そのときの道三はもう大名ではなく隠居だったという定義らしい 歴史学者にとって歴史が固まる=食い扶持が減るだからな
新説は話半分で聞いとけよ >>99
河越夜戦で扇谷上杉の当主死んでたでしょ
あと陶隆房とか >>107
これ
日本史と近代以降の中国史わゴミ過ぎて酷い >>105
武田北条今川が好き勝手に領土を広げていたから幕府は上杉謙信を関東管領に任命した 尾張だけで結構な石高あったんだろ?
それなりに人口いたはずなのに寡兵で迎え撃つ訳がない >ところが、これは最新研究では覆されている。
じゃあさらに「未来の」最新研究では覆されるってことをどうして考えないんだ?あくまで「現時点」ではそういわれただけのこと
こういうことがわからないから、お前らはTV・新聞で「今までの政策・説は間違っていた。これが正しい・真実」っていわれるとすぐ信じるわけよ
これまでの通説を否定した新説が出た・・・ってことは「未来には」この新説も否定されることがくるだろうだろう
っておまえらはそういう連想ができない・発想力がない
こんな馬鹿連中が軍師になれるかよ、死ね >>5
田楽狭間って地名も関係あるんじゃないかな
地名からいかにも狭い場所で、大軍だと進軍し辛く奇襲を受け易そうだってイメージ受けるから
実際の道はそうでもないって話だけど 大将の首が狩られるって戦国時代でもレア中のレアだからね
よほどおかしな事がおきたとしか思えないんだよな >>112
追記
上杉謙信と織田信長は桶狭間の前年に上洛してんだよ >>114
これはおまえらが 「学問は絶えず進歩している」 ってのを皮膚感覚で知らないから
説が変わるのならそもそも本なんか読んでも無駄
恐竜が死んだ理由・形(羽の生えた恐竜)もどんどん変わっていくから、恐竜の本を読むこと自体無駄
とか言い出すわけよ 旧日本陸軍が打倒アメリカの為に桶狭間を寡兵で大軍を破ったって解釈しただけで実際国力差ほとんど無かったんでしょ?
10対8位だっけ 沖田畷みたいに総大将が陣頭指揮で突っ込んできたわけじゃなくて
一番後方にいる大将の本陣を攻めることができて大将の首を取ることができたのは事実なんだろ
数万の軍を2千近くで正面から壊滅させたってことなんか
だとしたら今川無能すぎやん >>27
狭いところに陣取るなら、周囲に分隊を配置して守備させるだろう
正面突破したとなるとそれらをことごとく打ち破ったというまさに戦国無双な展開になってしまう 織田の偵察隊が義元本陣に見つかって無茶苦茶したら義元討てただけやろ
その時信長本体は見当違いな場所でウロウロしてたからバツ悪かったっていう >>1 のスレタイ
これまでの説は「ウソ」だったの 「ウソ」 に俺は反応してるわけ
「世の中には一つの真実があって、それ以外はウソ」っていう純粋まっすぐくん志向だから、
「自分は発達障害だ。アスペルガーだ」「世の中の”あいまいな部分”を理解できない。ちゃんとマニュアルに書いていたらできるのに見て覚えろっていう」 って感じで自分を追い込まざるを得ないわけよ >>120
勝ち戦に大衆は付くわけで
信玄が上洛するぞってなったら松永は即座に裏切ったでしょ >>94
元々駿河、遠江の守護大名なんだが…
三河は名目上は松平の領国だぞ >>123
今川方の兵は乱取りに熱中して忙しく、本隊の守りは薄かったって説もある ノブが普通に猛将なだけだった……
どうすんの義元はん…… 正面攻撃説、相手の損耗した部隊と思ってに殴りかかったつもりが本陣だったみたいなやつだろ 楽勝の展開なんで昼からパーティーしてたんだよね
急に豪雨になったんでみんなで片付けしてひと段落ついたとこを急襲
って司馬さんが言ってた >>119
学界の定義では、違う
戦国大名というのは「守護大名から脱却(簒奪か朝倉や信玄みたいに中央集権化するか)し、独自の権威を打ち立てたもの」なので
そういった人たちは近世大名とかに属するはず 当時のノッブってまだ斯波家臣で織田本家は別にあって自分はただの分家でさらに兄弟で分裂中だったんやろ
これで3万の今川に勝てとかルナティックモードやん >>5
そりゃ話盛り上げようと思ったら寡兵で大軍に勝つ方がいいに決まってんじゃん もし数的同数で正面突破としても大将の首取られるってアホすぎん?せめて逃げ帰れよw >>117
追記
織田信長の上洛というと足利義昭を奉じて~をイメージするが桶狭間の前年も上洛してんだよ
その同年に上杉謙信も上洛して関東管領に任ぜられた
つまり武田北条今川が勝手に同盟組んで好き勝手やってるから〆ろと上杉織田が幕府に依頼されたわけ >>128
松平も、元々は山賊あがりみたいな輩が徒党なして大きくなり三河実効支配してたというだけで、守護とか守護代とかの血筋とは関係ないんじゃなかった? >>80
斎藤浅井徳川がござるを嫌がってメリポ希望出さない 嫌になるほど未来人が来てるんだからそりゃ何やっても勝つだろ 今川氏真って家康の客分として江戸で暮らしたからな
父親の義元もめっちゃ強いことにしておいたほうが無難だろ 大雨で視界がさえぎられて今川本陣に接近でき
雨が上がった直後の織田軍の攻撃が奇襲になったのは正面攻撃論でも変わらんよ
織田側でも今川(松平)側の記録でも、普通ではない負け方だって結論 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています