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「歴史学者の姿勢」表した三笠宮さま…孫の彬子さま「国民のため尽力、伝われば」

昭和天皇の末弟で、2016年10月に100歳で亡くなった三笠宮さまの伝記「三笠宮崇仁親王」が15日、吉川弘文館から出版された。刊行委員長の彬子さまが読売新聞の取材に応じ、「国民のために尽くされた三笠宮殿下のお人柄が伝わることを願います」と話された。

 彬子さまは小学生の頃、わからないことがあると三笠宮さまに尋ねられた。三笠宮さまは書斎から百科事典や図鑑など必ず複数の資料を取り出し、説明された。「自分で答えを見つけなさいという教えだったと思います」と振り返る。日本美術の研究者となった彬子さまは「子供の頃に殿下に研究者としての種をまいていただいた」と感謝される。

 三笠宮さまは幼少の頃から両親の大正天皇と貞明皇后と離れて養育され、「父の声を覚えていない」「母というより『陛下』という感覚だった」と話されていたという。ただ、御側日誌には、大正天皇が昼寝中の幼い我が子を見に来たり、貞明皇后が入浴中の様子を見守ったりした動静などが記されており、彬子さまは「ご家族が愛情を注いでいらしたことがよくわかりました」と語られた。

 三笠宮さまは1950年代、初代・神武天皇の即位日とされた戦前の祝日「紀元節」(2月11日)の復活に反対された。神武天皇は神話の時代の天皇であり、彬子さまは「『考証に基づくべきだ』という歴史学者の殿下の姿勢の表れ」と指摘された。

 三笠宮さまは、戦前は皇室と国民との間に「血の通ったやりとりはなかった」と語られていた。戦後、国民に分け入り、手を取り合って踊るフォークダンスを広めたのも「平和な国を作っていくためだったと思います」と彬子さま。伝記は「皇族が国のために尽くすとはどういうことなのかが感じられるのではないかと思います」と話された