ミサイルが飛んできても「反撃しない」ことこそが日本の抑止力だ

社会契約論の提唱者として教科書にも載っているホッブズは、「万人の万人に対する闘争」を終わらせるのが国家だと説いた。
しかし彼は一方で国際社会には国家対国家の対立を終わらせる上位機関はないので、国家間闘争が続くとも考えていた。

ただし国際社会に働く力は国家の力だけではない。たとえば国際政治学者のハンス・モーゲンソーは、
国家対国家のパワーゲームを抑止する力として、国家間を横断する「世界世論」や「国際道徳」を重視した。

現在のウクライナ対ロシアでは、世界世論の多数がウクライナを支持している。
それはこの戦争が、ロシアによるウクライナへの一方的な侵略が明白だからだ。
仮にこの戦争の端緒が、ウクライナによる予防的な先制攻撃だったり、
ウクライナが公然と国境を越えてロシアに反撃したりするようなことがあった場合、世界世論の支持は今ほど強くなかっただろう。

欧米諸国のウクライナに対する兵器や物資の支援も今より少なかっただろうし、
エネルギー問題などを背景にロシアの侵略を容認する国ももっと出てきていたかもしれない。

日本はウクライナ以上に、単独で戦争を継続する能力がない国だ。

だとするならば、世界世論の支持を受けることが外交戦略上最もプライオリティが高い選択となる。
従って、たとえ初撃を受けてでも、こちらから攻撃することはしないという
道徳的な態度を取り続けることが、長い目で見れば被害を最小限にする現実的な選択といえよう。
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2022/12/post-51_2.php